episode xiii 裁かれる衛兵,欺かれる奇術師


「サクヤぁ!!」
 降ってくる。
「撃てえええぇ!」
空から黒い塊が降ってくる。闇夜に溶け込む翼をはためかせ、一体のニーベルングと黒衣の男が降ってきた。
「司令! こ、こいつは!」
「スタンフォードだ! 構わず撃て!」
漆黒のニーベルングは短く一度だけ、雄々しく吠え、両の羽を広げたかと思うとサクヤとナギをすっぽり覆い隠してしまった。ナギの視界はそれきり真っ暗になる。黒いニーベルングの翼に包まれ、全身黒い包帯の男に抱かれれば当然といえば当然。絶え間のない銃声は、どこか別次元の音のように遠くに聞こえた。
 急ごしらえのシェルターの中でサクヤはまず安堵の溜息を漏らした。
「本当にすごく……間一髪だったな」
再び深い、深呼吸にも似た安堵の吐息。その熱を持った息は、直接ナギの額にかかり瞼にかかった。しかし現実味はない。理解が現実に追いついていない、と言った方が的確か。何か言わねばと思うのだが、ナギの脳裏には何一つ言葉が浮かばない。ただ“壁”の外で鳴りつづける銃声を聞き、自分を抱く男の胸が上下するのを見ていた。
『おいサクヤ。生きているか』
突然、頭の中に直接響くような低い低い声が反響し、ナギは思わず身を強張らせた。
「生きている。心配いらないよ」
『そんなものはしていない。生きているなら役目を果たせ。私はいつまで撃たれてやればいい』
状況から考えて、その声は明らかに盾代わりとなってくれているニーベルングのものだった。鶏が、格の高いニーベルングは人語を解すると言っていたのを思い出した。サクヤは自分たちを包むその“壁”と会話をしている。妙な話だが、ナギはそこにようやく現実味を見出せた。ニーベルングと笑いながら気易く会話を交わす、この男がサクヤ以外のなんだというのだろう。
「そうだな……カラスがいくら鉄壁でも魔ガンが出てくるとまずいね。……ナギ? 大丈夫だよ、そう簡単に彼は崩れない」
 ナギは大急ぎでかぶりを振った。不安はもうない。泣きたいわけでもない。それなのに涙は意志とは無関係に流れて落ちる。どこまで馬鹿になってしまったのだろう、自分の涙腺は。
「そうじゃない。サクヤ、もういい。……もういいの。約束は果たされた」
「……まだだ。生きて、動いている間は君を守ると約束した」
 ナギは、何かを言わねばと思った。漏れるのは堪えに堪えた嗚咽ばかりだ。これでは何も伝わらない。懺悔も、後悔も、ありったけの感謝も、何にも代えられないこの特別な感情も。言わねばならないと思いつつ、言葉では足りないとも思った。どうしようもない。お手上げだ。涙は途中から悔し泣きになった。不甲斐ない自分に涙。
 顔を上げないナギの前髪に、サクヤは静かに唇を乗せた。
「カラス。飛ぼう。行ってほしいところがある」
『私は構わないが、羽を広げれば蜂の巣になるぞ』
「死なない程度にうまくやるよ」
あまりに笑えない冗談を言いながら、サクヤはごそごそと上着の中をあさる。その手に握られた二丁の魔ガンはどちらも見覚えのないものだった。片方をナギへ手渡す。
「地面を撃って煙幕を張る。……変なところ撃つと甚大な被害が出るから気をつけてね」
つまり、ちょっとでも照準を上方へずらすと死体の山ができあがるよ、という意味であるが、どういう言い方をしたとしても同じだ。
「バーストレベルは高い方じゃない。早撃ちしても二発、それでも死角はできるからタイミングが悪ければこちらが撃たれる」
「……うまくいけば無傷で逃走」
「無傷、はどうかなあ。そこは、カラスのスタートダッシュがどれほどのものかにかかってるから」
煽ったつもりだったが、盾役のニーベルングは我関せずを決め込んでくれた。
 ナギは渡された無銘の魔ガンをしげしげと眺め、今度は率直に浮かんだ疑問を口にした。
「ジークフリートは、どうしたの?」
「うん、ちょっとね。今はある人に預けてある」
「……サクヤ。私、この半年で早撃ちが少し向上したの」
「それは頼もしいね」
「あなたは?」
サクヤは微笑したまま凝固した。
「え。いや、僕は……」
「三発撃つ。死角があるならなくすまで」
 言葉にはならなかった。しようがなかった。だから彼女は、自分が一番得意とする方法に気持ちを乗せることにした。グングニル小隊八番隊隊長の完璧な補佐を──彼が立案する全ての作戦を成功に導く、そのために自分ができる最善の働きをするまで。
 ナギはサクヤの腕をすり抜け背を向けた。というより、勝手に背中を預かることにした。その背を通じて、サクヤが笑ったのが分かる。本当はその顔が見たかった。が、それはここを切り抜けるまでとっておくことにした。願掛けみたいなものだ。
「ナギ。──作戦の本質を見失わないように、気を引き締めて行こう」
それは懐かしい作戦開始の合図だった。ナギの口からも思わず笑みが漏れる。
「そうだね。了解、サクヤ」
 名前を呼び合う。それは、そこにいると証明すること。ここに居てほしいと渇望すること。ここに居ていいのだと、承認すること。