その後も彼女の的確な索敵と、ナギの柔軟な判断で四人は指定された退路まで辿り着くことができた。建物らしき残骸は数えるほどになり、開けた野原に整備されたとは言い難い農道が曲がりくねって通っている。これをひたすら辿れば、ヨトゥン地区の主要都市にあたるウトガルドへ続く街道へ出られるはずだ。
膝下ほどまで伸びた雑草に埋もれるように、先着三名が疲労困憊といった様子で座りこんでいた。息を切らして歩いてくるナギたちに気づいてサブローが力なく両手を振る。シグものっそりと立ち上がった。リュカは座っているというより、帰宅後のベッドの上といった感じでくたばっている。静かにしてくれるならその方がいい。サブローが心底安心した、そんな深い嘆息で出迎えてくれた。
「良かったよ、とりあえず合流できて。バルトも。……隊長は?」
ナギが勇ましく先陣を切ってきたから、サブローは彼女に向かって労いの言葉をかけた。が、ナギはそんなサブローを素通りして脇目もふらず目的の場所を目指す。無言のままシグの胸座を掴んで思いきり平手打ちをした。魔ガンのそれとは違う、凄まじい音が静寂を裂いて鳴り響く。全員が唖然とする中、シグだけは分かっていたように少しだけ眉をしかめた。
「どうしてあんなこと!」
ナギはもう押さえなかった。懐からシグの銃を取り出して投げつけた。銃身と引き金に、小さな手の赤黒い血の跡がはっきりと残っている。シグはおもむろにその銃を拾い上げた。
「……死んだのか、あいつ」
「シグ、お前まさか」
成り行きを見守っていたサブローも、思わず口を挟む。ここまで状況証拠を揃えられたら察するしかないではないか。何より、ナギたちの中に少年がいないことが全てを物語っている。
「あいつは生きたくて生きてたんじゃない。手段を知らなかっただけだ」
「手段……? 手段って何!? それであの子に銃を渡したってこと!? こうなるの分かってて!」
堪え切れず、ナギは再びシグの胸座を掴んだ。今度はそこにサブローが割って入る。
「よせ、ナギ! 俺たちだって考えたことだっ。シグが悪いわけじゃない、ナギだって分かってるだろ」
「分かりたくないよ! ……助けたかった、エゴでも何でもいいから助けてあげたかった。なんでよ……シグ、なんで」
シグの襟を両手で握りしめたまま、怒りと悔しさで溢れてくる涙を止めることができなかった。ここに辿り着くまでかろうじてつなぎ止めていた平静がシグの姿を、声を聞いた瞬間にもろくも崩れ去った。
「は? ちょっと、ちょっとちょっと。何? なんでナギ泣いてんの? サブさん……? 何やらかしちゃってんの、何うちのナギ泣かしてくれちゃってんのコラ」
状況をよく理解していない状態で、リュカ参戦。とりあえず一番うろたえているサブローが、よく分からないが諸悪の根源なのだろうと判断した。たぶん間違ってない。いや、間違ってなどいない!
「ありえねえ! サブさんの分際で!」
「違う! よく見ろシグだ! たぶんこいつが全部悪い!」
「は? 怒らせたのは俺ですけど……泣かせたのはサブローさんでしょ」
「待てよっ、おかしいだろ!? なんで俺が混ぜられてんだよ、とばっちりだろう? 仲裁に入ってんだよ俺はっ」
「いや、だから。仲裁に入った結果、サブさんが俺を庇うような発言をするからナギが傷ついてるんでしょ?」
シグはこれが正論だと言わんばかりに極端に片眉を上げて対抗した。リュカはよく状況を掴めていないので、この期に及んでも「それっぽい」ものに賛同する。男三人がナギを囲んで論点のずれた口論を繰り広げる締まりの無い喧噪の中、ナギの滲んだ視界にもうひとつの人影が映る。
「……サクヤ?」
ナギの呟きで、喚き散らしていた男どもがぴたりと黙る。農道を辿って、老人のように弱々しい足取りで歩いてくる人影。こちらに気づいてやはり弱々しく手を振った。
「サクヤ隊長~! いぇ~い、生きてるか~い?」
リュカの興味はナギからサクヤへ瞬時に移る。満面の笑みで両手を振ると、サクヤもそれに応えて彼らしい笑顔をこぼした。
「なんだよ隊長、ぼろぼろじゃねえか」
「たいちょー! おかえりー!」
一人では立っていられないバルトからどつかれる。加減を知らないマユリからジャンプで抱きつかれる。一週間ほどどこかでサバイバルしてきたような煤けた肌と焦げた制服を見て、アンジェリカが悲鳴をあげ、バルトを放って怪我の有無を丹念にチェックし始める。
サクヤは自己申告通り、ニーベルングが隊員を追わないように教会周辺に敢えて留まってしばらく戦闘を続けた。そして限界をきちんと見極めて、こうして無事(とは言い難いが)に帰還した。隊員からの手荒な労いの儀式を一通り終えると、問題児二人の方へやってきた。すなわち、涙目のナギとそのナギに襟元をぐっしゃぐしゃにされているシグだ。
「そうだ隊長! シグの野郎がっ。」
先手必勝とばかりにサブロー。それを受けてリュカも思い出したようにサブローを指さした。
「隊長、あいつです。ぼく見てました。キサラギ准尉が話をややこしくしたと思われます」
「……その点については、俺も同意」
シグもなんだかんだでサブローも巻きこんでおきたいようだ。
サクヤは当然何がなんだかわからずに後ろ手に頭をかく。思っていたより緊迫していないことに拍子抜けし、ひとまずナギの出方を伺うことにした。
「目、赤いよ」
「……違う。これは、その、さっきでっかい虫が突撃してきて、もう問題ないから」
もう少しまともな言い訳はなかったものだろうか、自分でもそう思うが思いつかなかったものは仕方がない。サクヤもそれを採用してくれるようだ。何度か適当に頷いて──
「・・・・・・え!?」
目を剥いて驚いた。え?とは。一体全体その反応は何なのか。
「眼球に直接ダイブしてきたってこと? それってニブル汚染してるんじゃないかな……アンジェリカ、すぐ洗浄──」
サクヤの混乱した心配は、あえなく中途半端に終わることになる。彼は高速で振り返り、そのまま電池が切れたように草むらに倒れこんだ。
「ちょっと! サクヤ隊長っ」
「ほんと、いい感じに空気を読まない人だな……」
派手にダウンしたサクヤに駆け寄って青ざめるアンジェリカと、悠長に構えるサブロー。外傷はないのだから後者の反応の方が適当な気がするが。
「頭部を強打してきたんじゃないかしら……。なんかまた、馬鹿な発言が際立ってた……」
「いや、アンジェリカ。それ通常仕様」
今度は二人揃って神妙な面持ちで頷き合う。いずれにしろ体を張って殿を務めた部隊長にする仕打ちではない。全てを終えて泥のように眠るサクヤ、彼の寝顔に毒気を抜かれてナギは深々と長い溜息をついた。
*
その日の夢はいつもと少しだけ違った。
暗く深い闇の中、私たちは何かを待っていた。そして私は温かな光を、あの子は冷たい銃を渡された。どこに違いがあったのだろう。私たちは、それぞれに望んだものを手に入れたのだろうか。
暗く深い闇の中、目を閉じると渇いた銃声が蘇った。