ACT.18 タイトロープウォーカー


  その膝はそれだけでレキにとって面倒なイメージを与えていた。が、寝返りを再びうつわけにもいかない。小癪な手段ではあるが 視線を上げなければこの場は乗り切れる、と思った直後。
「レキ、大丈夫……?」
思わず飛び起きる。シオが浮かない顔で正座していた。レキだけでなく何人かがこちらに注目しているのが分かる。それもそのはず、 シオが声を出して喋るのは最初のイレイザーキャノンが発射されて以来-ともだちのブレイマーが死んで以来-のことである。
  レキの余りの驚きようにシオも気まずさを覚えたのか一瞬目を伏せた。
「外、雨降ってるから。天気雨みたいだからすぐ止むと思うけど」
「ああ、そういや……」
少し全身が怠いのは疲れのせいだと思っていたが、分厚い窓に細い糸のような雨が貼り付いてくるのが見える。特に顔をしかめる風 でもなく、レキはぼんやり流れる風景を見た。シップの中は外気が完全にシャットアウトされている、不快さもさほどない。
  レキはおもむろに壁にもたれて座り直す。
「本当に財団に体を提供したり、しないよね……?」
「そのことだと思った。……しないよ、ルビィと同じでハッタリ。だからそうむっつりすんな」
「分かってる。私はちゃんと納得してるつもり」
シオは心許ない表情から一転、気付けば冷静で、毅然たる態度で窓を見ている。
  レキは後頭部に枕代わりに回していた両手をほどいて前のめりになった。ほんの一瞬コックピットに視線を走らせて他者の注目が 自分たちにないことを確認する。それから切り出した。
「何に……納得してる?この同盟にってことか」
「全部だよ。怒って見えるのはきっと私が緊張してるからじゃないかな。終わりが近い気がするから。……そしたら今までのいろんなこと をもう一度よく考えなきゃいけない気がして……考えて、納得した」
  シオの言う終わりは、おそらくクレーターにルビィを返すそのときのことだ。レキはその単語に違和感を覚えた。彼女と同じように 終わりを感じ、今までのことを意味づけてみてもレキは残念ながら納得という境地に至らない。考え込んでいると、シオが苦笑混じり に腰を上げた。見上げた先で得意気に眉間の皺をほぐしてみせる。前回レキがシオにして見せたことだ、微笑してレキは思いをめぐらせる のをやめた。
「シオ」
座ったままで呼び止める。
「全部納得できたら、少しは軽いか?」
「軽いよ。でも誤魔化してるだけなのかも。いろんなことを受け入れるのって、正しい気もするけどどうかな……諦めてる気もする。 レキがいろいろ納得できないのは、いろいろ諦めてないからかもね」
  追究しようとしてやめる。互いに具体的なことを話さないのは、各々の勝手な解釈で満足できるからだ。シオが何を受け入れ、何を 諦めたのかレキは想像で判断するしかない。そしてシオも同様に、レキが何にしがみついているのかは想像で解決する他ないのだ。 しかし互いにその想像が本人の抱くものと、遠くないことを察していた。
「雨ひどくなってきたね。さっきまでこんなに黒い雲無かったのに」
シオの呟きに、耐えきれなくなった男がコックピット側から応答する。
「たまには降らねぇとそれはそれで困るってもんだろ。田畑は枯れ、生物と土地は渇き、あちこちで砂漠化が進みシオもだんまりだ。 こういうのは恵みの雨っていうんだ。大将には気の毒だけどな」
田畑が枯れ、生物と土地が渇き、あちこちで砂漠化が進んでも、エースにとってはさして重要問題でもないらしく、要はシオが声を 出せるという一点においての恵みらしい。
  雨天時のレキは水に濡れた段ボールよりも役立たずで鬱陶しい存在である。レキが口をへの字に曲げて青ざめていたところで、見慣れた 連中には気に留める程のものではない。久しぶりのシオとの談話を楽しむメンバーにも全く加わる気配を見せず、レキは荷物と一体化して 横になった。できるだけいつもの倦怠感を漂わせなければならなかった。
  呻き声を上げないように必死で歯を食いしばる。奥歯が不協和音を立てるのも無視して、拳も同時に力の限り握りしめた。石つぶての ような激しい雨と呼応するように体が疼く。ともすれば悲鳴を上げそうになる痛みが、体の芯から末端に向けて高速で走る。それが 愉快なリズムを刻むかのように一定間隔で全身を駆けめぐった。
「アイリーンの工房で休むのもありだとは思うけどさぁ、折角だからちょっといいとこ泊まろうよ。ゴールドクロスストリートで稼いだ 金まだ余ってんだろ?」
ジェイの陽気な声が随分遠くに聞こえる。水中で喋っているかのようにくぐもった声だ。
「いいホテルに泊まったって泊まる人間がこれじゃあね。だいたいスプリングのいいホテルっつってもたかが知れてるレベルでしょ」
「あのさぁ……っていうかアイリーンの工房にこんな人数寝泊まりできるわけないだろ……。分散」
ラヴェンダーが嫌味混じりに、ハルが客観的にジェイを窘める。エースはどうせ事の成り行きを欠伸しながら観察し、シオもそれらを 和やかに見守っているのだろう、実にいつも通りの展開だ。レキ以外は全ていつもと同じ光景だった。
  とにかく妙な物音をたてないことに全神経を集中させる。荒ぐ呼吸と気を抜くと洩れそうになる声を、奥歯を噛み締めることで何とか 制した。冷や汗で濡れた床に小さな水たまりができていた。
「なあレキ、どうする?俺久しぶりになんか美味いもんが食いたいんだけど」
くぐもって聞こえるジェイの声が突如として大きくなる。並行して近づいてくる足音に、レキは舌打ちを漏らした。顎先に溜まった、 気持ちの悪い汗を拭って元通り荷物に寄りかかって座り直した。
「腹減らない?」
呼吸を無理矢理整えたところに、ジェイが顔を覗かせた。
「んなもん適当に自由行動でいいだろ。くだらねぇこといちいち聞いてくんなっ」
「だってさー。俺グルメツアー」
幸いジェイは不機嫌なレキに長くはまとわりつかず、邪険にあしらわれるとさっさと踵を返した。足音が遠ざかる。それもくぐもって 聞こえた。
  レキはすがるような瞳で窓の外を見た。雲の切れ間から微かに濁った太陽が、やはり鈍い光を放っているのが見える。シオの声が 聞こえなくなったことに気付いて胸を撫で下ろす自分の浅ましさに、レキは今までにない嫌悪を自身に抱いていた。
「レキ、いつまでへばってん。着いたぞ」
“いつもと同じに”機嫌の悪いレキの相手をしたくないのか、皆いそいそシップを降りていく。声をかけてきたのはフレイムメンバーの 誰でもなくヤマトだった。重い腰をさも面倒そうにあげて、更にこれみよがしに欠伸をしてみせる。
「ハイドレインジアが完成したらヤマトに連絡が入るんだよな?」
伸びの途中で肩越しに振り返って、ヤマトを見た。特に不審がっている様子はない、その奥のイーグルも同じである。
「マットから報告が来るはずだ。このシップとヘルメットのレシーバーに横流しするけど、それでいいか?」
「十分。なんだかんだで固まって行動してるのがチームってもんだしなっ、スプリング自体そこまで広い街ってわけでもねえし」
  空気が澄んでいるのは雨が降った後だからだろう、汚染物質の凝縮された大気を洗い流しながらも自らは酸化し、また汚染物質として 存在し続ける。雫の重みで頭を垂れた木の葉を横目に入れて、それでもレキは単純に綺麗だと感じた。その素朴な美しさと有毒な中身 という矛盾を排除するように、雫は自らの重みをバネに地に落ち、消えた。

「おいレキっ、お前がもたもたしてっからこんなとんでもないことになるんだぞ。どう始末つけるつもりだ」
確かに降り口でもたついた、そう思ったからこそ小走りにメンバーとの合流を図ったつもりだったのだが、追いついた後の第一声は エースからの非難だった。
  ラヴェンダー曰く「たかが知れたレベルのホテル」(というより民宿)のロビーで男四人が苦虫を潰している。それぞれ微妙に違う 理由だ。
「何がとんでもないんだよ、男四人なんだからツイン二つだろ?まさかダブルが良かったのかよ」
「平然とした顔で末恐ろしいこと抜かすな!当然のような言い方しやがって……なんで男四人だけになってる!そっから既に問題だろうがっ」
シオとラヴェンダーはアイリーンの工房で世話になることになった、というありきたりな説明では納得しないらしい、エースが大袈裟に 悶絶する後ろでジェイもぶつくさ苦情を独りごちる。
「せめてシングル4つとかにしてパァ~っとすりゃいいのに。なんっかチマチマしてんだよなぁ……」
「どこの大富豪のつもりなんだよ!ジェイが考えてるより金は残ってねえのっ」
放っておけばいいものをハルもいちいち二人の最強にどうでもいいいちゃもんに応答する。
  レキは深々と嘆息して、三人を残してホテルを出た。