extra edition#8 時には路地裏で夜会を


 魔ガンの主は、いつも知らない間に替わっている。こだわりなく持ち替える隊員もいるにはいるが、往々にして、元の保持者が殉職して次の使用者に引き継がれているパターンだ。短いときには、一年ほどで別の人間の名前が登録されていることもある。これではまるで、魔ガンのほうが人間を持ち替えているようだ。そう考えると、一年で刷新しなければならない誰かの名前より、大好きな魔ガンを軸に置いたほうが懸命な気がした。
 特に半年前、二番隊が消滅してからは余計にそう思うようになっている。殉職した24名の顔と名前を、記憶の奥底に押しやるのは容易ではない。誰がどの魔ガンを使っているかはもとより、使い方の癖から整備の細かい指示内容まで、マユリははっきりと思い出せてしまうし、おそらく今でも何の資料も確認せずに再現できる。それが苦痛だった。
 かつて二番隊に所属していたという「ジークフリート」の使用者と、二番隊隊長の弟だという「ヴェルゼ」の使用者が、意図的に自分を指名してくるのも、率直に言うと不快だった。だから高額な指名料を取って、早々に撤退してもらえるよう図ったつもりだったのに。
「そういうことなら、やっぱりこの隊はマユリ向きだと思うよ」
 サクヤは特に不快感を抱いたふうでもなく、いつもの柔和な笑みを常駐させていた。
「グングニル史上最も死亡率の低い隊だからね」
「そうだね、今のところ0パーセント」
「まぁ、結成一年で誇っていい数字とは言い難いけど」
 サクヤに続いて、ナギもシグも、何でもないことのように受け止めているようだった。隣人の死と、そのあとに遺される痛烈な記憶の取り扱い方を、彼らはよく知っているようだった。
 ナギの淹れた紅茶の香りが、室内の空気を優しく塗り替えていく。次いで開けられた菓子箱の中には、一粒一粒丁寧に仕分けされた宝石のようなチョコレート。色鮮やかでも何でもないその暗色は、テーブルの上に並んでいるだけで覗き込んだ面々の顔を綻ばせた。
 ただ、そういうことだと理解すればいいのかもしれない──その考えは、マユリの脳裏に突然に、かつごく自然に浸透してきた。頬張ったチョコレートは甘く、ナギが差し出してくる紅茶の香りは芳醇だ。部隊長は穴の空いたソファーで、マユリの作った魔弾のレシピを宝の地図みたく興奮して眺めていて、魔ガンを自分の一部のように操る完璧な隊員は、マユリの作った水鉄砲で照準を定めて遊び倒している。
 そういう場所に自分が居ることに、違和感がこれっぽっちもない。それは、とても幸運なことのように思えた。
 その温かな空気を不躾に切り裂く、シグの声。
「で、隊長が見てるそのふざけた資料は、何なんですか」
「“アロ魔弾”の開発資料だよ」
「……はあ」
「アロ魔弾はですねー、女性隊員向けに作った香しい魔弾ですね。着弾と同時にフローラルな香りが拡散します」
「……何のために」
「何のためとかじゃないですよ。強いて言うなら優雅さと華やかさのためです」
 シグは生返事を繰り返すだけで、サクヤが渡そうとする資料をやんわりと拒否した。代わりにナギが受け取って、チョコレートを啄みながら「女性向け」らしいアロ魔弾の概要に目を通しはじめた。
 サクヤは次の魔弾レシピに意識を移す。
「そっち、イルミネ弾ですね。それ自信作です。訓練で使ってるペイント弾あるじゃないですか? あれをですね、もっとこうおめでたい感じにしてですね、夜でもキラキラって光るんですよ。ニーベルングに当てれば、空飛ぶイルミネーション! って感じになってイベント向けになると思いますよー」
「……だから、何のために」
「今の話聞いてました? 綺麗なんですよ。使い方なんてユーザー次第なんだから、プロポーズに使うも良し、訓練時に個性を出すも良し、です」
 シグはもう返事をしない。発想や才能の使いどころを脇道に逸らせて逸らせて逸らせまくっていくと、最終的にこういう境地に辿り着いてしまうらしいということだけを、しみじみと実感してやるせない気持ちになった。そして恐る恐る、脇道細道獣道大好き人間に視線をずらす。
「隊長……?」
「……これだ!」
 ──駄目だ、手遅れだった。
 サクヤは“イルミネ弾”の資料を掲げて、会心の笑みを浮かべている。彼の中では、この違法で手書きの危険な紙切れは、文字通り宝の地図だったのだ。
 シグはもう、視線をどこへやっていいのか分からなくなって俯いた。一縷の望みを託してナギに合図を出してはみたのだが通じない。今回に限って、この女は何故こうも鈍感なのか。普段ならもう少し注意深く、慎重に、サクヤの言動を諫めてくれるのだが。
「いったい誰にプロポーズするつもりですか……」
「もちろんグラント少佐にだよ。これを提案書に起こすから、ナギ、少し手伝ってもらってかまわない?」
「承知しました。マユリのおかげで、気持ちよく反撃できそうだね?」
 ナギは菓子箱の蓋を丁寧に閉めて、食べつくした高級チョコレートに別れを告げていたところだった。既に得心顔である。この落ち着き払った態度のおかげで、シグは自分の発想こそが出遅れていたことに気づく。
「なるほど、そっち、ね」
 ナギはどちらかというと、敏感にアンテナを張っていたほうだったのだ。チョコレートのおかげだろうか。結局シグはひとつも口にしていない。馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、ひとつくらいつまんでおけば良かったなどと、珍しく考えた。


 マユリ考案の“イルミネ弾”の制作提案書は、思いの外あっさりと受理された。まるで既に作ったことがあるかのような完成度の高さと、曖昧性の無さが駄目押しになったわけだが、要はマユリとマユリのアイデアが有用だと認められたということだ。
 完成したイルミネ弾を引っ提げて、サクヤ、シグ、リュカの三人は郊外の雑木林で野営の準備を進めていた。ナギとサブローは、マユリに張り付いて旧市街でノルニルの最期の仕上げに付き合っている。アンジェリカとバルトは、そのすり替えのために動いている真っ只中だ。
 トラツグミの討伐も、マユリの無罪放免も、今夜が山だ。この夜で結果が出る。
「今日はトウモロコシ持ってきてないだろうな」
 全く反省の色のないリュカに向けて、シグがこれみよがしに釘をさす。彼の魔ガン・ヴォータンの中にはマユリ作成のイルミネ弾が込められている。それが落ち着かないのか、シグはらしくもなく手元で魔ガンを遊ばせていた。
「言っとくけどなあ、あれ持ってきたのバルトのほうだからな。焼こうって提案したのは俺だけど」
「まぁどっちでもいいんだけどさ。トラツグミがもしバーディ級だったとしても、今回俺は対応できないから、頼むぞ」
「それはもう、ばっちりだって。大は小を兼ねちゃうからな。バーディからアルバトロスまで、どんとこいよ。俺のヴェルゼに燃やせぬものはない」
「だといいな。鎮火が面倒だから、被害は最小限で頼む」
「任せとけって」
 リュカもおだてりゃなんとやら、だ。トラツグミの実際の討伐の成否はリュカにかかっているのだから、シグだって少しくらいおべっかも使う。
 シグもサクヤも、各々の魔ガンに詰めているのはイルミネ弾だ。二人とも遭遇しさえすれば外さない自信はある。逆に言えば、遭遇しなければどれだけ準備が万全でも意味がない。だからサクヤは、今まさに単独で哨戒に当たっている。とにかくまず、光ってもらわねば始まらないのだ。
 シグの短い髪でさえ揺れる程度に風が吹いていた。野営にも野戦にも向いていない夜だ。シグは魔ガンを遊ばせるのをやめて、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ火、消すぞ」
「うん……いや、うん」
「なんだよ、煮え切らないな」