extra edition#6 アフォガートがとけるまで【Ⅳ】


 サクヤの冬休み──などと呼称してはいるが、実際彼はグングニル本部から、この閉ざされた雪山にある中部第二支部へ出向しているだけであって、なんら休暇中というわけではない──その間に課された難易度の高い宿題たちに、一筋の光明が見えていた。
 まず、最重要課題であるスワンの討伐。スワンごと凍りついている坑道内の地底湖に、外部から侵入したと見られる魚が確認できたことは大きな一歩だった。ブリザード殲滅戦の事後処理が一段落した頃を見計らって、サクヤは満を持して地底湖上流の大規模調査を申し出た。
 地底湖と“ニブルの湧き出るニーベルングサロン”である沢は、ほぼ確実に通じている。ニブルは沢で湧き出ているわけでは当然なく、スワンの体内から放出されたそれが地底湖から水の流れに沿って、下流であるあの沢で外界に溢れ出ているに過ぎない。
 そうかといって、あの場所に集うニーベルングを一網打尽にし、氷点下の水に長時間潜水し、スワンとご対面! という簡単な話にもならない。
「どの点にとってもリスクしかないし……最終的にご対面してどうするの? ってかんじになるじゃない」
 ナギは慣れた、かつ慎重な足取りで雪中行軍の先陣をきっている。坑道よりも随分標高が高くなって、さすがに息も上がってきていた。こういうときに、体力温存のために無口になる者と、気を紛らわせるために多弁になる者とがあるが、ナギはどちらかというと後者のほうだった。
 自分たちがなぜ、一見見当違いの地底湖上流域を徹底調査しているのか。ともすれば見失いそうになる目的意識とやらを、ナギは道中で丹念に確認した。無論、彼女自身に必要な行為ではない。同じ班に編成されてしまったネスが、今回の作戦内容をみじんも理解していなかったせいで、気分転換もかねて一から説明することにした。
 ネスにとってはとんだ災難だ。朝一番に雪山登山をして、成果がでるかどうかは運次第の作戦メンバーに選抜される。それだけで今世紀最大にの貧乏くじを引き当てたと思っていたのに、そのうえくどくどと聞きたくもない講義を受ける羽目にもなっている。
 これみよがしに生返事を繰り返すネス。見かねてサクヤが助け舟を出した。主にナギのほうへ。
「結局どうシミュレーションしても、あの場所でスワンを討つことは不可能だった。なんとかして鉱山から遠く離れた安全な場所で討てないかと思案を重ねた結果──」
「この雪山爆発祭りに至るわけ? いやー俺、やっぱりよくわからんわ。とりあえずさ、さっきんとこからこれで1キロだし、ボカンと一発、やっとくってことでおっけー?」
 ナギ、サクヤ、そして最後尾を行くネス。今回はこういう三人一組の班が、他に七つある。坑道地底湖から上流にあたる八方向に班を分け、およそ1キロの等間隔で地面を爆破。雪崩を起こして地形を変えてしまっては元も子もないので、爆破の規模はこれ以上ないくらい綿密に設定、調整してある。求めているのは、地底湖につながる新たな入口だ。
「やろう。このあたりで展望が見えないと、冗談じゃなく明日から穴掘り職人に転職だ」
「それはちっと、避けたいねぇ」
 冗談とも本気ともつかないサクヤの脅しに忍び笑いをこぼしつつ、ネスは手元ではてきぱきと火薬の準備をすすめていた。ラインタイトも魔ガンも使用しない。調整が難しいうえに、どう調整したところで雪崩を引き起こす規模で地面がふっとぶ。希望としては、できるだけおしとやかに爆発して、地底湖に続く水流だとか、ラインタイトとは縁もゆかりもないごく普通の鍾乳洞だとかがお目見えしてほしいところだ。そううまく事が運ばないことは重々承知の上ではあるが。
「着火しまーす。大変危険ですので、余裕をもって着火地点から距離をとりましょーう」
 ネスの棒読みの案内に従って、サクヤとナギは律義に後ずさる。ネスも着火後、とりあえずとばかりに二人に倣った。
 バフッという、クッションを思い切り貫いたような気の抜けた音がした。爆発は地面をえぐる前にまず雪の層を蹴散らす。六花の噴水が高々と舞い上がり、何をそんなに祝福しているのかというくらしキラキラと煌めいて三人に降り注いだ。かれこれ朝から三度目の光景なので、もはや誰も感動しない。感動するとしたら、空いた穴の下に希望の光があったときだ。
 確認しようとサクヤは一歩踏み出した。その手を咄嗟に掴むナギ。
「どうしたの」
「なんか……変な音しない?」
「音?」
 ナギの言う微かな音の正体にたどり着く前に、サクヤには別の違和感と危機感が同時に訪れていた。──ニブルだ。それもかなり高濃度の。ほとんど反射的にマスクを取り出した。
「ネス!」
「やばいやばい! これ底抜ける! 下、水だよ! っていうかニブル漏れ事件!」
 雪に足をとられながらネスは必死にもがき、走った。状況は理解しているが、マスクを着けている余裕はない。応急手段にまったくならないことを知りながらも息をとめる。
 今の今まで雪原だった場所は、アリジゴクさながらに逆円錐を象って地下にめりこんでいく。ナギが聞いたのは、地下の蓋として申し訳程度に乗っかっていた地面(氷?)が引きちぎられる音だった。発泡スチロールをこすり合わせたような耳障りな音。その音に合わせて大地は引きちぎられ、吸い込まれ、沈んでいく。その範囲が、彼らの想定をはるかに超えていた。
 迫りくる地盤沈下に巻き込まれまいと、三人は顔を見合わせて全力で走った。
「やばいって! ほんと、マジやばいって! これ間一髪で死ぬやつだって!」
 ネスは必死だった。その必死さが文字通り空回りして、なぜか自分だけ前進していない気がする。それは決して気のせいではない。雪に足をとられているのか底なしの穴に引きずられているのか判然としないが、彼はその場で懸命に足踏みをしているだけだった。ただ視界だけは確かに上方にスライドしていて、混乱と恐怖心は加速するばかりだ。
 ナギが急ブレーキをかけて反転した。動転したネスに手を伸ばし、彼がすがりつくより早く二の腕を掴む。そのまま勢い任せに引っこ抜くつもりだった。それがうまくいかない。ナギの腕力ではどう踏ん張っても雪の足かせには勝てない。
「ナギ!」
 サクヤは血相を変えて魔ガンを抜いた。何をどう判断したらそういう行動に結びつくのかネスには理解できない。たぶん平常時でも。しかし、ナギはすぐにその意図を解したようで、空いたほうの左手でサクヤを制した後、身体をひねってブリュンヒルデを抜いた。そして間髪入れず足元に向けて引き金を引いていた。
 地面が崩落する静かで不気味な轟音は、ナギの放った一発で聞きなれた爆発音にかき消され聞こえなくなる。次の瞬間、見上げるほど高い水の塔が現れた。塔は重力に逆らって下から上へ流れ、広範囲にわたって飛沫をまき散らした後、重力に従って鳴りを潜めた。
 眼前に新たな風景ができた。誰にも見とがめられず地下に潜んでいた、ニブルで満たされた湖。見た目にはずっと広いように感じるが、走り切った感覚からして0.5平方キロメートルといったところだろうか。ナギとネスに関しては、最後の十メートル弱は爆風に乗って吹っ飛んできたのだが。
 三人は点在する針葉樹に見下ろされながら、それぞれに疲労困憊を体現した。走りぬいたその先は地質が異なるのか、地下に引きずり込まれる心配はなさそうだった。気ままに聳える針葉樹の根が、自分たちの足場を守ろうと踏ん張った結果なのかもしれない。それでも耳には、まだどこかで崩落が続いているらしい静かな地鳴りが届いていた。
「恐れ入るよ……。ちゃんと両足無傷でふっとんでくるんだからね」
 マスク完全装着のサクヤが、足を投げ出した状態で天を仰いでいる。彼の疲労は、目の前で起こったことへの衝撃と心配と驚愕から構成されているから、そこはかとなく爽やかな様相である。
「今回も……ほとんど無我夢中で……ブリューの采配というか……たまたまというか……」
 対してナギとネスは、爽快さとは無縁の完成された疲労を披露。四つん這いのまま、早鐘を打つ鼓動に合わせて夢中で呼吸を繰り返していた。九死に一生を得ると、だいたいこういう現実への戻り方になる。生きている人間は、活動のための酸素を必要とするのだから。
「助かった~……。ぎりぎり死ななかった~」
 ネスはするすると針葉樹のひとつにすり寄って抱き着く。息も絶え絶えに命あることを感謝した。マスクの中でちょっと泣いていたことは秘密だ。
「さーて。期待以上の大当たりを引き当ててしまったけど」