未知との遭遇#3 Side A

 一際大きな樹の幹を土台にして、立派なキャビンが建っている。ツリーハウスだとか言うからもう少しこぢんまりとした隠れ家的な家だと思っていたのだが、外観だけ見ればあれは快適な住居そのものだ。そう思ったのは、ルル本人が「遊び場」と名付けているそのテリトリーに踏み入る前までの話だが。
 キャビンの前にはバルコニーとでも言えそうな、広く平らな空間が拵えられていた。交渉相手の少女はそこに足を投げ出して座り込んでいる。年の頃は僕やフレデリカとそう離れていないようだが、その無防備な座り方で幾分幼く見えた。
 僕は妙な声を出さないように、唇をかみしめた。そしてその「イカレタ」光景を直視しなくて済むように、努めて視線を高めに保つ。それでも視界の端に入り込んでしまう無残な姿の屍たちを、僕はどうにか追い出そうと躍起になった。
「あーフレデリカだ。久しぶりー。どうしたの?」
 少女──ルルが、こちらに気づいて駆け寄ってきた。
 その僅か数歩分の道中が、何の比喩でもなく屍の山だったのだ。左右に真っ二つに裂かれたとんぼ、蝶、頭部の見当たらない昆虫がちらほら、遠目に小枝のように見えていたのはそれらの四肢だ。見慣れない変異体の死骸もあった。
 足場板一面にいくつかの魔法陣が殴り描きされている。それが何かの生き物の血で描かれていて、何かを「喚ぶ」ために準備されたものだということは明白だった。否、もしかしたらもう試した跡なのかもしれない。
(倫理のねじが外れてるってやつね……)
 ルルは何の衒いもなくフレデリカに抱きつく。親しい間柄の微笑ましいスキンシップというよりは、対人関係における正しい距離感が計れない子どものふるまいそのものだった。
 僕は背景であることに意識を集中させた。興味を持たれたくない。フレデリカのように、意にも介さない風を取り繕うことは現状難しく思われた。
「久しぶり。変わりはない?」
「んー、変わりー? 変わりかぁー、ないかなぁ。フレデリカはこんなところまでどうしたの? ウチまで来るのはほんとに久しぶりだよねー?」
「ちょっと頼みたいことがあって……。昨日バートックからお酒を買わなかった?」
「ああ、超超超古代の葡萄酒? あるけど、なになに? なんか喚ぶ?」
「喚ばない。ただその、依頼ですぐに必要なの。ルルが譲ってくれると助かるなと思って。もちろん、ルルが欲しいものがあれば準備するし、後日で良ければ同じ時代のワインを──」
「いいよー。それと交換」
 ルルは、フレデリカの胸部に埋めていた顔を上げて無邪気に笑っていた。悪意もなければ、善意もない。赤子が世界を楽しむときの純粋さだけを、携えた笑み。
 それがこちらに向けられていることに、背景役を演じていた僕は数秒気づかないいままでいた。
「は? 僕?」
 それでもフレデリカよりは、早い切り返しになった。彼女は僕の素っ頓狂な声で、ようやく事態を呑み込めたようだ。顔が強張っている。 
「……それは無理。別の物なら」
「じゃダメぇ。ソレくれないんだったら葡萄酒はあげられなーい。あたしだって使うから買ったんだもん、等価交換じゃないと困るんですぅ~」
 ルルはフレデリカにへばりつくのをやめて、わざとらしくふてくされてみせた。
 僕の脳裡には、ルルが楽しそうに僕の五体を引きちぎる、とんでもない映像が割と鮮明に展開されている。いや、でもワインの代わりということは、僕はあのバラバラ解体ショー用の玩具ではなく、悪魔召喚用の生贄になる可能性が高いのではないだろうか。いやいやいや、どちらにしてもぞっとしない。
「等価じゃない」
 今度はフレデリカの冷めた声で、僕が現実に戻る番だった。こういう声音の変化でルルが態度を変えることはないだろうと分かってはいたが、目に見えてわかるフレデリカの苛立ちと、ただただ本当に楽しそうなルルの対比は見ていてやるせない。
「知ってるよ~? あの葡萄酒は悪魔たちがだーい好きな飲み物。で、そっちは悪魔たちがだーい好きな器。どっちにも悪魔が寄ってくる。等価交換でしょ?」
 僕は成り行きを見守りながらも、俄かに早鐘を打ち始めた心臓を制する術を模索していた。体調だの気分だの体力だの魔力だの、僕がフレデリカに心配されているものは枚挙にいとまがないわけだが、一番心配すべきは心臓だという気がしてきている。
 ルルはどうして僕のことを知っている? どういう経緯で──などと、湧き出てくる疑問を考察している暇はなさそうだ。僕が平静を保つのに苦労しているということは、フレデリカは輪をかけて大混乱の極みに達しているはずだから。
 助け舟を出そうと思った。少なくともフレデリカが取り返しのつかないことを口走る前に、話の方向性を逸らすくらいはやっておいたほうが良いと。でもそれは、僕の奢りだった。
「ルル、その条件は呑めない。彼は物じゃない」
 フレデリカに混乱はなかった。代わりに、背中から少しだけ感じ取れるのは、静かな怒りだ。
 ルルは鳩が豆鉄砲を食ったような、間抜け顔をさらしていた。かくいう僕も、他人のことは言えない呆けた表情だったと思う。ただルルと決定的に違うのは、フレデリカが怒っている理由が理解できているという点だ。僕の、自意識過剰でなければ。
「え~? じゃあ等価のもの持っておいでよー……。それまでとっておくとかは約束できないからね?」
「分かった。できるだけ早く準備する」
 フレデリカは、またもや用は済んだと言わんばかりに颯爽と踵を返す。後方で背景の仲間入りをしようと奮闘していた僕に「帰ろう」の目配せが飛んできた。
 バートックのときとは違う。僕はこの場に一時も留まりたくなかったから、呼ばれるまでもなくすぐさまフレデリカの後を追う。
 帰路はまた一人分幅の空中回廊を通るわけだから、そのまま追い抜いて先導役を買ってでた。
「さっきの。その、嬉しかったです。ありがとうございます、ああいうふうに言ってくれて」
 フレデリカは照れるかと思ったのに、何故かばつの悪そうな顔で気まずそうにしている。
「うまく運べれば良かったんだけど……そう話してたつもりだったんだけど、振り出しに戻った。ごめん」
「振り出しとは違いませんか? ワインの所在は分かったわけだし、交渉が完全に決裂したわけでもありませんでしたよね。店に帰って、彼女が喜びそうなものでも物色しましょう。なければまた明日頑張ればいいんじゃないですか?」
「楽観的」
「楽しんだもの勝ちですよ。それにしても、ちょっと予想の斜め上すぎたなぁ、バートックさんの娘……」
 バートックが魔術師界隈に顔が利くと言っていたのはルルを通してということなのだろうか。相応の教育を受けたかはさておき、彼女は間違いなく魔術師の素養がある。
「亡くなったルルのお母さんが魔術師だったと、聞いたことがある。……ブラックドアや、変異体の研究をしていたと」
「わぁ、そうきましたか」
「ルルは、そのあたりの生き物を器にしてるような、低級悪魔たちとも平気で会話する。だから妙な情報網がある。あなたのことをどこまで知っているかは分からないけど、妙なことを言い出してもあまり踊らされないようにして」
「え? えー……はい。了解です」
 ルルの突拍子もない発言にフレデリカが大して動じなかったのはそういう理由らしい。それには合点がいったが、フレデリカが僕に釘を刺してきたのは釈然としない。僕よりも、という言葉が喉元まで出かかったが、どうにか呑み込んだ。
 フレデリカはその僕の様子を、別の方向に捉えたようだ。
「心配しなくても私が傍にいる限り、新たな別の悪魔があなたの中に入り込んだりすることは万が一にもないから、安心していい」
 先ほど交渉失敗をこの世の終わりにみたいに悔やんでいた人と同一人物とは思えないほど、今は誇らし気に鼻の孔を膨らませている。
 フレデリカは嘘をつかない。というかたぶん、つけない。だから彼女が口にする「絶対」や「万が一」にはどうにも説得力がある。
「それは頼もしいですね」 
 フレデリカは、自分の応答が少しずれていることにも、僕がそれにどれだけ救われているかも気づいていない。それでかまわない。
 僕が気づいてほしいのは、たったひとつ。
「ほんと少しだけ、声出してもらってもいいですか?」
 無言のまま静かに足場板を踏みぬくと、人は落下死するというのっぴきならない事実に。
 僕は膝まで豪快に落ち込んだフレデリカの右足を引っこ抜きながら、また早鐘を打っている心臓の心配をしていた。


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