「聞いて、何かの参考になるとは思えない」
「そうかもしれません。でも、少なくとも今後あなたを見かけてもやもやすることはなくなります」
サクヤが言葉に詰まる。借りを返すと言ったのは自分のほうなのだから、最初から観念するほかなかったのだが、それでもまだ煮え切れない様子で小さく唸り声をあげていた。
「……“ニーベルング”とひとまとめに言ってみても、いろんなタイプがいるだろう? たとえばそうだな、好戦的だったり、やけに粘着質だったり、逆に弱腰だったり……利他的に思えるものもいる。そういう各々の個性とは別に、もっと大別して……そもそも目的意識が希薄なタイプが偶にいる」
「目的、というのは生息地域の拡大とか、そういう意味ですか」
「うーん、いや……。まぁ、一旦そういうふうに捉えてもらって」
(今、さらっと……否定した、よな)
ニーベルングは異界のモンスターだ。奴らに共通の目的があるとすれば、それは侵略であり蹂躙に他ならない。現に人間は、そうやって大陸西端のムスペル地区から追われた。そして知性も信念もない奴らの「破壊」という営みに抗うためにグングニルは組織された。
それが世界の理だ。“誰か”が用意した非の打ちどころのない台本。シグはまた、その該当頁をめくって読み上げたにすぎない。
「とにもかくにも、大多数のニーベルングに共有されている行動理念から外れているものがいる。興味深いのは、それらは中央区付近では見られないってことなんだ」
サクヤは俄かに中部第二支部で過ごした冬のことを思い出し、しみじみとした気持ちになっていた。互いの信頼も練度も高い第二支部の隊員たち、彼らを圧倒的統率力で統べるキャプテンこと、レイウッド大佐、そして彼だけが扱える魔ガン“ミドガルズオルム”──中央に現れるニーベルングは、スヴァルト連山に敷かれたすべての包囲網とブリザードをかいくぐってきた猛者たちなのだから、目的意識が低いはずがない。その猛者たちと比べると、中部以西に時折見られるある種のニーベルングは、その個体群は、サクヤにはもはや別物と思えてならなかった。
「スタンフォード少尉はあのとき、その『目的意識の低いほう』をわざわざ討ちにいったってことですよね」
「そうなるかな」
「やっぱりよく、分からないな。なぜ“そっち”がわざわざ討伐対象になるんですか? ……ふつう逆だと思うんですが」
「……これ、ほんとにオフレコで頼むよ」
サクヤはまたしても渋い顔つきをつくり、意味などあるはずもないのに周囲をきょろきょろと見回した。シグはただ深く頷く。
サクヤがほんの少し、声を潜めたのが分かった。
「どういう言い方がいいのか分からないけど、僕には、討伐されたがっているように見える。もちろん全部が全部ってわけじゃないんだけど」
シグに咄嗟の反応というものはなく、先刻と同じ体勢、同じ表情で時を止めていた。自分なりに咀嚼しているのか、馬鹿馬鹿しくて聞く気が失せたか。今の、精巧な蝋人形のようなシグからではどちらとも判断がつかない。
「つまり、殺してほしそうなニーベルングがいるってことですか」
そうかと思うと、あっさり言ってのけた。サクヤは先ほどよりも高速で辺りを見回しながら、懸命に口元に人差し指をあてていた。
「そういうのもいるような気がする! ……かもしれない! っていう話」
「いや、なんとなく分かるような……気はします」
一笑に付されると思っていたから、サクヤは保険として少しばかり過剰に道化を演じていた。結局冗談なのか本気なのか分からなかった、という結末がベストで、仮に本気にとられても「噂と違わぬ奇人変人」で片付けてくれれば僥倖だとも思っていた。それがどうも、シグの反応を見るからには、そういう方向には向かわないようである。
「それ、見分ける方法ってありますか」
シグの作られた、抑揚のない声の調子は、サクヤの危惧に確かな輪郭を与えていく。
(彼は何か、抱えているんだろうなあ……)
でもそれはシグだけじゃない。大なり小なり皆そうだ。そう割り切ろうとするサクヤに、夕刻のアサトの言葉がリフレインしていた。シグの根腐れとやらは、もしかして既に進行しているのではないか。
「……人と同じじゃないかな。さっきもいったけど、ニーベルングにもそれぞれ個性がある」
「難しいですね。ちょっと素人目には判断できなさそうな」
「答え合わせなら……できないことはないかもしれない。どのみちこれも、絶対ではありえないんだけど」
「答え合わせ?」
「魔ガンを向けて──」
サクヤは指でつくった銃に丁寧に左手を添えて、シグに向けた。
「君は躊躇わずに撃つ」
「まぁ、そうですね。入隊時にそう習いますから」
「じゃあちょっとだけ躊躇ってみるといい。具体的にはそうだな、3秒くらい」
躊躇うというのは心情的な話であって、サクヤが言っているのはおそらく魔ガンを向けた状態で物理的に間を置くという話なのだと、シグは理解した。
「それが“答え合わせ”ですか」
「そう。合っていれば、僕なら……今日みたいに追いかけていって討つ。あ、もう昨日か」
手元にも見える範囲に時刻を示すものは何もなかったが、サクヤは存在感のない月の位置と自身の感覚を頼りに、律義に訂正をいれた。
シグは期待せずに一応続きを待った。3秒待ったその先に何があるのか、補足されるのなら聞いておきたい。語られないのなら、実践して確かめるしかない。
「話は以上。僕にとって都合のいいファンタジーというか妄想話であって、とにかく口外厳禁で頼むよ。というか忘れてくれるのが一番いい」
結果は思った通り後者だった。
「となると、また貸しですか……」
「え!?」
借金返済のためにまた借金を重ねる状態、泥沼である。二の句が継げず、かたまってしまったサクヤを横目に、シグは悪びれもせずまた欠伸を漏らすだけだ。サクヤの切実な嘆息が聞こえる。
シグは見張りに集中するふりをして、それ以降話を振るのは避けた。そのうちにサクヤの呼吸はまた一定の、緩慢なリズムを取り戻し、元あった静寂が息を吹き返した。シグは脳内で明日のシミュレーションを繰り返す。
(もう今日だっけ)
分厚い雲の向こうで、先刻よりも懸命に光る月を見上げて、シグは胸中で誰に向けたわけでもない、律義な訂正をいれた。