extra edition#2 小匙一杯の罪と罰


「積極的には狩らない、ということですか?」
「その必要がないといったほうが正しいかもしれないね。渓谷を通り抜けるのに、ここまでわざわざ昇ってくるニーベルングはそういない。待ち伏せされていることに気づけばなおさら、身を隠す場所の少ない最高層を逃走路には選ばない。そういうニーベルングは中層に陣取ってる他の隊に任せたほうが話が早いはずだ」
「ははは。隊長の口ぶりだと、まるでニーベルングが逃走計画を綿密に練ってるみたいに聞こえてこわいですね」
 サクヤは柔らかく微笑んで返すだけで、否定も肯定もしない。サブローは近くで話に耳を傾けてはいるものの会話の中に参加するつもりはなかった。つもりはなかったが脳が勝手に思考を始めてしまう。
(そういう意味合いじゃないのか、今の……)
「だとしたら、最高層は仕事が少なそうですね。せいぜいはぐれ者の相手ってとこですか」
「うーん、どうかな。僕らのところまで昇ってくるニーベルングがいるとすれば、逃げるためじゃなく、狙撃手を一掃して他のニーベルングの逃走を助けるためってことだろうから」
サクヤが至って真面目に答えるものだから、周りを囲んで歩いていた隊員たちは一斉に笑いを噴出した。
「なんすかそれっ。主人公みたいなやつっすね」
「いやいやいや。主人公の相棒タイプじゃないか?」
(……まただな、この人)
 それは隊員たちの緊張をほぐすための、他愛のない冗談のようにも聞こえた。実際、多くの隊員はそのように受け取って、利他行動にあけくれる健気なニーベルングを想像して笑った。
 サブローだけはそうしなかった。彼はこの三か月間は常に、自らに緊張を科している。今このときもそれに変わりはないから、彼が冗談に笑うとすれば、そうしたほうが自然だと判断したときのみである。場に溶け込むという意味では、今回は笑い飛ばしたほうがよかったのかもしれない。が、口をついて出た言葉は、自分でも予想外のものだった。
「つまり、捨て身でかつ好戦的なタイプがやってくる、と?」
 サクヤは一瞬だけ意外そうな顔をして、また否定でも肯定でもない曖昧な笑みを浮かべた。
「来るとすれば、だけどね」
 そうですか、とだけ返してサブローは一旦サクヤから距離をとることにした。下手に興味を持たないほうがいい。もう少し言えば、興味を持たれるような言動も慎むべきだ。自分はあくまで背景。顔も名前も誰にも覚えられない、どこかの隊のなんとかさんであるほうがいい。
 そう改めて思いなおした矢先。
「七番隊のサブロー・キサラギ准尉、だよね」
「そう……ですが。何か」
胸中でここぞとばかりに舌打ちした。先刻の考えなしの自らの発言を悔いて悔いて悔いまくる。サクヤは見たことのない虫でも発見したかのように瞳に熱を帯びていた。興味を持たれたことは明白、加えて名前まですでに知られているではないか。
「ここ最近の准尉の成績なんだけど、あれは何か意図があって調整してる、のかな」
「……はあ? どういう嫌味ですか、それ。成績がふるわないのは確かですが」
 心臓が大きく、一度跳ね上がった。それが顔に出ないように、努めて冷静にふるまった。
 こいつ──同じ隊でもない自分の成績をチェックされていたのみならず、完璧に自然に見えるように計算してきたその「不自然さ」に勘づいている。いや、そう判断するには尚早だ。当てずっぽうか、本当に嫌味の可能性だってある。
「成績が、ふるわない」
サクヤのオウム返しで、今度は眉間にしわが寄った。
「──いや、でも君は」
「ここのところ調子がいいほうではありませんが、最善は尽くします。ご心配いただきありがとうございます」
 言葉尻をとって会話を強制終了させた。これが今とれる最善の策だと判断した。そうでないとこの男は、何を言い出すかわからない。よりにもよって証人が多いこの状況下で。
「うん、まあ。そうだね。ここに密集してるニーベルングは、ほとんどが以前の作戦で敗走した連中だし、いつも通りで問題ないと思うよ」
「いつも通り」
今度はサブローのほうがオウム返しをした。違和感のある言葉だった。臓器がざわつくような、不快感があった。それでもポーカーフェイスを保つことに努めた。そんなサブローとは裏腹に張り付けたような笑顔を惜しげもなく作るサクヤ。
 ──ジョーカーは自分じゃない、この男かもしれない。見透かされていることに気づくしかなく、サブローの鼓動は早鐘を打つばかりだ。自分をなだめるように深く大きく呼吸を整えた。
 これはあくまで最終局面だ。今まで積み上げてきた数字と印象がくつがえるわけではない。この場で何もしかけない、という最善手がサブローには残されていた。手札にジョーカーを残したまま勝負に出るのは得策ではない。可能な限りリスクとイレギュラーを排除するなら、フィナーレは次回に持ち越すべきだ。そう、幸いなことに彼は長期戦を苦とするタイプではないのだから。
 しかしながら、同じ結論に相手が至ったかという問題については、もう少し慎重になるべきだった。このときサクヤの持つ辞書からは、すでに長期戦という単語にまつわるページがまるごと破り捨てられていたのだから。
 指定のポイントに到着してからもなお、サクヤは他の隊員や三番隊と談笑を交わしていた。それを横目にサブローはガンチェックに勤しむ、ふうを装った。目に見えてわかるような大きな失態は犯さない。ただ、今日の討伐数は零に抑えたい。誰の記憶にも残らないように背景に溶け込む。それが、サブローが最終的に選んだ「いつも通り」のプログラムだった。
「これで本当に、ニーベルングが一掃できると思ってる?」
 三番隊の、とりわけ小柄な女性隊員がサクヤに気安く話しかける。確かユリィ・カーター曹長。顔見知りなのだろうか、サクヤも意外そうな顔はしない。
「まさか。そんなに簡単じゃないよ」
「……あくまで前線を押し上げることが目的」
「そうだね。それも正直……うまくいけば、っていうレベルだと思うけどね」
謙遜して言っているのではないらしい。それがわかるからユリィは怪訝そうな表情を惜しげもなくさらしている。
「よくわからない。だったら何のために?」
「……ギンヌンガは、ムスペル地区とヨトゥン地区を隔てる天然の関所みたいなものだ。ニーベルングがムスペル上空の亀裂から出入りする限り、侵攻するにも撤退するにも必ずここは通る。特定のニーベルングをおびき寄せて待ち伏せするにはこれ以上の場所はないと僕は思ってる」
「……その個人的な待ち人ためにこんな大がかりな作戦を?」
「大丈夫。力のあるニーベルングをたたくっていう目的から逸れてはいないよ。ニーベルングは無秩序に敗走してくるわけじゃない。群を統率して先導してくる、もしくは殿を務める奴が必ずいる。それが僕の待ってるニーベルングだと思ってるんだけど……。そうだな、ユリィならどっちを買って出る? 先駆けと、殿」
「ちょっとほんとに、意味がわからないんだけど」
 ユリィの言葉尻には明らかに不快がにじんでいる。サクヤはばつが悪そうに苦笑いをこぼしたが、言葉を選ぶには至らなかった。
「いや、小柄なのに立ち回りが大きいところとか、仲間思いで率先して動くところとかが何となくユリィに近い気がし……」
 サクヤが最後まで言い終わる前に、ユリィは何でもないように愛用のライフル型魔ガンを構えた。サクヤは反射的に両手をあげる。が、それがサクヤに向けられた銃口でないことは何となくはじめから気が付いていた。
「その面倒くさそうな奴は、あなたたちの担当でいいのよね?」
「もちろん」