夢で逢いましょう#5 Side B



 深夜一時。悪魔は今夜も椅子の肘置きに頬杖をついて、冷めきった目を私に向けている。私も似たような視線を返しているのだとは思うが、自分ではよく分からない。ハイスがザントマンの砂を飲んで眠りについてから、ちょうど一時間が経とうとしていた。
 グリムロックは夜勤の交代でも申し出るような気軽さで、この完全封印部屋へ入ってきた。彼女をここへ招き入れるのは、今夜が初めてだ。グリムロックがまず興味を持ったのは、悪魔の人格が表面化したハイス、ではなく私が隠すのを半ばで諦めた完全封印魔法の陣だった。絨毯越しに踏んづけているのが、最高位の魔法陣であるという事実に早々に思い当たったらしく、犬の糞でも踏んだのかというほどしきりに靴の裏を確認していた。
 魔術師ならこの部屋に一歩足を踏み入れた途端、底なしの沼に不意に突き落されたような感覚に陥るらしい。ハイスがいつか言っていた感想がふと過る。グリムロックも似たような閉塞感や息苦しさを瞬時に覚えたのだろう。私は術者本人だから、もちろんその感覚はない。
「何よ、あなた……誰」
 突如乱入してきた訳知り顔の大柄女性は、ハイスの中の悪魔にも緊張と警戒を強いるらしい。高圧的な態度をとっているわけでもないのに、グリムロックは居るだけで威圧感──もとい存在感を放つ。
 悪魔が昨日のやりとりを思って完全無視を決め込んできたら、私は途方にくれたことだろう。でもそれは杞憂に終わった。無様に失敗をしても、私には助言(辛口含む)をくれる人がいるが、悪魔にはいない。よほど内省的な性格でない限り、一度とった行動指針を変えることはないのかもしれない。
「はじめまして。私はグリムロック。この地区を担当する魔術監察官だ。君の噂はかねがね聞いていてね、ハイスの身体をシェアしているということは、私の担当でもあるから挨拶くらいはしておこうと思って参上した、というわけだ」
「ふ~ん、あっそ~。悪いけど興味な~い。あたしこう見えて夜は忙しいの。あなたみたいなのに構っている暇ないのよね。宿主様には素敵な夢を見てもらいたいし」
 グリムロックは柔和な笑顔のまま、部屋の隅で成り行きを見守る私のほうへ顔ごと向き直った。唇の端が微かに震えている。何かを懸命に堪えているようだが、私には今のやりとりのどこに動揺するような要素があったのか分からない。疑問符だけを返すと、グリムロックは極端に声を潜めて助けを求めてきた。
「フレデリカ、こらっ、聞いてないぞ。あの口調は反則だろう?」
 合点がいった。グリムロックはハイスの女の子口調に対して笑いを堪えていたのだ。呑気で羨ましい。私が半眼で見やると、グリムロックもわざとらしい咳ばらいを数度繰り返して取り繕う。
「亡くなった人に夢で会えるようにしくれるとか? 素敵な職能だね。ひょっとして私もお願いすることができるのかな?」
「お取引かしら? もちろん、かまわないわ。でもそのためにはここから出してもらわなきゃあ。あなたも魔術師なのよね? 見てわかるでしょ、ひっどいの、ここ。なぁんにもできないようにしてあるんだもの。もう退屈で退屈でたーいくつで。だから毎晩宿主様にご奉仕してるのよ」
「ふむ……確かになかなか不便そうだな。君の、その器はまだ複数体の精霊たちを宿しているのだろう? だから君がどんなに善良な精神体だとしても、ここから出すわけにはいかないんだ。そうだな……新しい宿主に引っ越しするっていうなら、考えてみないこともない。どうだい?」
 グリムロックはずっと後ろ手で私を制している。間違っても私が会話に参加してこないように予防線を張っているのだろうが、いらぬ心配だ。
 この会話の流れに、私は眩暈を覚えている。壁に身体を預けておいて正解だった。
 ハイスに毎晩同じ悪夢を、強制的に見せ続ける「素敵な職能」を持つ、この「善良な精神体」に、自分にも夢を見せてくれるように「お願い」する──これは、できて当たり前の会話なのだろうか。私にはやはり、逆立ちと同じくらい難しく思えてならない。
「君ひとりなら、ここから外へ出してあげることもできるかもしれないし、もしかしたら君が望む器を準備することもできるかもしれない。私自身が新たな宿主になってあげることはできんがね」
「……あなたさ、魔術師なのよね? しかも封印術だけが取り柄の。どうしてその流れであたしが取引すると思えるのよ。かもしれない、かもしれないって馬鹿にしてるのかしら」
「そんなことはない。私は一介の魔術監察官に過ぎないが、管理局の中ではまずます力はあるほうでね。私の『かもしれない』は、謙遜抜きに言うと私の気分次第、という意味でもある」
「ああ、そう。それで? 封印術師であるあなたが、私を外に出すメリットは何?」
「さっき言ったろう? うまくいった暁には私にも夢を見せてほしい。君は封印術に携わっている者は精霊と取引したがらないはずだとでも思っているのかもしれないが、そんなことはないよ。この陣を敷いたあの娘でさえも、精霊と取引はしている」
 私を引き合いに出さないでほしい。完全に失われていた私への興味が俄かに復活したらしく、悪魔がこちらを注視しているのを感じた。私は瞼を閉じて我関せずを装う。
 簡易でお粗末な闇の中で思うのは、グリムロックが謳う内容の嘘と本当の境界線はどこなのかということ。少なくとも魔術管理局内での彼女の立ち位置に嘘はない。担当地区の魔術師が好き放題するのを彼女の一存で見て見ぬふりできるくらいには、グリムロックは権力を持っている。
「ふぅん……。考えてもいいわ、用意される器によっては」
 私はとにかく、無表情で無感動で、微動だにせず壁にもたれる係を全うすることに努める。内心欣喜していることを誰にも悟られないように、簡易の闇のシャッターを強く強く閉じる。
「でもあたし、今の宿主様のことも気に入ってるの。毎晩こうしてあたしの夢を見てくれる。今までいろんな宿主様たちに夢を見せてきたけど、み~んな、誰もかれもみ~んな! どんなに優しくしてもご奉仕しても、最後の最後にあたしを棄てていった。あたし頑張ってるのに! こんなにこんなに尽くしてるのに……!」
「分かる分かる。ハイスは良い奴だ、見どころがある。君とは相性が良さそうだし、一度話してみると意気投合するかもしれない」
「話す……? 宿主様と?」
「そう。どちらにしろ、その器以外でないとできないことだがね」
「……いいわ。グリムロック、とか言った? 取引をしてあげる。……大事にされる器がいいわ。誰からも嫌われたりしない、永遠に、愛される器を用意して。そうしてあたしを、この透明な檻から出してちょうだい。全て叶ったら、あなたの望みも叶えてあげる」
「素晴らしい提案だ。期限はあるかい?」
「そんなもの必要ないわ。あたしの時間は限られていない。だから宿主様が朽ち果てるまで、ずっとずーっと最高の夢を見せてあげられる。そのための籠の鳥だったら、あたしは別に構わないもの」
「オーケー……、君に気に入ってもらえる器を見繕ってくるとしよう」
「ええ、楽しみにしているわ。せいぜい頑張って」
 悪魔は屈託なく微笑むと、それ以上の会話を拒むように瞼を閉じて歌を口ずさみ始めた。馴染みのないメロディーと歌詞。ご機嫌に浸っている割には、その本人も曖昧なところは適当に誤魔化しているようだ。
 グリムロックの控えめな手招きに従って、私も一緒に地下室を出た。悪魔がそう表現したように、まるで檻に猛獣を閉じ込めるみたいに厳重に、物理的な鍵をかける。鎖のつながった南京錠にも。
「グリムロックさん、今日は本当にありがとう。私ではこんなふうに進展しなかった」
「進展、か。若干、事態をややこしくした、という見方もできなくはないがな。引っ越しの意思がないわけではないようだ」
 薄暗い階段を上り、店の出入口からグリムロックを見送る。草木も眠る真夜中のはずなのに、月は今日もあてつけのように明るく街道を照らしている。
 ドアを出てすぐ、グリムロックは立ち止まって振り返った。
「器を傷付けずに悪魔を送還する、か。耳には優しいが、どうもそう簡単な話ではなかったな。フレデリカにも、向いているとは言い難い」
「私がふがいないのは分かっているつもり。悪魔との交渉はもっと、うまくやれるように……勉強していく。だから……」
 グリムロックは、力がある。担当地区の、売れない魔道具店の店主をやりながら、身の丈に合わない悪魔送還を試行している魔術師を、黙認できる力が。そしてその逆に、今すぐにでもその許可を取り消す力も。
「そうじゃない。悪魔と渡り合うにはフレデリカは、なんというか……優しすぎるんだろうと思うよ」
「そんなことはない」
 それは誉め言葉じゃない。私のことを指す言葉ですらない。覚悟を態度で示すこともできない、ただの未熟者を形容する言葉ではないのだ。
「そんな顔しない」
 グリムロックは、ハイスと同じことを言いながら私の頭を乱暴に撫でた。
「フレデリカにはフレデリカにしかできないことがあるだろう? 苦手なことを人並みになるよう頑張るのは大切だし、それができるのは君の美点ではあるが、そんなに思いつめなくてよろしい。結果が欲しいときは、得意なことを頑張るんだ。苦手なことは、得意な奴に任せておけばいい。今日みたいにな」
「……分かった。ありがとう、グリムロックさん」
 私はまた意識して口角をあげた。


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