episode ii 救いのお求めは市場で


「ニーベルングはどうするんだよぉっ。あんなにお怒りに……これじゃあ対話が……」
 屋根裏の窓は全て割った。そこからレーヴァテインの構成員と思われる市民の声が次々と漏れてくる。シグならこの窓を通して中にいる標的を仕留めることは可能だ。数値上の話ではない。混乱し不規則に逃げ惑う一人一人を狙い撃つことも、シグにとってはさほど難しいことではない。
(あんなのにいちいち構ってたら金がいくらあっても足りないだろ)
魔ガンの弾は高い。原料であるラインタイト自体が希少価値が高い上、特殊な加工に莫大な技術料が上乗せされる。シグが連射した十発でこの屋敷くらいは買える額の金が爆音と共にぶっとんでいったことになる。
 シグは最後に一発、空に向かって空砲を撃ち放った。それを合図代わりにサクヤが外壁を伝ってずたぼろになった屋根に降り立つ。少し離れた位置で旋回していたミミズクに向けて魔ガンを構えた。
「サクヤ隊長! 窓!」
シグの攻撃でただの窓枠となった穴、その内側から体をねじこませて脱出しようと試みる人影。サクヤも思わずミミズクから目を逸らしそちらに銃口を向けた。撃つつもりは無論ない。条件反射と言えばそれまでだったが、這い出てきた人影はサクヤと目が合った瞬間情けなく眉尻を下げた。眼鏡の奥の瞳が涙に滲む。
「ひ、ひどいよぉ~隊長ぉ! 確かにドジ踏んだけど、いきなりそんな極刑だなんてぇぇぇ」
「ご、ごめん。反射的に……」
安堵と驚愕が入り混じった複雑な笑みが漏れた。上半身だけ飛び出してきたマユリの手をとって引き抜く。混乱に乗じてうまく逃げだしてきたようだ、残念ながらその手に魔ガンは無い。
「うっわ、攻撃されてるーって思ったけどコイツが原因か。今回もデカイっすねー」
「落ち着いてないで下に行ってシグたちと合流してくれ。ナギは一緒じゃないんだな?」
「うん、ナギちゃんだけなんかちょっと偉そう? な感じの人に連れてかれちゃって……あー! 魔ガン! あたしのノルニルぅぅぅぅ!」
シグたちが絶賛応戦中の最中にまったり落ち着いていたかと思えば、手ぶらな自分に今さら気がついて発狂、頭を抱えて懺悔したり祈ったり忙しい。こんな状況なのにサクヤの口からは苦笑がもれてしまった。
「僕が行く。ナギと全員分の魔ガン、ちゃんと助けてくるから」
「うわあああ! 隊長がかっこよすぎるううううう! 大好きですぅぅ隊長、愛してるぅぅぅ!」
何でもいいから早く安全な場所に移動してほしいのだが、マユリは指を組んで目の前にいる神様(サクヤ)を号泣して拝み倒している。ちなみにマユリが本当に愛しているのはサクヤではなく魔ガンである。
「何やってんだマユリ! 邪魔で仕方ねぇ! さっさと下りて来いボケ、タコ、メガネ!」
下ではリュカが喚き散らしているのを受けて、マユリはフグ口を作りながらもようやく降下してくれた。五階から、直に。「とうっ」という簡素な掛け声を残して。
「うわああ! 何やってんだあいつ! 馬鹿かぁっ!」
リュカが絶叫して駆けつけるも、マユリは屋敷内で見つけた簡易パラシュートを開いて美しく着地する。使ってみたかったらしい。恍惚の表情を浮かべて一人余韻に浸っていた。
「居たぞグングニル! 地上から撃ってる! あいつらにニーベルングを撃たせるな!」
 屋敷内からは勇敢な、あるいは無謀な戦士たちが湧いてでてきた。よくぞこの人数潜んでいたものだと感心してしまう、二十名弱のレーヴァテイン構成員、その中の数人は魔ガンを所持しシグたちめがけてまっしぐらだ。
「また面倒くせぇ展開に……」
上空のニーベルングと迫ってくるレーヴァテインを交互に見ながらバルトが後頭部を掻きむしる。優先すべきはどちらか、考えている内に撃たれた。
「バルト! 飛べ、死ぬぞ!」
シグが言うが早いか転がるように茂みの中にダイブした。バルトも訳も分からずそれに倣う、直後二人が元居た場所の地面が爆音と共に吹き飛んだ。地雷が埋まっていたわけではない。レーヴァテインの構成員が撃った弾が地面に着弾しただけのことだ。バルトは尻もちをついた状態で目を丸くした。視界が砂煙で黄土色に濁る。
「ど……どちくしょうがぁ! 素人の手出す代物じゃねーんだよ!」
「人に向けて撃たないでくださいって取説に書いてあるんだけどな。読まないのかな。それとも不正に入手したから説明書がついてなかったか」
シグは皮肉を漏らしながら、連中に向けてヴォータンを構えた。
「シグ、おいっ」
「ここまできたらもう正当防衛だ。グングニルと撃ち合いたいんだろ? ニーベルングよりこっちの蠅の方が百倍目障りだ……!」


 何度となく轟く爆発音と地鳴り、そして揺れる屋敷。おそらくニーベルングと八番隊が交戦しているのだろうが、それにしてはやけに手際が悪い。自分がここで無様に捕らわれていることと無関係とは思えないからやるせなさが募った。
 ナギとシスイだけが残る五階の一室。今にもくずれそうな勢いで攻撃されているのに、シスイは少しも動揺を見せない。小刻みに揺れるティーカップの方がよほどこの場にふさわしい反応である気がした。
「あなたは逃げなくていいの……?」
「私ですか? まだその段階までは時間があります。さっきの魔ガンの攻撃も、どう考えてもバーストレベルの低い威嚇という感じでした」
「よくご存じ」
皮肉を言ったつもりだったが、シスイは嬉しそうに微笑んだ。
「それに、本題をまだお話していませんでしたから」
ナギが胸中で身構えたのを見透かして、シスイはまた穏やかな笑みを作った。安心させるためだったのかもしれないが、それがひどく不気味だった。
「あなたとは随分昔に一度きり、とある特殊な場所でお会いして以来です。……特殊な状況といった方が正しいかもしれません」
「人違いじゃないですか。私はあなたのことをレーヴァテインの代表ということくらいしか知らない」
「私もですよ。今のナギさんについては、ほとんど何も知らないと言っていい。声も今日初めて聞きました。声が出るようになったという事実を知れただけでも大変喜ばしい」
 ナギの中で、一度大きく心臓が跳ね上がった。
「……は……?」
耳鳴りがする。遠くで、近くで金属を引っ掻いているようなとんでもなく不快な音が脳内に響き渡る。警告音なのかもしれない。これ以上、この男の言葉に耳を傾けるなという本能からの警告。
「あなたが私のことを覚えていないのは仕方ありません。生きるために必要な措置だったのでしょうから。しかしもうその段階は終わった。考えてみてください、あなたの存在は全人類が求めているもの、世界に還元すべきチカラだ。何故あなただけがそのチカラを持つのか、偶然か、必然か、その謎が解明すればこの世界の混沌は解消される」
「言っている意味が、分からない」
「逃げるのですか?」
 一定の距離を保って会話をしていたはずが、いつの間にか目の前まで詰め寄られていた。この男は良くも悪くも人の心を揺さぶることに長けているのだろう。理解はしていても対処ができない。シスイの言葉と自分の鼓動がたたみかけるようにナギの頭に鳴り響いていた。
「あなたはもう充分に逃げた。この上まだ猶予が必要ですか。恐怖? 欺瞞? いずれにせよ自己犠牲精神が欠落していると言わざるを得ない。確かなことは、あなたが巫女として選ばれたということ。それを自覚すべきだ」
「なるほど。あなた方の言う巫女っていうのは生贄と同義みたいですね」
 暗示でもかけているようにスローモーションで発せられていた言葉の中に、突如としてあっけらかんとした感想が乱入してきた。扉の前にサクヤが立っていた。よりにもよって魔ガンの銃口をシスイに向けて。