episode i 黒い羽のラプンツェル



 サクヤのあっけらかんとした指示内容を、シグ・エヴァンスは管制塔の中腹階で反芻していた。彼の言う「ちょっと特殊」はいつも極上に厄介だ。今回も例外ではない。渡された「かなり特殊」な弾丸を指先で弄びながら、シグは窓から大時計塔を睨んでいた。午前4時50分、作戦開始まで10分足らずというところだ。仄かにともされた松明の明かりで大時計塔とその先端、つまりカラスの輪郭がぼんやりと浮きたって見える。
 管制塔前の広場ではサクヤとナギが、屋上ではユリィと彼女率いる三番隊の精鋭が待機している。例の補佐官が本部で留守番をしているというのは、シグにとってはこの上ない吉報だった。今回は横で、やれ三番隊に入れだの狙撃を極めろだの勧誘されずに済む。
『シグ、そろそろ時間だ。準備はいいかい』
イヤホンマイクからサクヤの声。
「もちろん、万端です」
三つの特殊バレットの内、一つ目を銃創にこめた。シグの役目は、この弾をニーベルングの羽に命中させること。内容は至ってシンプルだ。
『それじゃあ三番隊に合図を出す。作戦が成功したらみんなでヴァーナムミルクのソフトクリームを食べに行こう』
「サクヤ隊長、それちょっと死亡フラグっぽいですよ」
『え! そうかな! でも司祭も一押しの……!』
『もういいから、そういうの。シグももうちょっと緊張して。分かってると思うけど、チャンス自体は弾の数あるとは限らないんだから』
「言われなくても」
サクヤのすぐそばからナギの声が聞こえる。この二人は持っている魔ガンの性質上、作戦時も行動を共にすることが多い。サクヤの「ジークフリート」とナギの「ブリュンヒルデ」はグングニルの中でも一、二を争う高威力の魔ガンである。威力の高い魔ガンを手足のように使いこなすこの二人が揃っているからこそ、八番隊の討伐成功率は八割を切らないのである。
 シグは自分の手元で黒く光る魔ガン「ヴォータン」に視線を落とした。同じく懐で出番を待っている「ローグ」の感触もジャケットの上から確かめる。これに「フリッカ」を加えた計三丁がシグの魔ガンだ。どれも威力はさほどない。銃身と引き金の軽さがウリだ。
「……時間だ」
 松明と夜明けの幻想的な明かりの中で、大時計の針は厳かに時を刻む。大時計だけではない、リベンティーナの全ての時計が作戦開始時刻を皆に告げた。
 すぐ真上のはずなのにどこか遠いところで弾けたようにユリィの魔ガンが火を噴いた。その後間隔を開けず二発目、三発目が三番隊によって放たれる。この闇の中、この距離で標的を正確に捉えられるのか、一瞬だけよぎった不安はすぐに杞憂であったことが証明される。大時計塔の上で巨大な二枚の羽が大きく広がった。
『こちら管制塔屋上、三番隊! 標的移動するわよ!』
 普段は無口無表情を貫くユリィ隊長も作戦時は声を張るんだな、などとシグは若干呑気なことを考えていた。三番隊にとっては通常作戦時よりも危機感が大きいのかもしれない。彼らがぼやいていたように、狙撃部隊が囮扱いされるなど前代未聞だろうから。サクヤのおかげでその前代も今ここで無くなったわけだが。
『シグ、行ったぞ! ばっちりお膳立てしてやったんだ、うまくぶち当てろよっ!』
小時計塔に配備されていたバルトから不躾な報告が入る。誘導はうまくいったようだ。というより実際見た方が早い。白んできた空に羽ばたく漆黒の翼は、視界の中でだんだんと大きくなった。暴れ牛のように頭部を上下に揺らし、この管制塔に突っ込んでくる。
 シグは二丁の魔ガンを同時に構えた。狙うはこの両の漆黒の翼。命中すれば威力のないこの二丁でも確実にニーベルングの動きを停止、落下させることができる。弾薬の中身はマユリ開発の特殊な蝋成分だ。常温に触れれば一瞬で凝固する。
「墜ちろよ!」
二つ同時に引いた引き金、二つの銃口から弾き出され蝋弾は、そのまま導かれるようにカラスの両の羽に命中した。短い咆哮と共に視界からカラスが消える。筋書き通りだ。後は下で待機中のサクヤとナギにバトンタッチすればいい、と催促の声がイヤホンマイクから響く。
『ねえ! 落ちてこないんだけど? まさか外した!?』
「はぁ? たった今落としたよ! 外すなんてありえないだろ……!」
自信と同時に確かな手ごたえもある。第一この至近距離で外せと言う方が無茶だ。
 シグは確認のために窓から身を乗り出した。そしてつぎの瞬間、予想だにしなかった光景を目にして豪快に噎せた。
『どうしたシグ! どこか負傷したのか!』
サクヤの切羽詰まった声が虚しく響く。負傷、したと言えばしたのかもしれない。百発百中男シグのプライドは、眼下のニーベルングのおかげでかなりの痛手を負った。
 カラスは落ちていない。管制塔の外壁に蝋まみれの爪をたて、ロッククライミング状態を保っている。なんという情熱と根性だろうか、なりふり構わずへばりつく黒い塊にシグはこれでもかとばかりに恨みがかった視線を送った。
「すみません隊長。ちょっと想定外のアクシデントで……まぁとにかく早急にたたき落とします、退避してください」
『叩き落とすってやっぱり落ちてな──……サクヤー! 上、上ー! くっついてる壁にっ! あ~やだぁ~いやすぎるぅぅ! ゴキブリみたいぃぃ』
『ほんとだ、凄い。あの爪だけで全体重支えられるんだなー』
 広場からもカラスの状態が確認できたらしい、嫌悪したり感心したり忙しそうだがシグのやることはひとつだ。崖っぷちに立たされた、いや崖の中腹にへばりついた哀れなニーベルングを外道さながらに突き落とすのみ。覚悟を決めたら後は容赦なく撃って撃って撃ちまくる。下の二人に比べれば威力は低いとはいえ魔ガンは魔ガンだ、命中しては爆発を繰り返し、明け方の空を花火のように照らした。
 そんな、シグとカラスによるド根性劇場をしばらく見上げていただけのサクヤとナギ。
「僕らも上ろう。このままだと管制塔がもたない」
「中から撃つの? でも下手したら市街に魔ガンが当たっちゃうんじゃない?」
「下手しなければ大丈夫だよ」
サクヤはいつもと変わらない爽やか極まりない笑顔で言ってのける。それが不安だからわざわざ広場まで落下させようという話ではなかったのか。
(まあ不安なのは私だけなのかもしれないけど……)
 命中率でいえばナギのそれは中の上程度だ。着弾時の爆発力が凄まじいから多少逸れても標的を仕留めることはできる。が、今回はそれがネックなのだ。多少でも逸れたら、とばっちりを受けたどこかの建物が派手に倒壊する。それが運悪く大時計塔だったりしたら目も当てられないではないか。などとナギが二の足を踏んでいる間に、サクヤはさっさと管制塔の階段を上りはじめた。
 そのタイミングを見計らったかのように、カラスは片翼を外壁に打ち付けた。あちらにとっては軽いノック程度だったのかもしれないが管制塔そのものが大きく揺れる。
『エヴァンス曹長、サクヤ! 一旦退きなさい! 吐くわよ!』
イヤホンマイクからユリィの簡潔すぎる警告が飛び込んでくる。誰が嘔吐しようがこの状況下ならどうでも良い気がするが、そうも言っていられない。誰が何をという要素はこの場合省略しても全員が察知することができた。カラスが無理な体勢のまま、頭部だけ仰け反った。次の瞬間、管制塔3階の開いた窓へ向けて口いっぱいに含んでいたニブル──毒の霧が吐きだされた。人間にとってそれは毒以外の何物でもなく、無防備に吸えば呆気なく死にいたる。が、ニーベルングにとっては大事な活動源、生命線だ。体内に備蓄しているそれを多量に使用してでもこの場を切り抜けたいのだろう。追い詰められていることは確かだ。
 カラスは今なお、ニブルを放出しながら激しいノックを繰り返している。管制塔への打撃が目的かと思いきや、どうやら両翼にからみついた蝋を振り払っているようだった。
「私が行く! サクヤは三番隊とシグに撤退指示を!」
 管制塔入り口でのんびりマスクを装着していたサクヤを追い越して、ナギは階段を駆け上った。
「落としてくれればいい! 僕が下で撃つ!」
「了解!」