Reincarnation Last chapter

 ファーレン城下は失われたあの日をそっくりそのまま持ってきたような賑わいを見せていた。赤鼻のピエロが通りを舞い、ウィーム村から出てきた村人が所狭しと露店を開いている。色鮮やかなキャンディーポットに釘付けの子どもたち、焼きたてのクレープを頬張って笑う若者、華やいだ風景を幸せそうに眺める老夫婦。
 あの日から一年が経った。あの日──フレッドが王になった日、それから一年、今夜の月食の下で新しい王が即位する。ところどころでよく分からない歓声があがり、ときに揉め事が起き、それがちょっとした小競り合いに発展すると彼の出番がやってくる。露店で売られていた「セルシナまんじゅう」を口に銜えたまま、男は野次馬を掻き分けて輪の中心に進み出た。
「はいはい、邪魔邪魔。めんどくせぇことすんなよ、どいつだ原因」
最初から吊りあがった目を更に吊り上げて、ルレオが何とも適当に仲裁に入る。今日の彼の仕事は主にこれだ。本来は下っ端警吏がやればすむことなのだが、上役とその隊の主要任務が祭り中の城下の治安維持とそのための見回りなのだから仕方が無い。上役、つまりベオグラードの隊がこの下っ端業務をおおせつかっていることになる。理由は明白、「昨年クーデターをもくろんだ要注意人物」だからである。進言したのは無論あの女だ。相変わらず仕事熱心で困る。
「あー! やってらんねぇ! 暴れんなっ、ぶっとばすぞ!」
子どもでも言わないような台詞を平気で吐いて、ルレオはまんじゅう片手に小競り合いを制す。ベオグラードの側近として、この目つきと口と態度の悪い男は有名だ。肩書きと実力と悪名が、彼の仕事を皮肉にもスムーズにしてくれる。
「どこのチンピラかと思ったら……。何やってんの、あんた」
騒ぎがひと段落したところで聞きなれた(聞き飽きた)甲高い声に呼び止められた。いやいや振り向くとリナレスがイカ焼きをしゃぶりながら突っ立っていた。
「うるせぇ! てめぇと一緒だろうがっ。イカしゃぶってねぇで『治安維持』に努めろよ、革命メンバー」
リナレスが遅ればせながら「あー」などと感動の薄い感嘆をあげる。
「意外~。ちゃんと仕事やってんだ。祭りなんか羽目外すためにあるようなもんでしょ、暖簾に腕押しよー。ベオグラードさんだってさっきあっちでイカしゃぶってたもの」
この部下にしてあの上司だ、仕方が無い。ルレオは仕事に関しては昔から真面目だ。しかし揃ってイカをしゃぶられるとあほらしくなってくる。
「ベオグラードさんいわく、『クレス隊長に目を付けられない程度に祭りを楽しんで良し』だそうよ。ほら、あんたの好きな仮装行列? とかあるらしいし」
その単語を聞いてルレオが堪えきれず、にやける。それは既にリサーチ済みだ。
「今年もいたぜぇ、すごいのが。後継者だな、きっと」
「何の?」
「決まってんだろ。立派な白タイツ族だよ」
ルレオの口元がひくひく痙攣しているのを見て、リナレスは呆れ帰ってイカを握ったまま肩をすくめた。と、視界に入った人だかりを見て何かを思い出したのか再び向き直る。
「そういえばさあ、お祭り名物のパンチングマシーン。チャンピオン変わったって知ってる?」
「なんだそのくだらねぇ名物」
「前はほら、スイングさんだったのよ。はぁーあ、いつかこのリナレスさんがパンチング女王になるはずだったのに。まったく、どこのどいつよ……」
聞いただけで安っぽさの漂う女王だが、この女にはお似合いかもしれないななどと胸中で笑い飛ばすルレオ。先刻から視界にちらつくイカ焼きも、リナレスによく似合っている。
「おい。イカ焼きどこで売ってる」
そういうわけでルレオは、リナレスの助言とベオグラードの指示に従って仕事を半ば放棄した。
 そういう不届きな輩もいれば、自分の使命をきっちり果たす者もいる。城内は市街とは異なり、そういった者たちの緊迫した顔が空気を固くしていた。もうすぐ直国王の演説が始まる時間だ、時計の針がひとつ進む度に城内警護の兵たちの緊張が高まった。そんなこわばった兵たちの間をすり抜け、赤い絨毯の階段を上り少し廊下を歩くと演説用のバルコニーに突き当たる。真下には既に民衆が押し合いへし合い良い位置を確保しようと躍起になっていた。バルコニー横に控え室がある。そこに働き者の代名詞と、セルシナ皇女がいた。
「いよいよですね。無事にこの日を迎えられたこと、心からお祝い申し上げます」
部屋の中央の椅子に腰掛けたセルシナ。そしてその横に立つクレスが皇女の髪をすいていた。セルシナはまたか、とばかりに苦笑する。
「あなたは本当に相変わらずね。こんなときまでかしこまって」
「こんなときだからこそ、です。セルシナ様もご自覚なさってくださいね。今日からはあなたがこの国の女王なのですから」
本人は無自覚なのだろうが、クレスの口調は子どもをしかる母親のようでセルシナにはそれが嬉しかった。今日というはじまりの日に、侍女ではなくクレスに身の回りの世話を任せたのはある種の皇女のけじめでもあった。肩先まで伸びた髪を、クレスは丁寧に結っていく。
「……伸びましたね、髪」
「この方が良いでしょう?」
クレスは微笑して頷いた。似合っているだとか可愛いだとか、そういう確認ではない。髪を伸ばし、こうしてきちんと結えば凛とした雰囲気が漂う。それは案外に重要なことだった。民の中には未だにセルシナを子ども扱いして侮る者もいる。年齢からすればそれも当然のことだ。だからこそ外見ひとつにこだわる必要がある。
「さ、できましたよ。城内にも市街にも護衛を配置しています。今回ベオグラードの隊には市街警備を担当させていますし、それを監視する意味での私の隊も配置しています。ここには私も控えていますし……大丈夫ですね?」
セルシナは含み笑いをこぼした。クレスは心外そうに顔をしかめる。
「心配性ね。大丈夫、もう子どもではありません」
 定刻になった。突然堰を切ったように歓声が轟く。指笛と皇女コールが演説を催促していた。
「ここで聴いています。しっかり、がんばってきてください」
セルシナは力強い笑みを返事代わりにして肩を翻した。いつもは好んでつけない煌びやかな装飾品を髪に、耳に、首下に光らせて歓声の渦巻くバルコニーに足を進めた。セルシナ皇女に配慮してか、野蛮な歓声も控えめで品の良い心からの祝福の拍手がこだまする。
 皇女が手すりに両手をかけて息を吸う。見ていた者は逆に息をのんで静まり返った。演説が始まる。
「この日を、どれほど待ちわびたことでしょう」
それは皇女自身の気持ちであり、この場に佇む民の気持ちだ。そしてセルシナの声が響く控え室で目を閉じたクレスの気持ちでもある。
「ご存知のとおり、この日を迎えるまでに数々のものがなくなり、残ったものも変わることを余儀なくされました。多くはここで語ることではありません、しかしそれらは全て決して忘れてはならないことばかりです。私たちが同じ過ちを繰り返さないために」
 ──セルシナの声を聴きながら、クレスは室内にある書棚に手を伸ばした。指先を背表紙に当てて端から順に辿る。とある題名の書かれていない本の前で指を止めた。深緑のカバーはどこか古臭くて埃っぽかった。丁寧に抜き出して、軽くはたく。おもむろに表紙をめくった。
「今のこのファーレンの姿を私は誇りに思います。私を支え、助けてくれた臣下、兵たち。ファーレンを諦めないでいてくれた民、ベルトニア王国、ヴィラ……そして、この国に『革命』をもたらした彼ら。皆さんがいたからこそこの国は変われた。そしてこれからも変わっていくのです」
 ──ページを飛ばしながらめくっていく。茶色く変色した紙が少しカビ臭いにおいをさせながら手元に重なっていく。
 その本に持ち主はなかった。昔ある少女が大事に保管していたそれを、ある青年が引き継いで、そして今はファーレン城のこの書棚に保管されている。この部屋を選んだのはクレスだった。書庫に入れれば王家の持ち物になってしまう。この本をそうはしたくなかった。いつかこの本を開くつもりでいた。いつも踏ん切りがつかなくて先送りにしてきたが、今日こそはその日に相応しい気がした。もうそろそろ、結末を知ってもいい頃合だ。
「私はまだまだ未熟で、国王として……その前に人間としても頼りないかもしれません。けれど、国を支えるのは私でも兵でもない、あなた方国民です。あなた方がファーレンを想う限り……大事なものを想う限り……ファーレンは、死にません!」
 歓声が大きく響いた。──それと同時にクレスは最後のページを開いた。覚悟を決めたように深呼吸してその一字一字を辿る。
「……『そうしてエイティシャはラルフと共にその生涯を閉じた。二人は指輪に祈りをこめるのである。歴史が生まれ変わろうとも──」
 セルシナへの大歓声と自分の朗読の声で、クレスはこのとき既に響いていたその足音に気づかないでいた。口をつぐんだのは扉が不躾に開かれたからだ。クレスが読み上げようとした完結部分をわざと遮るように、大きな音をたててドアは反対側の壁にたたきつけられていた。注視せざるを得ない、顔をあげて、クレスはそのまま凝固した。特に何の感慨も表さず、無表情のままで扉を見つめる。
「──『二人が必ず出逢えますように』」
 この本、『ラルファレンスの指輪』は確かにそう締めくくられていた。が、クレスは読み上げていない。続きを口ずさんだのはクレスではなく、扉の前に突っ立っている青年だった。クレスはまだ微動だにせず、彼を凝視している。男もその場から動くことなく、二人は距離をあえて保ったままだった。
「曲の終わりはフルフラッド。繰り返すときに変調するのがラルファレンスの特徴だ。これだってちゃんと意味があるんだぜ? ……音(歴史)が変わっても旋律(輪廻)は変わらず続くってさ。エイティシャは待ってるだけじゃなかったんだよ、最後の最後はちゃんと……」
男はどうしても自分たちを『ラルファレンスの指輪』になぞらえたいようだった。が、それも悪くない。クレスはそう思いながらやはり黙っていた。夢はいつも口を開けば覚めてしまう。覚めてはほしくない夢だった。だから男の姿を目に焼き付ける。まるで幻のようにあたたかい目で、眼前の男はクレスを見ていた。そうしておもむろに懐から何かを取り出す。
「忘れもの!」
光を反射してそれが宙に舞う。投げ渡されたものは緩やかに弧を描き、うまい具合にクレスの手の中に転がり込んできた。クレスは思わず本を落として、それをキャッチする。少し錆びた鎖が嵩張る銀の懐中時計。二人にとってのラルファレンスの指輪は今ようやく、クレスに送られた。想像していたより雑な方法で。
「……錆びてる」
「悪い……。まぁ、でもなあ? しょうがないよな」
男が視線を逸らした瞬間、クレスは距離をつめた。幻でないことを確かめるために、触れたかった。もし幻だったとして、消えてしまわないように抱きしめたかった。クレスがそう思う以上に男は思っていたのか、残った一歩は彼がつめた。そしてクレスの腕を引いて両手で強く抱きしめた。髪の感触、徐々に早くなる鼓動、体温、それらがダイレクトに互いに伝わっていく。全てが安堵をくれた。
「フレッド……」
クレスは男の名を呼んだ。ただ、意味なく呼んだ。そうすることで存在を確かめる。随分長いこと口にしていない、けれど心で呼び続けた名だった。
「やっと、……出逢えたわね」
クレスは涙するどころか幼い子どものように無邪気に笑った。フレッド──男はそれを見て微笑する。髪を撫でようとして、足元にまとわりつくくすぐったい感触に邪魔された。雪のように白い毛並みの子猫が一匹、フレッドの足に顔をこすらせてごろごろとのどを鳴らしている。フレッドは苦笑いして視界の隅のそれを追いやる。
「後で遊んでやるって。とりあえず今は……もう少しこのまま」
子猫は怒ったようにのどを鳴らして、ふてくされて逃げてしまった。首下につけていた鈴が軽快に鳴り遠ざかる。クレスはそれを横目で追いながら、誰かにそっくりだなと含み笑いをこぼした。鼓動が大きく響く。早くはない、ただ二人分が溶け合って心地よく大きく響いた。それを聴きながら優しく唇を重ねる。
 また歓声があがった。皇女の演説に対してのそれを、あたかも自分たちの神話への賞賛と祝福のように受け取って、くちづけを交わす。床に落ちた『ラルファレンスの指輪』のページが風に呷られてゆっくりとめくれていく。そして静かに背表紙を閉じた。ちっぽけな神話はこうして結末を迎え、そしてまた続いていく。

 ── 神は再び、針をまわした。 ──

Fin.



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