管制塔内は吐きたてほやほやのニブルが充満している。その中をナギはわき目も振らず走った。捨て身でも暴走でもなく、自分がこの場の適任者だと皆が理解している。ナギのニブルに対する耐性はグングニル一、彼女が現場で重宝される理由のひとつである。
「シグ! 生きてる!?」
3階踊り場にて、ガスマスクをしっかりがっちり装着したシグを発見。明らかに作戦を放棄している。
「ナギ。さすがにマスクつけようよ。なんでそんなすっぽんぽんで上がってくるの」
「変な言い方しないでよっ。シグこそもうちょっと粘ってよね」
「充分粘ったよ。これ以上ちまちま連射したところで逆効果だろ。餅は餅屋に任せる」
「あなたも餅屋でしょっ」
思いきり肩を竦めた後、ナギを追い払うように手を振るシグ。本当にさっさと階段を下りていってしまった。と、そんなことに腹を立てている場合ではない。先刻までシグが身を乗り出していた窓から、今度はナギが魔ガンを突き出した。
「悪いけど、いい加減落っこちて!」
まず一発。シグのときとは比べ物にならないほどの爆音と黒煙が周囲に広がる。射撃しているというよりは爆撃していると言った方が近い。「ラインタイト」と呼ばれる爆発性物質を組みこんだニーベルング討伐専用の武器が「魔ガン」、そうでもしないと通常の対人武器ではニーベルングの表皮に傷ひとつつけることができない。逆に言えば、ナギの魔ガン「ブリュンヒルデ」から放たれた弾が着弾すれば、傷ひとつどころか致命傷を負わせることが可能だ。
そのはずだが、今回は事情が違うようだ。着弾したにも関わらず、カラスは微動だにせず壁に留ったままだ。あんたは蝉かと思わずつっこみたくなる。粘り強さだけでいえば彼が本日のMVPである。
「こちらナギ。落ちませ~ん。アドバイス求めます、どうぞ」
『羽、できれば爪にヒットさせるんだ。こうなったら管制塔の多少の被害には目を瞑るしかない。どうせカラスが結構パンチしてることだし』
「わかった。やってみる」
一度深呼吸してから魔ガンを構えなおした。集中した視界に、できれば直視したくなかった「現状」が横たわっていた。カラスの動きを封じる目的で放たれた蝋弾はこれまでの集中砲火でほとんどが溶け、マグマ状の物体がそれらしき音をたてて落下していく。ある意味美しいと形容できた羽も漆黒の体もただれ、今や醜い肉塊と化している。
それでもカラスは懸命にその場に留まろうとしていた。
「……お願いだから次で落ちて」
呟いて狙いを定めた。定まったら躊躇わず撃つ、銃身を支えて引き金は静かに引く。訓練所で習う当たり前の事項が何故か脳裏をよぎった。
ナギが人差し指を引いた刹那、爆発音と絞り出したような鳴き声が同時にこだました。
『当たった! 落ちるぞ!』
『まだよ、飛ぶ気だわ』
三番隊が実況中継してくれるその下でサクヤは頭上を見上げて静かに魔ガンを構えた。ぼろぼろの肉塊が蝋でただれた羽を広げて宙であがいている。彼が羽ばたこうともがく度に爆風の名残のような熱を帯びた風が吹いた。
「ちょ……サクヤ」
「隊長~……」
広場に合流したシグとナギが揃って頭を抱える。サクヤは魔ガンを構えるのを止め、カラスの羽ばたきをひたすら見つめていた。むき出しになった骨格だけの羽でカラスは器用に安定を保っている。そのまま徐々に上昇、彼もまた眼下のサクヤを注視していた。
数秒間ロマンチックに見つめ合った後、カラスは羽を翻して朝日の方向へ飛び立っていった。八番隊隊長(本作戦の責任者)はあろうことか小さく手を振っている。ナギとシグは半眼のまま顔を見合わせた。いつものサクヤなら何のためらいもなく大手を振って見送っている。おそらく三番隊の手前多少気を遣ったのだろう、それでも自主的に見送ったことくらいはばればれである。
「サクヤ」
「追撃はしない。作戦完了だ」
サクヤの言葉はイヤホンマイクを通じて各隊員に届いているし、そもそも飛び去っていく巨大なニーベルングを見逃す者などいなかったろう。それぞれの拠点から苦笑が漏れる。が、これら一連の流れをいつものこととして片づけられるのは当然八番隊のみだ。
三番隊のメンツが重い足取りで広場まで下りてきた。ユリィは普段通りの能面だが、後ろの隊員たちは疲労感というか悲壮感とういか、そういう類の切ない表情を隠しきれないでいた。深夜から招集されてバックアップした作戦の結果がこれなのだから至仕方ない。彼らにとって──グングニル本部にとって、本作戦は失敗としか判断しようがないのである。
「や、おつかれ。助かったよ、三番隊のおかげで事態を収拾することができた。仮眠をとったらみんなで食事して帰ろう」
「……遠慮するわ。言ったでしょ、防衛ラインの警備に欠員は出せない」
「そうか、うん。じゃあ今度何か埋めあわせするよ」
「ひとつ聞いておきたいんだけど」
作戦終了の解放感からか終始笑顔のサクヤとは対照的に、ユリィは終始仏頂面だ。それがサクヤ以外には怒りの沸点に達しているように見える。内心はらはらしているのは当事者以外である。
「八番隊は、ニーベルング愛護団体にでも入ってるの」
ユリィはどこまでも真剣に、純粋にその疑問を口にした。やはり無表情は変わらずだが。サクヤは虚を突かれたのか一拍固まって、堪え切れず噴き出した。頼むからこれ以上三番隊の機嫌を損ねるのはやめてくれ、というのはやはり外野の意見である。
「ははっ、まさか。できるだけ人としての選択をしたいと思ってるだけだよ。僕らまで獣である必要はない」
「よく分からないけど……。サクヤ、そのうちニーベルング語なんかを理解しそうでこわい」
「それはいいね、和平交渉ができる」
今度は思いきり笑い声を響かせた。顔を出し始めた朝日も相まって謎の爽やかさが強制的に場を支配していく。サクヤの半径三メートル程度だけが夜明けの象徴のようにきらきら輝いて見えた。これに釣られて笑ってしまうのが八番隊、サクヤを慕って就き従うグングニルの中でも異色のエリート(くずれ)部隊である。