ACT.18 タイトロープウォーカー


  ブリッジの一言でいろいろなものが剥がれ落ちた。レキたちが装っていたメッキの計画、緊張と平静の仮面、そしてブリッジ自身の 化けの皮もそのひとつだ。レキは不謹慎にも喜々とした笑顔をこぼしてしまう。物々交換がしたいのはブリッジの方で、貪欲さが逆に 気持ちよくもある。
「本人の意思を聞くかね?ハイドレインジアを提供する代わりにシオは財団に戻る。ルビィが手元に戻るまでの担保としてだ」
「却下っ。あんた俺の流儀に合わせるっつったよな、だったらシオに聞いてんじゃねえよ。フレイムの決定権はヘッドの俺にあるんだ ぜ?シオがどう言ったって答えはノー」
レキは言いながら悠長に椅子の背に体重を預けて挑発的に揺らす。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、シナリオを外れたレキが何を しでかすかで皆内心気が気でない。開き直ったような妙な落ち着きが寧ろ不安をかき立てた。
「なるほど、それは失礼。では君に聞こう、……ルビィの代わりになる献上品が他に何かあるのか?」
「ある」
レキは椅子の足を揺らすのをやめ、断言してみせた。
  その物の価値がどれほどで、ルビィに匹敵するかどうかは、皮肉にも彼が身を以て体験してきたことが教えてくれたのだった。 パニッシャーの大佐が目の色を変えて追い回してきた、今は亡き母は魔女と呼ばれ追放された、そして何よりその真紅の血は彼女を 救うことができた。
  レキは左手親指の腹を犬歯でかみ切ると、ふてぶてしくもふんぞり返ったままテーブルに拳を乗せた。立てた親指から血が垂れ流れ 始める。ブリッジは訝しげに様子を窺っていた。
「半分ブレイマーの血が流れてる。血ぃとって調べりゃ嘘じゃないことくらいすぐ分かるだろ。……こいつを担保でくれてやるよ、事が 済んだらルビィとセットで体ごとプレゼントしてやってもいい」
シオが立ち上がろうとしたのだろう、勢い良く椅子を引くのをハルが渾身の力で押さえ込んだ。椅子の足が床と擦れる鈍い音だけが 一瞬場を裂く。シオが流れを止めるのを何とかして防ぐためだったが、ハルの方がどちらかというと心乱れていた。
  レキの切り札は、ハルだけでなくここにいる者全てに最大の衝撃を与えていた。ブリッジが半信半疑で、目を泳がせる。
「馬鹿な……何をふざけたことを……」
悪あがきの三文芝居にしては先刻の冷静さを演じていた時より危機迫るものを確かに感じる。ブリッジですら直感的に悟って目が離せ なくなっていた。レキの手首を伝ってテーブルへと流れる鮮やかな血は、ルビィを思わせる深紅の輝きを僅かに放っているように見える。
「どうすんの?俺あんまり気の長い方じゃねえからさっさと決めて欲しいんだけど」
そうでないとシオがそろそろハルを振り切ってちゃぶ台、ではないこの馬鹿長い会食用テーブルをひっくり返しかねない。シオは声こそ 出さないがかなり顔を赤くして、ハルと押し合いを繰り広げているようだった。勿論ブリッジには気付かれないように、だが半ば 放心状態にある彼にはちょっとやそっとの罵り合いならスルーされたかもしれない。時折感じる悪寒はシオの鋭い目つきによるもの だろうが、レキは素知らぬ顔で前方だけを見ていた。
  胸中は困惑している者が多い。それを声と顔に出さないのは、レキが指を噛みきる前に一瞬だけ全員に向けた、背筋が凍るような視線 のせいだった。フレイムはヤマトの言うとおり知能指数はお世辞にも高いとは言えない集団だ、それだから逆に妙に勘がいい。直感やら 第六感やら、とにかくそっちの類だ。
  シオが経験からヤマトの策を案じたように、レキもまた頭のどこかで交渉が一筋縄でいかないことを確信していた。だから二筋縄を 誰にも気付かれないよう準備していた。レキにとって自分自身は最後の保険である。
「……いいだろう。ハイドレインジアは完成と同時に君たちの使用を許可する。条件は今互いが確認した通りだ」
パンッ-ブリッジが不躾に手を鳴らす。ドアの前で控えていたスーツの男が何やら一枚の紙切れをレキとブリッジの間に置いた。
「誓約書」と題されたそれの一番下にブリッジが素早くサインする。言うまでもなくレキに内容を把握することはできないから、ハルが 頷くのを確認して垂れ流していた親指の血をサイン代わりに押しつけた。

-ブリッジ財団代表ブリッジは、対ブレイマー防御システム・名称ハイドレインジアの使用権を“フレイム”のリーダー及びリーダーが 許可する者に対して貸与する。但し“フレイム”は以下の条件を満たさなければならない。
1.ブレイマー駆除は財団の名の下に行いブレイムハンターと同様のレベルで貢献すること。
2.ブレイマー駆除後「ルビィ」は速やかに財団に返却すること。その際アメフラシ族アスカとシオは解放されるものとする。
3.「ルビィ」を返却する証明として半ブレイマーの実験体を提供すること。-

  文書の内容はあらからこんなものだった。ハルとシオは確認したがそれを口にするようなことはしなかったし、それで良いと思った。
  ブリッジ財団本部から程なく離れた位置に停泊していたイーグル艦で、レキはヤマトとイーグルに事の次第を説明した。レキの血液は Dr.マットには神からの授かり物のように喜ばれ、その後観測したアトリビュートフイルムの不可思議な色にも歓喜の声を上げられた。
「レキとシオ、それからヤマトの分のハイドレインジアはもう暫く時間がかかるってさ。マットは嬉しそうだったけどね……」
ハルの補足に、ヤマトが失笑する。
「だろうな、研究マゾだあいつぁ。ま、何はともあれ大役ごくろうだったな。ハイドレインジア完成まではのんびりするとしよう。 どうする?ユナイテッドシティにでも寄るか?」
「はぁ!?勘弁してくれよ、ユニオンはもうウンザリっ」
「どのみちこの艦は使えん」
軽い冗談のつもりがジェイは力一杯否定するし、イーグルまでまともに取って溜息をつく。それでなくても財団との交渉を終えて帰って きたレキたちは皆露骨にぴりぴりしていたのに、ヤマトの空気を読まない発言で更に悪化である。とりわけシオはここを出る前より 目に見えて不機嫌だ。
「冗談も通じねぇのかお前らは。一番近いのはタウンスプリング、か?」
「異議なし。本気でちょっとのんびり休みたいわ、イリスでの疲れも全然取れてない感じするし」
ヤマトの宿舎でベッドを占拠していた人物の言える台詞ではないはずだが、イリスで獅子奮迅の活躍をしたのもまた事実だ。
  イーグルがこの艦内では長だと思われるが、仕切っているのは相変わらずヤマトでそれが今は楽なようでもある。順応したと言うよりは ただ疲れていた。
「スプリングの高台に目立たぬよう着陸してくれ」
イーグルの簡素な指示で、シップは浮上しタウンスプリングに向けて進路をとる。財団までの空の旅では、借りてきた猫のように 縮こまっていた連中だが、今は客船のように各々好きな位置で好きな体勢で陣取っている。こちらに関しては順応した方が快適だと 彼らなりに悟ったようである。
  レキも一人で荷物に紛れて座っていると、ヤマトがすぐ隣に胡座をかく。狸寝入りも間に合わぬ早業だ、レキは観念して上目遣いに 嘆息した。
「ただ者じゃないとは思ってたが二分の一ブレイマーか。ブリッジが食いつきそうなネタだ。イーグル大佐が執拗にお前らを追ってた 理由もこういうわけ、か」
特に感慨無さげに呟いたのは演技だろうか、見極めようとしてすぐにどちらでもいいことに気が付いた。
「だったら何か問題ありか?」
あからさまに気分を害した言いぐさにヤマトは苦笑、そのまますぐに腰を上げた。
「狩るとでも思うか?どっからどう見ても人間様のなりしてそうふてくされんなよ。カザミドリもアメフラシも迫害やら追放の歴史を 持ってる種族だ。差異があるものでもない」
  ヤマトはカザミドリ族の数少ない残存者で、見た目にはどっからどう見ても少年である。これが成体であるから通常の人間で言うと ころの大人の容姿とは程遠い。不幸な身の上決定戦をするつもりは更々なく、証拠にヤマトは自らの種に負い目は微塵も持っていない。
「何に起因するものであれ“ただ者じゃない奴”が世の中じゃでかいことをやってのけるもんだ。契約内容は後々力ずくでもみ消すから 心配するな」
レキは適当に相槌を打つと今更狸寝入りを始める。英雄気取りをするつもりはないが、少しくらい肩を怒らせていないとこういった 気恥ずかしい心配がどこからともなくやってくる。それがヤマトだったことは予想外もいいところだった、軽快に寝返りを打ったところ に今度は別の人物が両膝をついて座っていた。