extra edition#6 アフォガートがとけるまで【Ⅳ】


 その英雄が生きたまま機関を去ることに、決して少なくはない者が反対した。二番隊の内部からでさえも非難の声はあがった。そのおかげで決定にこじつけるまで、随分と時間と労力を費やした。
「冗談じゃねぇよ。じじいになるまでニーベルングなんぞと関わってられるか。挙句にここに骨を埋めるのが筋だ? イカれていらっしゃるとしか言えねぇぜ。俺は俺の生きたいように生きる。ここでやりたいことも、いい加減無くなったしな」
「未練はないと」
「ねぇよ。お前が納得いく答えさえ出してくれりゃあ、何の憂いもなく大手を振ってさようならだ。で? 出したから戻ってきたんだろ?」
「新設部隊の隊長就任の件、お引き受けしようと思います」
「ふ~~~~~~ん? あっそ~? どういう心境の変化──」
「心境は変わっていません。ここでまだ、やりたいことがあります」
 淀みなく答えるサクヤに、アサトは一瞬虚を突かれる。そしてすぐに満足そうに笑みをこぼした。
「で、いくつか条件をのんでいただきたいんですが」
 サクヤの駒にも迷いがない。発言もチェスもどうも主導権を握られている気分になって、アサトは持たれていた椅子の背から身を離した。
「条件? なんだ、話せ」
「少数精鋭の隊であること。それから、隊員の選抜を私に一任してほしいということ。交渉は自分でします」
「ふ~~~~~~ん?」
 アサトは再び、これでもかというほど椅子の背に身体を預ける。
「……いいんじゃねえの。お前にしちゃあ、上等な回答だ。そういう条件で長老共に言っておいてやるから、気が済むまでやってみりゃあいい。俺がしてやれるのも、まあそんなところしかねえしな」
「感謝します、アサトさん」
「そんなもん俺にするな。まあそういうことなら、お前の作る隊も、次の昇進も無駄にゃならねえな? 中尉殿」
「気が早いですよ」
 呼ばれなれていない階級がむず痒く感じる。そうでなくても、中部にいたこの冬の間はずっと、階級だの所属だのとは無縁で過ごしてきた。自分が何者か一度きれいに失ったあとで、取り戻してきたような不思議な体験だった。
「そんじゃあまあ、そろそろハレの舞台に参りますかね」
 アサトが無造作に置いたポーンが、盤上の戦争を終わらせた。整ったオールバックのサイドを撫でつけてこの上なく満足そうに席を立つと、唸るサクヤを置き去りにして執務室を出ていった。
 式典は厳かな雰囲気のもと滞りなく進められた。今期活躍した支部や、部隊、個人の功績が称えられ、その功績に応じて表彰が行われる。ディランをはじめとする中部第二支部も、ブリザード掃討戦とスワン討伐の功績が認められ、多くの者が名前を挙げられた。
 以下は、式典終了直後にサクヤが仕出かした、この後末永く全グングニル機関で語り草になる出来事の一幕である。
 本部塔のだだっ広いエントランスには、表彰された隊員たちとその関係者で賑わっていた。皆晴れやかな表情で今期の労をねぎらいあっている。その中でも頭一つ飛び出している目当ての人物を見つけると、サクヤは人込みをかきわけて走り寄った。
「よおっ。馬子にも衣装じゃねえかっ。黙ってりゃ二番隊の顔ってかんじだな!」
 サクヤが辿り着く前に、ディランのほうが気づく。ほぼ今日の主役と言って間違いはないサクヤの姿は、本人が思っているよりも目立つのである。
「はは……っ、あまり着慣れないので落ち着かないというか。ナギはそういう格好にも違和感がないなあ。よく似合ってるよ」
「わはははは! 息するみたいに口説いてんじゃねえよ! 油断も隙もありゃしねえっ」
「くどっ……、いや、そういうつもりじゃ……」
 中部第二支部の代表として、ディランとナギ、その他サクヤの見知った顔が数名視界の中にかたまっていた。いつもと違う場所で見る中部の面々はどことなく余所行きの表情を作っているように見えた。意図的に緊張していないと、すぐぼろが出るからだ。平常通りなのはディランだけのようだ。
「新設部隊長に落ち着くことにしたんだってな。ほとんど出来レースではあるが、俺も推薦状くらい書いてやるつもりだ。それか気が変わってミドガルズオルムの世話がしたくなったら、いつでも言ってきていいぞ。お前が中部にいてくれたほうが、ナギもやりやすそうだしなっ!」
「そうだ、大佐。その件で大事なお話が……いや、お願いが」
「なんだなんだ、水くせぇな! 言えよ、力になるぞ!」
 サクヤは何か意を決したようだった。少なくともナギの目にはそう映った。そしてその真剣な横顔が得も言われぬすさまじい胸騒ぎを呼び起こす。
「サクヤっ、待った……!」
 何か天地がひっくりかえるようなとんでもないことを口走る──そういう予感があった。そしてその予感は、ものの見事に的中する。
「レイウッド大佐……! 娘さんを僕にください!」
 その場に居合わせた──全支部全隊の代表者である──隊員たちの時が止まった。和やかな談笑の場は一瞬にしてブリザードの最中のように凍てつき、張り詰めた。
 隊員が一人、ホールの中央付近で九十度に腰を折っている。よくよく見れば、それが本日の勲功賞で、何かと話題に事欠かない二番隊のエースであることに気づく。それにしてもだ。まさか全隊員の面前で、よりにもよって上官の娘にプロポーズなどという狂人ぶりを発揮してくれるとは夢にも思わない。
 一拍、いや二、三拍置いて歓声に近い悲鳴があがった。それを皮切りに場は一気に色めき立って、収拾がつかないほどに騒然となる。
「なにやってんだ……あいつ」
 唯一無二の親友で、もう一人の二番隊エースが、
「相変わらずすっごいことしてんなー……サクヤさん」
 自身も常識人とは言いがたいはずの、その弟が、
「あらま、やるわねー」
 野次馬と化した五番隊の女性隊員も、呆れと感心の入り混じった複雑な心境を吐露する。
 俄かに拍手が沸き起こっていた。頭を垂れたまま動かないサクヤに声援を送る者もいる。その声に後押しされたかどうかは定かではないが、サクヤは一度顔をあげることにした。詳細な説明をせねばならない。ナギがどれだけ有能で、かつ自分がどれだけナギを買っているかを、誠意をもって伝える必要がある。そう考えて第一声をあげようとした、まさにその刹那──。
 視界だか脳内だか、とにかくサクヤの世界で惑星が破裂した。次に彼が目を覚ましたのは医務室で、隣にはナギがついていたから、そのとき起こった思わず目を瞑りたくなる出来事については粒さに聞くことができた。どうやら自分は最高敬礼したままの、ある意味完全に無防備な後頭部に、ディランから渾身の頭突きをお見舞いされたらしい。それゆえのビックバンである。
 そのあとナギが奮闘したおかげで、サクヤがまき散らした誤解の数々もこじれることなく早々に解けはするのだが、そこからディランが快くナギを送り出したかどうかはまた別の話である。
 さらにこれも余談ではあるが、後日ディランから送られてきた推薦状と評価票は、実に客観的で冷静、サクヤの能力を正当に評価するものであった。その推薦状に同封されたアサトへの手紙に「二度とこっちによこすな」と記されていたこともまた、当人が知ることになるのはずっと後の話である。