extra edition#8 時には路地裏で夜会を


 小休憩から戻って、八番隊執務室の扉を開ける。いつも通りの穏やかな室内、とは打って変わって本日は嵐が吹き荒れていた。思わず耳を塞ぐような音量でナギがわめき散らしている。
「キャバクラ行ってるわけじゃないんだから、そんな訳の分からないシステムに乗っかってこないでよ! そもそも! 耐久性がヴェルゼの売りでしょう?! それをこんな頻繁に何度も何度も……!」
「ナギ、とリュカ? 何かあったの?」
 リュカが攻勢に転じる前に、サクヤが割って入った。できるだけ素知らぬ顔を装う。実際、何が原因でどういう過程で、こんなにもあからさまにナギの怒髪天をついてしまったのかは謎である。ソファー席で我関せずを装うバルトに目で確認しても肩を竦めるだけだったから、下策だとは承知の上で修羅場に切り込んでいくしかなかった。
 ナギの怨念めいた視線は、すぐさまサクヤにも向けられる。
「どこ行ってたの。この肝心なときに」
「ご、ごめん。ちょっと外の空気を吸いに……」
「何これ」
 ナギの中で、サクヤがどこで何をしていたかは、一瞬でどうでもいい案件として片付けられたようだった。顰め面で突きつけてきたのは、整備部からの請求書だ。
「請求書? ああ、ジークフリートの整備費だよね? これに何か問題──」
「まさか整備費の相場知らないとか言わないよね? こっち、私の請求書。で、これがサクヤのとリュカの分」
 一瞥しただけでナギがお冠の理由は明白になった。わざわざ並べられたブリュンヒルデの整備費と比較して、サクヤとリュカのそれはおよそ三倍の額である。その原因のひとつであろう一項目について、ナギは先刻から声を荒らげているのだ。
「『指名料』って。馬鹿じゃないの。これだけで今月の予算の二割食ってんだけど。それをあそこの馬鹿は、三回! 三回『指名』してんの、今月だけで! あぁもうっ、いったいどこ節約するつもり?! っていうか自腹切ってよ、隊の予算でこれはありえないでしょ!」
 少し離れた場所でもナギの歯ぎしりが聞こえる。感情的ではあったが、ナギの説明は要点を押さえていたし、一通り状況を把握することはできた。彼女の主張は最もである。サクヤは自らの過失を認めつつ、未必の故意だと思われるリュカのふてぶてしい態度に苦笑いをこぼす。
「リュカも知ってたんだね、彼女のこと」
 代名詞が女のそれであることにナギは再び目の色を変えた。リュカはそういう機微を見逃さない。サクヤが少なからず自分の敵に回らないことも察して、急に生気を取り戻した。
「知ってるっていうかね? 違い、もろ分かりでしょ? 一回あの娘にカスタマイズしてもらったら、もう他の奴にいじらせるの嫌だしね」
「いや、なんでサクヤ戻ってきた途端また偉そうなの。意味わかんないから」
「だ~か~ら~。俺らが命預けてる相棒が魔ガンなわけだろ? 最高で最善の状態をこれ以上ないくらいに完璧に保ってくれるわけよ、なんならちょっとパワーアップしてんじゃねえかくらいのかんじでっ。そこケチってどうすんの? っていう」
「ケチってない。二人がぼったくられてる」
「いやいやいや、ぼったくりの定義がおかしいだろ。実を伴ってんだから、たかだか三倍の整備料くらい、ねえ?」
「たかだか? たかだかって言った? 今。レベル5の魔ガンの整備費は他の魔ガンより割高なの! ジークフリートに至ってはモデルが古いからさらに上乗せされるし、そのへん差し引いてもうちの隊はただでさえ三丁分で圧迫状態なの!」
「……んじゃあ、ナギが持ち替えたらいいじゃん」
「はあぁ?! な・ん・で、サクヤとリュカの『ご指名料』のために私がブリュー手放さなきゃなんないのよ! あ~~~~~~もう馬鹿! 馬鹿、疲れる!」
「ナギ、ちょっと一旦、落ち着こう」
 怒りの発現法がストレートになってきた。内容は的を射ているとは言え、こうまで気を配らない発言は、ナギにしては確かに珍しい。虫の居所か周期的な原因かはさておいて、どちらにせよサクヤの介入が功を奏してはいないことは明白だ。むしろ、助長してしまったような。
「……サクヤに至っては、ここのところその整備部に入り浸って、新人の女性隊員をしつこく口説いてるって目撃情報が四方八方から入ってくるんですが」
 ナギが思いもよらぬカードを切った。それは執務室程度の範囲であれば、難なく時を止めてしまうほどの威力を持った手札だった。リュカは言わずもがな、我関せずと任務資料に目を通していたバルトも、名指しされた当人であるサクヤでさえも、絵画の一部のように静止する。
 誰かが固唾をのむ音が、やけに鮮明に響き渡った。
「ま……待った! 待った待った、それは誤解だよ! 確かに整備部には通ってる! 口説いてもいるけどたぶん意味合いが違う!」
「んだよっ! マジかよ、完全ノーマークだったわ……! あっち系もありなのかよ」
 必死に弁解を始めるサクヤの横で、全てを(別方向に)察したような沈痛な面持ちのリュカ。その余計極まりない一言二言のせいで、ナギの眼差しはさらに侮蔑を帯びたものになる。
「通って、口説いてんだ。“トラツグミ”の討伐目途もたってないってのに、いいご身分で……」
「そのうえいいように貢がされてんじゃあなぁ、弁解の余地はねえわなぁ」
 バルトはもはや面白がっているだけだ。分かっていてけしかけるから質が悪い。
 サクヤは諦めたように嘆息して、ふと思い至る。今の話の流れなら、ナギも「分かって」はいるはずだ。──たぶん。焦れば焦るだけ、必死に反論すればするだけ妙な嫌疑をかけられかねない。沈黙は金なり。
「……ごめん。サクヤなりに何か考えがあってのことだとは思ったんだけど、噂になってるのはちょっとまずいかなと思って、釘は、さしておこうかなって」
 思ったとおり、ナギはすぐに折れた。が、請求書を三枚並べるのはやめない。それとこれとは別問題ということなのだろう。説明責任が発生しているのは確かだ。
 身の潔白を証明すべく、サクヤもカードを切ることにした。もともとそのつもりだったのだが、こうなるとタイミングが良かったのか悪かったのか。小脇に抱えていた資料の束から、封がされたままのそれを抜き取って、皆が集まるローテーブルの卓上に差し出した。
「彼女──マユリ・ポートマンを八番隊に引き入れたいと思ってる。理由はいろいろあるけど、上手くいけば来月の予算は大幅に節約できるはずだよ。いや、上手くいかせる。そのためにはみんなの協力が必要なわけで」
 口外無用と念を押したうえで、サクヤは件の問題隊員についての調査資料を抜粋して紹介した。大半は、あらゆる手を尽くして一番隊からくすねたものである。
 昨年度整備部に入隊したばかりのマユリ・ポートマンは、一言で形容するなら優秀な問題児だ。高名な魔ガン技師の家系出身で、幼いころから魔ガン漬け。魔ガンとラインタイト弾をおもちゃ代わりに育ったなどという極端な評判も、完全な作り話というわけでもないらしい。入隊後しばらくは、これといって目立った行動はなかったものの、その特質は徐々に顕在化していく。
「一番まずいのが魔ガンの改造だね。現物が押さえられていないから確かなことは言えないけれど、どうも支給されたものをほとんど別物に作り変えてしまっているらしい。それから個人的な用途での魔弾の製造。こっちも無許可」
「おいおい……重罪人じゃねえか」
 誰も言わないならと、バルトが常識人の役を買って出る。このデモンストレーションは、地味に見えて不可欠だ。そうでないと──
「本人が認めるか、証拠が押さえられてしまったらあるいは」
「あるいは、じゃねえよ。二百パーセント黒だろう」
 サクヤは時に素知らぬ風で「道の外」に飛び出していく。今がまさにそうだ。確信犯だったとしたらなおのこと、誰かが立ちはだかって一旦停止させる必要がある。そうしておけば、聞いている側が思考するための時間稼ぎにはなる。だいたいのところ、この役割はナギがこなすのだが、どうも今日はそういう状況にないらしい。ナギは、抜粋されなかったところの資料に黙って目を通している。
 バルトにしても真っ向から反対というわけではない。危ない橋を渡るなら、全員が自覚的になるべきだと思っているだけだ。
「そうだね、うん。だからこそこう……バルトみたいなお父さんがいる、この隊が彼女の再出発にはふさわしんじゃないかと」