episode iii 家畜に首輪を与えてはならない


 久しぶりに夢を見た。
暗い、暗い、広いのか狭いのかも分からない、ただ真っ暗な空間にうずくまって座っている。しかし私はその場所をよく知っているような気もするのだ。だからどうしなければならないのかも何となく分かる。一言もしゃべらず息を殺し、目を閉じ、耳を塞いで死体のように静かにじっと待てばいい。今までもこれからもそれで良いはずだ。
 だけどこれだけはよく思い出せない。──私は一体、何を待っていたんだろう。


 *


 中央区の第二主都、グラスハイム市の全景を見下ろせる高台のそのまた上に、対ニーベルング機関《グングニル》の本部がある。魔ガンの管理開発を担う整備塔、本部所属の小隊の執務室や室内訓練場のある演習塔二つ、医務室、図書室、食事室、ついでに娯楽室まで完備した隊員宿舎塔三つが、司令部のある主塔を取り囲むように配置されている。
 その主塔にあるグラント少佐の執務室に、サクヤは早朝から呼びつけられた。少佐は一番隊隊長と、本部所属の小隊すべての統括責任者を兼任している。各塔に執務室を持つ彼だが小隊への司令は概ねこの主塔で言い渡す。
「……なんだその顔は。何か不明点があるか」
 次の作戦概要を言い渡された結果、少佐が受け流せないほど露骨にサクヤは間の抜けた顔を晒すことになった。
「はあ。不明点といいますか……そこは確か、随分前に居住放棄した地区では」
少佐の机の上に申し訳程度に広げられた地図、やけにざっくり丸がつけられている箇所に視線を落とす。中部、ヨトゥン地区は二―ンベルングの基地化が進行している現在の「最前線」である。提示された地域はその先、例の「西部戦線」に心なしか食い込んでいるように見えるのだが。
「それが何かね」
そうどっしりと居直られると何も言えない。食い下がっても意味がないどころか寧ろ逆効果だろう、反論はしないことにした。が、少佐はそんなサクヤの胸中を的確に読んだ。
「いいか、我々の目的はニーベルングの『殲滅』だ。人がいようがいまいが関係はない。ニーベルングがのさばっているところへ行って、粛々とそれらを片づけてくる。今さらその作戦内容に何の疑問がある」
「いえ、ありません」
「であればさっさと出動したまえ。能力に見合った活躍を期待している」
 サクヤは短い返事をして執務室を辞去した。廊下を歩きながら思いきり溜息をつこうとした矢先に、少佐の執務室の前に立った人影を目にし吸いこんだ息をそのまま呑みこむ。
(まるで伏魔殿だな……ここは)
 元帥の右腕ともいわれるメイガス大佐がノックの直後に室内に入っていく。今回の作戦立案にはおそらくタカ派の彼が関わっている。それが知れているからといって──執務室に入る大佐の姿を見送って──どうすることもできないというのが実情だ。
 今度こそ小さく溜息をついて、サクヤは重苦しい回廊を八番隊執務室に向かって早足に進んだ。


 第二防衛ラインに向かう貨物列車に便乗して二時間、八番隊は大陸中部のヨトゥン地区へやってきた。かつての第一防衛ライン(西部戦線)に隣接するヨトゥン地区の二割は、既にニーベルングの基地と化している。今回八番隊が赴いたのは、その二割に該当するかしないかという瀬戸際の地区だ。目指すのはイーヴェルの街──現在は、そういう名前の無人の廃墟群に過ぎないが、かつては農業の盛んな比較的活気ある街だったようだ。一年前、ニーベルングの大襲撃を受けてここも壊滅している。
 第二防衛ラインから街外れまでの移動手段は徒歩しかないから、今回もいつものように緊張感無くてくてく連なって歩いていた。
「眠そう」
 定期的にあくびを漏らすシグ、その瞬間をとらえたナギが下から覗きこんできた。
「昨日あんまり寝てない」
「知ってる。遅くにどっか出掛けてたでしょ。非番の日の生活リズムがめちゃくちゃ……」
あくびの名残の涙目のまま、シグはあきれ顔のナギを見つめ返した。
「また俺のストーカーしてる……」
「そうじゃなくて心配してる」
軽くからかったつもりだったが、ナギは乗ってこなかった。
 シグの知る限りでは、ナギはいつも誰かの心配をしている。こう言うと極度の心配性のように聴こえてしまうが、隊員全員のことを細かく気にかけているのは確かだ。満遍なく、平等に、分け隔てなく八番隊の精神面を支えてくれる。それがシグには時に鬱陶しく感じられるのだが、顔に出すと五倍面倒なのでポーカーフェイスで乗りきる。サクヤのように愛想よく「大丈夫だよ」などとは口が裂けても言えない。
「気にしすぎ。作戦に支障は出ないから」
作戦、と口にしてから無性に気持ち悪さを覚えた。何をどう解釈しても今回の司令はレーヴァテインとの交戦の件に関する当てこすりだ。西部戦線送りとまではいかなくても、かなり近いところまでわざわざ緊急でない討伐に派遣される。大変露骨で嫌味な処置ではないか。
「殲滅って言われてもな。何をもってミッションコンプリートとするかが謎すぎ」
独り言のつもりで呟いたのだが、これにはバルトがくいついてきた。
「いいとこ二三体狩って、泊まると経費かかるから日暮れ切り上げで退散。要は真面目に従順に仕事をやりましたよってアピールをすればいいわけだ」
「更に言えば、グングニルが第一防衛ライン復帰のためにちゃんと動いてますよってアピールにもなる。こっちは世論向けだがな」
サブローも眼鏡を光らせて補足してくる。説明を求めたわけではないので、シグは生返事をしただけで話を広げようとはしなかった。
「それにしても静かだよな。建物があるのに完全な無人っていうのも、フォールバングとは別の意味で不気味というか」
 サブローの言うとおり、郊外であるからちらほらという感じではあるが住宅や商店がほとんど倒壊せずに残っている。作物はないが畑も。時折目に留まる主のいない三輪車や転がったままのボールなどがここで確かに生活していた人の、生き物の証のように思えて胸が痛んだ。
 そういう無機物たちをどこか別世界のモノのように眺めながら、リュカは堪え切れず、先頭を歩くサクヤを呼びとめた。黙っていることに疲れたわけでも、愚痴を言いたいわけでもない。ヨトゥンに来たからには一言でも二言でも話しておきたい事柄があった。サクヤもそれを待っていたように振り返る。
「隊長はここに来て、ひょっとしなくてもリュートのこと考えたりしちゃってる?」
とぼけたようにふるまうリュカに合わせて笑ってやりたかったが、サクヤはあえてふるまわなかった。
「……こんな郊外までやってきたとは思えないけどね。どういう風に戦ってどういう風に散っていったか……いや少し、違うかな。最期に何を見て何を思ったか、考えてるよ。ここに来なくてもたまに」
「うわ暗っ。そんなの考えても無駄っすよ、インテリぶっててもな~んも考えてない奴だったでしょ」
「そういうところが気が合ったんだろうなー」
「……それは、そうかも」
 リュカが話題にあげたのは彼の兄。グングニルきってのエリート部隊二番隊の隊長を務めた男で、サクヤの親友で、二年前このヨトゥン地区で隊ごと壊滅して死んだ。第二のヘラ・インシデントとも言われる想定外のニーベルングの大襲撃に対し、一個小隊で迎撃に出たのがリュカの兄・リュート率いる二番隊だった。そして鎮圧している。但し誰ひとりとして帰っては来なかった。