extra edition#8 時には路地裏で夜会を


「このあいだ、例のトウモロコシの日だけどさ、応戦してて思ったのはさ。火消すとほんと何も見えないわけよ。ニーベルングはおろか自分の手元も、相方がどこにいるとかも」
「そうだな」
「軽っ。いやいや、そうだなとかじゃなくさ、どうやって撃つの。当てられるんだったらそもそもイルミネ弾とかいらないわけだろ」
「決まってんだろ、襲われてるとこ撃つんだよ。できるだけ長く取っ組み合ってくれれば、それだけ命中精度もあがるから、頼むな」
「……は? 襲われること前提なの? 取っ組み合うって何、それバーディ級じゃなかったら死ぬじゃん。死んでしまうじゃん」
「俺だって同じ条件なんだから今更がたがた言い始めるなよ」
 シグは言いながらあっさりと、足で焚火を払った。毎度のことながら、リュカの作戦に対する理解度は著しく低い。そこをうまく利用しているといえばそうなのだが、一旦何かに気づき始めると相手をするのは面倒だ。こうなると、ニーベルングの相手をしているほうがましである。
「そんなあっさり消すなよ! 意味わかんねぇから! 俺まだ小便行ってないのにっ!」
 暗闇の中で、おそらく真正面でリュカが唾をまき散らしている。シグは応答しない。
「は? マジ何なの、ってか居る? シグ居る?」
(ほんとにうるさいな……)
 シグは応答しない。できる範囲で息を殺して気配を絶った。
「シグ! ちょ、ごめんマジ小便行きたいから! 一旦うごぉえ!!」
(もう来た!)
 見張られているのは知っていた。焚火の明かりがある範囲には近寄ってこず、夜と雑木林の闇を味方につけてシグとリュカを長い時間監視していたニーベルング・トラツグミ。
「おえぇ! 首! じまってるがら! うぼおぇっ! ……っづか、ぐるじ……ごろぉす!」
(いいぞリュカ。その状況でそこまでうるさくできるのはお前くらいのものだ)
 シグは胸中でリュカを本心から褒めたたえた。そのまま一言も発さず、定められた最小限の動きでヴォータンを構える。濁音の鳴っているほうへ耳を澄ませ、後は微調整。
「リュカ! 何とかして目は守れよ!」
 リュカ目掛けて引き金を引いた。それとほぼ同時に眩い光が四散する。地面が、辺りの鬱蒼とした木々が、ニーベルングの巨大な爪に押さえつけられたリュカが、神仏さながらに光を放ってその姿を顕にした。神々しい──いや、これはマユリの言ったとおり、おめでたい。
 しかしそのおめでたさに呆気に取られているわけにもいかなかった。事態はあまり宜しくない。反撃に転じるはずのリュカは口から泡を吹いている。そしてトラツグミのサイズが想定よりはるかに大きい。イーグル級の中の下といった巨躯である。
(まずいぞ……! ローグじゃ応戦できない)
 そもそもリュカごと撃つわけにもいかない。しかしその葛藤は、すぐさま解消される。ここだけは想定通りだ。トラツグミは自分の身体が発光していることに気づくと、羽交い絞めにしていたリュカを解放して雑木林へ身を翻した。とんだ臆病者である。あるいは極度のはにかみ屋さんか。
「リュカ、追えないなら隊長と合流しろ」
 リュカは四つん這いになって、何かしらをげぼげぼと吐き出しているらしかった。シグにはそれを気にかけている余裕はない。あったとしても、たぶん気にかけない。ここでトラツグミを逃がしたら、八番隊は世にも奇妙な発光するニーベルングを捏造しただけの笑い者だ。
 そういうわけで躊躇なく素通りしようとしたところ、リュカに足首を鷲掴みにされた。シグは両手に魔ガンを持っていたから、受け身もとれず顔面から派手に地面にすべりこんだ。一瞬で湿った土と砂利の味、僅かに薪の燃えた灰の臭いがシグの感覚のすべてになる。
「追う必要ないだろーが……っ。あんだけピカってんだから」
 リュカの、潰れた喉から発せられる恨みがかた声は、なかなかに鬼気迫るものがあった。すばしっこいと思っていたトラツグミの動きは、体躯が顕になった途端、通常のニーベルングよりもむしろ遅く感じられた。的は大きい。光の残像が、次の動きを予測させてくれもする。つまり、撃てば当たる。
「逃げてんじゃねえよ、ド変態野郎!」
 リュカが思い切りよく引き金を引くのを、シグは苦虫をつぶしながら見ているしかなかった。実際噛み潰しているのは、砂利と灰なのだが、おかげさまで文句ひとつ言えない。
 視界が一瞬白く染まる。半テンポ遅れて爆音が轟く。トラツグミを含む、雑木林の一帯がリュカの一発で消し炭になった。
 通常ならここでシグ対リュカの罵り合いに発展するところだが、今はお互い仲良く噎せ返るしかできない。
 サクヤが合流して、辺りの鎮火とトラツグミの残骸の発見に至る頃には、東の空が白んでいた。日の下で見るシグのリュカの壮絶な姿に、さぞや凄まじい死闘を繰り広げたのだろうという想像が禁じ得ない。サクヤが事実を知るのは、シグの手当があらかた済んだ昼過ぎのことになる。


「と、いうわけで、マユリ・ポートマン伍長は晴れて無罪放免。イルミネ弾の実用性が証明できたおかげで、今後は申請すれば魔弾の開発許可は出るし、同時に長らく手こずったトラツグミも片付けることができた。今回はみんなのお手柄だね、お疲れ様」
 八番隊の執務室に、全員が形式ばって並ぶのは珍しい光景だった。なんだかんだで一番おいしいところを持っていったリュカは、当然ご満悦。その横で痛々しいほどに口の周りに絆創膏を貼っているシグ、口を利きたくないのか無言である。
 そして横並びの八番隊メンバーの中央にマユリの姿。所属隊を示すバッジが「8」になったことに、いささか気恥ずかしさがあるようだ。頻りに襟元を正していた。
「マユリには今後も、技術的な面で世話になることが多いと思う。頼りにしてるよ」
「ハイッ。おまかせください、隊長っ」
「マユリ、ここはさ、まぁこういう隊だから、畏まらなくっていいんだぜー。今日は何かほら、真面目ちゃんがちゃんとやろうみたいなこと言うからさ」
「誰が真面目ちゃんよ。っていうか、自分が第一功みたいな顔してるけど、損害一番出したのもリュカだから。何で飛ばしてから撃たなかったの? シグもこんなだし」
 列の一番端からナギが思わず愚痴をこぼす。それに対してシグは補足しない。文句も言わないし、当然窘めもしない。ただ黙りこくって半眼でリュカに視線を送るだけだ。
「げ、現場の判断に口出してくんなよー! 絶対逃がせない局面だったろー! あのまま飛ばなかったかもしれないし、飛べなかったかもしんねーじゃん!」
「そうだね。トラツグミはもう消し炭なわけだから、真実は闇の中だもんね。……ヴェルゼの威力でも空中で適切な箇所に当ててれば、いろいろ検証の余地は残ってたかもしれないけど、消し炭じゃあね」
 リュカは反論できずに言葉を飲み込んだ。
「ナギちゃんも、リュカさんも、喧嘩は良くないですよー。ヴェルゼはもともと対個体には向かない魔ガンですし、あの夜は風もけっこうあったし、リュカさんにしては上出来だったと思いますよー」
「そう! リュカさんにしては上出来! ……ん? 待て待て、今のいろいろツッコミどころあったろ。おかしかったろ」
 リュカに言われるまでもなく、ナギはきょとん顔でマユリを見ている。
「だいたいシグさんも、イルミネ弾詰めるなら主神殿じゃなくてローグのほうでしたよ。ヴォータンの威力なら、地上戦でも時間稼ぎができたのに」
「だよな! 俺もそれ思ったんだわ! シグのやつ、いつもと違う魔弾入ってるからってけっこうびびってるくさかったもんっ。ローグにしたって命中率九割越えんだから、どっちにしたってお前なら当たるっつーの! ……って褒めてんのか、俺!」
 リュカは、マユリが自分の弁護をしてくれることがこれ以上ないくらい嬉しいらしい、軽く侮られたこともどうでもよくなって、最後にはシグの技術を讃える始末だ。
「シュシンって、あ! 主神か! ……分からんわ! ……。……」
 そしてシグはシグで、気づいた事実があまりに単純で思わず声をあげてしまう。シグの声が響いたのは一瞬で、後はまた、ズタズタになった口内を庇うように口元を覆って、置物のように静かになった。欠伸をするのさえ我慢していたのに、これでは努力が水の泡だ。
 マユリが他人を呼ぶ際のルールは至って簡単だった。所持している魔ガンで認識して、その名で呼ぶ。サクヤはジークフリート、ナギはブリュンヒルデといったようにである。シグだけがその法則から漏れるはずもなく、彼はヴォータン──またの名をオーディン、北欧神話の主神として語られる──として認識されていたにすぎない。それゆえの「主神殿」呼ばわりだったのだ。
「シグさん? だいじょぶですか? もしも~し」
 ルールは至って簡単、そしてどうにもやりきれない理由がそこにはあった。いつか突然、無くなるかもしれないものに愛着がわくのは嫌だと彼女は言った。それはどう足掻いても改善されない現状だったはずだ。変わるとれば、変えられるとするならば、それはマユリの考え方だけだ。
 いつか必ず無くなるものを、できるだけ長い一瞬、愛せるように名前を呼ぶ。それを自然に実践できる場所が、彼女にとって居心地の良い居場所になりますように。
「それじゃあ、ブリーフィングを始めようか」
 そうささやかに願いながら、サクヤはいつものように穏やかに笑った。