episode ii 救いのお求めは市場で


「サクヤ・スタンフォード中尉、ですか。御高名はかねがね、うかがっていますよ」
サクヤは聞いているのかいないのか無反応を貫いた。一瞬だけナギに視線を送って、その様子の不自然さに僅かに眉を潜める。
「彼女に何を?」
「何も。手足は拘束させてもらいました。ゆっくり話がしたかったので、その点だけご了解いただけ──」
「十秒待つ。彼女から離れろ」
不躾に言葉を遮られたことにシスイは目を丸くしている。のんびりと肩を竦めている間にも、サクヤは問答無用にカウントダウンを続ける。
「我々はニーベルングとの共存の可能性を探っています。中尉の思想はグングニルよりは我々レーヴァテインに近いものだと聞いています。話をすれば分かりあえると思うのですが」
「僕もそう思っている。だからもう一度だけ言う。“彼女から離れろ”」
そのフレーズだけを強調した。言いながら手元ではセーフティを解除している。どういうつもりなのか、ナギでさえサクヤの行動の真意が読めず固唾を呑んだ。
 サクヤの魔ガン「ジークフリート」を今ここでぶっ放せば、間違いなくフロアごと粉々になる。知っている者ならまさかこの場で撃ちはしないだろうと高をくくることができる。できるはずだがナギは確信が持てずにいた。寧ろ逆の可能性の方が信頼度を増してきている。
「やれやれ……本当にどなたもエゴイストだ」
シスイがナギから一歩距離をとったその瞬間──サクヤは狙いを定めて引き金を引いた。高をくくっていたのはシスイの方だったらしい、瞳孔が開いたまま凝固した彼の横を、目を背けて歯を食いしばっていたナギの斜め上を、ジークフリートから放たれた弾が通り過ぎていった。
そして窓の外で口内いっぱいにニブルを含んでいたニーベルングに見事に命中する。花火が弾けたような轟音と光の中、巨大な翼竜が墜落していく一部始終をナギは訳も分からず眺めていた。そう、訳が分からないことだらけだ。混乱した思考を整理する間もない。
 サクヤは当事者たちが放心しているこの機に乗じて、てきぱきとナギの拘束を解く。
「本当に大丈夫?」
「へ、あ、うん? 大丈夫。ありがとう。えっと……」
「話は後だ。ひとまず下の皆と合流しよう」
 シスイは、炎を纏い喘ぎながら墜ちていくニーベルングを無機質な瞳で見送っていた。小さな窓に切り取られた小さな空に、無数の火の子が舞いあがる。視界はどこか幻想的だったが、鼻をつく肉の焦げる臭いと熱風が生々しい現実をつなぎとめている。
 ナギは部屋の入り口に立ち、一瞬だけ振り返るとシスイの眼を見た。燃えるニーベルングを眺めてはいるが、憐みでも敬いでもない空虚な目だ。視線に気づいてシスイもこちらを見たが、去っていくナギにも、サクヤにも執着していないように見える。不敵に笑っていた。
「私は特に急いでいるわけではありません。いずれ、そう遠くない日にあなたはレーヴァテインの門をたたくことになるでしょう。あなたが望む望まないに関わらず、世界はそういう方向に動いている」
「……ナギ、行こう」
サクヤが背中を押すので何も言わずそれに従った。五階部分も四階も、シグの煽りのおかげか人っ子一人残っていない。二階の踊り場で、ほとんど出番もなく待機していたサブローとアンジェリカ、そして合流してきたシグと鉢合わせした。シグに限って言えば、何故か不機嫌そうだ。
「あれ、下のレーヴァテインは?」
「あれっ、て……上から焼きミミズクを落としてきたのはサクヤ隊長でしょう。戦意喪失、解散しましたよ。せっかくこないだ伝授してもらった“必殺・目で殺す”を試してる最中だったのに」
 無自覚の良いとこどりは、なかなか腹立たしい。下で気を遣いながら奮闘していた自分たちが馬鹿みたいである。シグは冗談という風でもなく顔を背けて嘆息した。
「あははっ、試したの? それは見たかったな。僕よりシグの方がそういうのは向いてるのかもしれないね」
 よく言う──ナギの開いた口が塞がらない。自分の隊の、それも隊長に魔ガンで撃ち殺されると思ったのはグングニルに入隊以来さっきが初めてだ。
「何ですそれ、嬉しくない……。それより、そっちのお嬢さんは五体満足なんですか。うすらぼんやりしてるけど、ねっとりボイス漬けで脳みそ揺れてるんじゃないの」
 姿を見た途端言いたい放題だ。揃ってドジを踏んだサブローもマユリも、一足先にシグの嫌味の洗礼を受けたのだろうと思うと気の毒だ。サクヤだけは何故か小さく笑っている。
「ご迷惑をおかけしましたぁー……」
「そう思うならのんびりしてないでさっさと下りてきなよ。事後処理、報告、補佐官殿のメイン業務が待ってんだからさ。っていうか隊長、ミミズクまだ燃えてますよ。消火活動」
最後の方は振り向きざまに言い捨てて、さっさと階段を下っていくシグ。ナギは言い返すこともかなわずフグ口をつくってとぼとぼと後に続いた。
「まだ笑ってる」
不満のはけ口が見当たらないので、とりあえず後ろでにこにこしているサクヤに当たってみる。
「ごめん。シグもまだまだだなぁと思って」
「? もう意味がわかんない。シスイといいサクヤといい……もうちょっと具体的にしゃべってほしい」
 思い出して少しだけ気分が悪くなる。巫女だのニブルヘイムだの、世界に還元すべきチカラ? ──冷静に考えてみると気持ちの悪い単語ばかりだ。思いきりかぶりを振る。サクヤはそれを見て何かを察したらしい、もう微笑していなかった。
「国家としての、あるいは世界としての“ニブルヘイム”が存在するかどうかは現段階では断言できないよ。空の亀裂からニーベルングが出てくるのは事実だけど、それは“ニブルヘイム”の存在の根拠にはなりえない」
「グングニルは……間違ってると、思う?」
「考えることをやめなければいい。それは僕らにもできることだ」
 サクヤは穏やかに言った。肯定も否定もしなかった。グングニルはシスイの言うとおり矛盾も齟齬も含んだ組織だ、そして現状社会から一番必要とされる組織でもある。
 考えることをやめたくはない。でも考えた先に見えるものが、望んだ結論で無かったら? ──サクヤならどうするのだろう。
 答えが欲しくて顔をあげた。そこにはいつも通りの微笑を携えたサクヤがいた。