extra edition#2 小匙一杯の罪と罰



 頭の中で計画は入念に練られていた。そしてそれは予想以上に順調にすすんでいる。
 まずとりかかったのは、成績を徐々に落とすこと。単純な運動能力から魔ガンの命中率に至るまで、記録に残るものは須らく右肩下がりになるよう仕向けた。しかしながら、それもある一定のラインでとどめておかねばならない。全隊員の平均よりも少し上、目安は六番隊隊員の上位層。これを下回ると離職を打診される惧れがある。それだけは避けねばならない。
 同時並行で、医務室に通う頻度を上げた。作戦の前後どちらかで体調不良を訴えていた、という事実が残ればいいのだが、念には念をいれておく。証言者は多く、確実なほうが良い。
 これらを周囲の記憶と公式の記録に残していく。それだけで、彼の計画の大部分は成功を収めたも同然だった。数字は嘘をつかない。それは、多少なりとも周囲に植え付けてしまった自分の印象というやつを帳消しにする力がある、ということだ。相手が上層部の人間ならなおさら容易かろう。彼らにとってのサブロー・キサラギの評価は、もとよりニーベルングの討伐数
ではなく、グングニル機関への出資額なのだから──。


 グングニル本部塔、大会議室の中央付近に陣取っていたサブローは、誰あてなのか自分でも判別できない嘲笑を静かに浮かべていた。今日、これから始まるニーベルング掃討作戦は、サブローの計画のフィナーレでもある。本部二番隊指揮のもと、三番隊、六番隊、七番隊、さらには中部支部の精鋭部隊までかき集めての大規模な討伐作戦だ。
「場所はヨトゥン地区最北部、ギンヌンガ峡谷。半年に及ぶ我々の努力によって、第二防衛ライン周辺に巣食うニーベルングをここまで押し戻すことができた。今回の作戦では、ギンヌンガにかたまったニーベルングを一掃。新たな防衛ラインの構築をはかる」
 壇上では二番隊隊長による最終確認が続いている。サブローは、形だけ配布された薄い討伐資料に目を通した。想定はバーディ級~イーグル級数十体、二番隊隊員を小隊長に据えた小規模な部隊編成を行い、これをたたく。シンプルだ。このシンプルさに持っていくまで、グングニルは全機関全勢力をあげてその下準備をすすめてきた。ヨトゥン地区の多方面で戦局を同時展開し、ニーベルングの移動の流れをコントロールする。敗走するニーベルングが最終的に向かう先がギンヌンガ峡谷に一極集中するよう、戦場は綿密に設定された。相当数のニーベルングをギンヌンガで一網打尽にするというのが主目的ではあったが、それは同時に、力のあるニーベルングを前もって個別に撃破するという点でも二重に成果をあげていた。戦闘は、目に見えて効率よく行われるようになった。
 サブローにとってこの期間は自身の「計画」の真っ只中でもあったから、他の連中の二倍は気を遣ったという自負がある。おかげで彼の計画と作戦の最終局面はきれいに合致することになった。
(これでうまくいけば、晴れて後方支援部隊……。最悪でも六番隊に異動は固いだろ)
 資料に目を通しているふうを装って、サブローは前列に座っている通称「付属隊」に視線を走らせた。常に50人以上の隊員を抱える六番隊──欠員は出てもすぐに補充される。質よりも圧倒的量を武器にする部隊。この作戦が終わり次第、サブローが転属願いを出そうと考えている候補のひとつだ。いや、うまくいけば自ら申し出るまでもなく辞令がおりるかもしれない。望み通りの結果を手にするためには、今回の作戦、何が何でも期待される「以下」の働きをしなければならなかった。この大舞台でしかるべきヘマをする、思ったより骨が折れそうだ。
(これで解放される。最後だ、慎重にいかないとな)
 サブローは振り分けられた小隊の顔ぶれを一瞥して、胸中で先んじて謝罪の言葉を述べた。特にこの小隊の隊長となる、自分というジョーカーを引き当ててしまった不運な二番隊員に対しては念入りに。と思って顔をあげた。見たことのある顔だった。二番隊の中でもあらゆる意味で有名な男だ。
「二番隊所属サクヤ・スタンフォード少尉。今回は大規模な作戦ではあるけれど、僕らのすべきことは基本的に変わらないわけだし、あまり気負わず、丁寧にやっていこう」
 二番隊ツートップの変わり者の方。サブローがサクヤに持っていた印象と情報はその程度のものだった。追記するなら、何の因果か、この大規模作戦の発案者がサクヤらしいということだろうか。公式に発表されたわけではないが、機関内では周知の事実として広まっていたから、サブローも当然そのことは知っている。だからこそ、心の底からご愁傷様──さわやかに自己紹介を済ませる隊長殿に気づかれないように、哀れみのまなざしを送った。この男には、今日絶対的な失点を背負ってもらうことになる。申し訳ないという気持ちはほとんど持たなかった。
高揚も緊張もない、他人の物のようなしらけた感情が胸中に居座っていた。


 サブローのこの込み入った、極めて個人的な作戦を実行するきっかけは三か月前にさかのぼる。ある日の戦闘で、サブローは同じ七番隊の同僚一名を魔ガンの砲撃に巻き込んでしまった。巻き込んだ、といえばそこはかとなく過失に聞こえる。実際はほとんど直撃させたようなものだった。イーグル級ニーベルングを挟撃した際の連携ミスで、爆煙が晴れぬ間に号令通り撃った結果がそれだった。同僚は幸い一命をとりとめたが、全身火傷を負いグングニルを去った。
 それ相応の責任を負うものだと考えていた。覚悟もしていたと思う。その正しい想像は、たった一人のたった一言によって、現実になることなく泡のようにかき消える。
「キサラギ准尉はさ、まあ、わかってると思うんだけど。俺の号令も、君の行動も無かったことにしたほうが、まるく収まるよな? あいつも、それでいいらしいからさ。グングニル辞めるなら名誉とかいらないしな。俺も君も、まだいるでしょ、名誉」
 七番隊隊長──当事者のひとり、そしてこの案件の責任者だ。彼が発したいくつかのフレーズに、サブローは確かに嫌悪感を抱いたはずだった。それにも関わらず、即座にノーとは答えられなかった。
 キサラギの家は、ラインタイト鉱山と加工場、加工技術で名を挙げた商家で、そこそこの伝統とそこそこの資産でそこそこの地位を築いてきた。その「そこそこ」とは、グングニル機関に多額の出資をすることで運営に口出しができるほどのものである。その恩恵を享受してきた自分としては、そのときその瞬間、口をつぐむ以外の選択肢はなかったように思えた。そして今はその選択を、吐き気がするほどに後悔している。
(何が名誉だ……。くそくらえ)
 自分自身には必要ない。あると思ったことがない。それが「キサラギ准尉」には必要とされるものだとしても、それこそ「そこそこ」でいいはずだ。
 結論はすぐに出た。キサラギ家の嫡男として最低限必要とされる名誉を確保したうえで、この腐りきった前線部隊を去る。グングニル機関の隊員名簿に名前が残ってさえいればいいのだから、一番てっとり早い方法として後方支援専門である九番隊への配属を願い出た。が、受理されなかった。元々士官候補として入隊しただけでなく、自分のこれまでの戦績は一定の評価を得ている。前線で使える限られた駒を、支援に回すメリットが機関にはないのだろう。
 だったら──自分を前線で使うことのデメリットを「そこそこ」知らしめてやればいい。
 ──こうして三か月間、サブローは自らが定めた匙加減を完璧に守りながら作戦を進めてきた。幸いなことに、彼は長期戦を苦とするタイプではなかったから、精神的にぶれるようなことは一度もなくここまできた。


 ヨトゥン地区の中央都市ウトガルドから貨物列車で小一時間、現在はほとんど機能していない最北端の無人駅に着く。そこから徒歩でさらに半時ほど進むと、視界から木々が消え、街が消え、切り立った崖に囲まれた砂礫だけの世界が広がる。
 人の手で整備された形跡はあるものの、それが随分昔であることもうかがい知れる山岳路を、サクヤ率いる特別編成小隊は列をなして進んだ。サクヤは隊長のくせに隊の先頭を歩かず、いろいろなグループに交じっては談笑を交わしている。作戦内容に関わることもあれば、全然関係のないプライヴェートの話を真剣に語り合ったりもしていた。時折どこかでどっと起こる緊張感のない笑い声の中心には、必ずサクヤの姿があった。
「最高層には三番隊と僕らの小隊が陣取ることになる。僕らの主な任務は、三番隊の狙撃をかいくぐってしまったニーベルングを近接戦闘で堕とすこと。言い方はあれだけど、三番隊の盾として機能すれば十分かな」