episode iii 家畜に首輪を与えてはならない


「サクヤ隊長はちょっとさ、いやかなり? リュートに似てると思うんだよね。頭いーのに変なとこ適当だったりぶっとんでたり。二番隊ってそんなのばっかだったの」
「うーん? どうかな、逆に八番隊に似てるような気はするけど……」
「じゃあやっぱり、変なのばっかじゃん」
 リュカが力なく笑う。こんな風にリュートの話ができるのは、グングニルではおそらくサクヤだけだ。皆が知っているのは「エリート部隊二番隊隊長、リュート・バークレイ」という英雄であり虚像である。二番隊壊滅から、リュートの死から二年が経った。最近はもう笑って話せる。
 昔話も交えながら歩いているといよいよイーヴェルの市街地が見えてきた。ぽつぽつと建っていた住宅が密集するようになり、広大だった畑の面積も小さくなる。小さな公園があり、教会があり、家々の前には花壇があった。そしてその予想外の光景に、まずはサクヤが目を見開いた。
「う、わ……何これ。なんかの花だよね……?」
次いでナギも。眼前に広がる異様な世界に口元を覆う。住宅の花壇にも、教会の片隅にも必ずと言っていいほど漆黒の花弁を持つ花が咲いていた。良く見ると葉や茎まで黒いものもある。風が吹くたびに首をもたげるように揺れ、静かに、厳かに、無人の廃墟に咲き乱れる。
 圧倒される隊員たちを尻目に、サクヤは花のひとつに顔を近づけてよくよく観察した。そして割に早い段階で気付く。彼はこの花を知っていた。大抵の植物の知識は大学の頃に頭にたたきこんだが、それとは違う意味でよく知っている。
「ユキスズカだ。見たことない色だけど」
「なにその意外性たっぷりのかわいい名前……。どこをどう見ても“ユキスズカ”って感じじゃないけど」
「いや、僕が知ってるのは白い花だよ。花弁もがくも、葉の形状も一致する。寒冷な高地に咲く季節を問わない花なんだけど……」
「黒いよそれ。真っ黒。こわいくらい」
花を見て心が和まないどころか鳥肌が立ったのは生まれて初めてだ。突然変異で一本生えちゃいましたというならまだしも、そこら中でゆらゆら揺れているからこの上なく不気味である。
 サクヤは口元に手を当てて何かを考え込んだ結果、意を決したように一株まるごとを掘り返した。あろうことか根まで黒い。絡みついた土を払い落しながら視線の位置まで掲げてまじまじと凝視する。このあたりの一連の行動を止める者は生憎八番隊にはいない。変人隊長が奇行に走るのはある意味で普通のことだ。心行くまで根っことのにらめっこを堪能させておくが吉である。
 しばらくは放置する予定だったが、サクヤが周辺の土掘りに精を出し始めたところで流石にナギが待ったをかけた。このまま放っておくと彼は平気で日暮れまで土いじりをしかねない。
「サクヤー、みんな待ってるよー? 興味があるのは分かるけど、ひとまずそのくらいに」
「ナギっ、見て!」
サクヤが気色満面で披露してきたのは、彼の手のひらの上で踊るミミズ。しかもでかい。あんたは小学生男子かという至極まっとうな突っ込みは何とか喉元で留めておいた。
「これだけ大きなミミズがいるってことは、土が健康な証拠だ。つまりニブル汚染されていないってことになる。じゃあなんで黒いユキスズカ草が咲くのかっていう──」
「サクヤ」
 口には出さないまでも、ナギの諭しかたは小学生男子に対するそれだった。熱弁を振るう、いや振るいかけたサクヤも一瞬で黙る。他の連中は少し離れた位置から二人のやりとりを見守っていた。この手の隊長あるあるは、ナギに丸投げするのが一番だというのが全員の共通認識である。
「はい、とりあえずその黒い花はしまいましょう。ミミズも戻す。今は優先すべきことが他にありますね? 作戦の本質を忘れないように」
いつしか八番隊の合言葉のようになったサクヤの決まり文句を、ナギが悪戯っぽく流用した。
「だね。一旦どこかでブリーフィングに入ろう。このままニーベルングと遭遇しないっていうのが一番困る」
気恥かしそうに微笑をこぼして、サクヤは黒い花をハンカチでくるむと大事そうに懐にしまった。さあ、作戦の本質とやらにようやく回帰かという矢先。
「……ナギ、どうしたの」
「わ、分からない。でも何か……いる、と思う」
 ナギは一人、自分の背後に魔ガンを向けていた。全身の毛が逆立つような恐怖感がある。振り向いて魔ガンを抜くほんの数秒の間に背中も脇も冷や汗で濡れた。ナギが注視する先にサクヤも視線をこらした。黒い花の揺れる、古い教会の入り口。
「ちょっと! 何? ニーベルング!?」
アンジェリカが。
「おい、紛らわしい行動はよせよ……またサブローがびびってんだろ」
バルトが。
「ナギちゃん探知機発動中? 総員要警戒せよ~」
マユリも、言うまでもなくサブローもリュカも気がつかない。感じないのならその方がきっと幸せだ。ナギの呼吸が乱れる。合流してきた中でシグだけが、ナギと同じように血相を変えて魔ガンを引き抜いた。
「何かいる! ……おいっ、言ってることが分かるなら出て来い! でなけりゃ撃つ!」
魔ガンを向けているということはニーベルングである可能性を視野にいれているということになるのだろうが、もしそうなら言葉が通じるとは思えない。逆に人間なら構えるのは魔ガンである必要はない。自分でも理屈に合わないことをしている自覚はあったが、腕を下ろす気にはなれなかった。
 やがて誰にも分かる確かな物音が響く。予想に反して、小動物が動くような微かな音だった。教会の入り口を中途半端に閉ざしていた両開き扉が、ゆっくりゆっくり内側から開かれた。
「冗談、だろ」
リュカが半笑いで後ずさった。そういう反応ができただけマシな方かもしれない。他は皆、ただただ自身の眼を疑って息を呑むしかなかった。
 扉の前に子どもが立っていた。骨と皮しかないような痩せこけた体に薄汚れた服と伸びきった髪が不釣り合いに乗っかっている。
 シグは教会入り口から目を背けて魔ガンを下ろした。対してナギは、視線も腕も動かせないでいた。子どもの顔全体を覆い尽くすような前髪、その隙間からのぞく生気の無い眼に自由を奪われているかのようだった。
「ナギ……下げるんだ。ニーベルングじゃない。人だよ」
サクヤが静かに諭す。見たままを敢えて言葉にして説明しなければ心が理解しない。それでも動けずにいるナギの前に出て、突きだされていた腕を上から押し下げた。
「アンジェリカ、あの子を頼めるかな。ナギとマユリも一緒に。分かってると思うけど刺激しないように」
「お任せを」
「僕らはこのままここで話すから、大丈夫なようなら呼んでくれ」
「分かりました。そちらも何かあれば呼んでください。ナギは……大丈夫?」
「うん、ごめん。大丈夫」
ナギは自分の動作を確認するように、しっかりと魔ガンのセーフティロックをかけた。神経質すぎたのかもしれない。結果自分の行動で隊を煽ってしまった。他の二人には見えないように小さく嘆息したつもりが、アンジェリカから即座にでこピンを食らう。
「あんたが気付かなかったら誰も気付かなかったかも。そう考えたらお手柄じゃないの?」
「まあね。そうしとこうかな」
「そうしときなさいよ。あの子が死ぬほど恐がってるとしたらナギにじゃなくて、シグにだから」
冗談にならない冗談だが思わず笑ってしまう。しかしそれも自ら中断してしまった。
 教会の入り口で、少年は微動だにせず突っ立ったままだった。死ぬほど怯えているようには見えない。そしてナギたちの存在を歓迎しているようにも見えない。こちらを見ているのに何も見ていないし、そこに居るのに居ないようでもあった。アンジェリカも同じように思ったのかもしれない、一瞬目を伏せると長い睫毛が影を落とした。
「行くわよ。私たちは私たちのやるべきことを」
 アンジェリカに続いて、ナギとマユリも教会へ向けて歩き始めた。