ACT.11 トライアングル


  鯨の親子を見物することを許可してしまったために、レキは割と長い暇を持て余すことになった。ラヴェンダーは言い出しっぺのく せにシオを連れて村の中心部の方に再び観光に出たし、ジェイもおそらくその後を着いていったはずだ。ハルのことはよく分からない。 昨日の口論の後まともに口をきいていないし、彼の方からは視線さえ合わせてこない。あれを口論と呼べるかどうかも疑問だった。 そんな生易しい内容ではなかった。
  何気なく足を向けた海辺には既に先客がおり、一人背中に哀愁をしょって座り込んでいるのが見える。立ち上る頼りない煙と、横に 無造作に置かれたテンガロンハットで二枚目気取りの正体はすぐに分かった。レキが近づいているのは砂を踏み締める音で分かりそうな ものだが、見向きもしないところがエースらしい。
「一本くれ」
左手に軽く握られている煙草の箱を目にして、レキが隣に同じく座り込む。
  エースが一瞬違和感を覚えたのは、レキはさほど煙草を吸わない男だからだ。吸えないわけではないし、特に嫌いなわけでもない。 ただ好んで吸う男ではなかったから不思議に思ったのだろう。それでもエースは箱を振ってレキに一本、分け与えた。ついでに火まで 点けてやる。レキがぼんやり溜息を吐くように吹かす煙草、エースは意味深にそれを見つめ続けた。やけに神妙な面持ちで、だ。
  レキが気付いて少しだけ眼球をそちらにずらす。エースから思いも寄らぬ告白が飛び出した。
「言っとくけどそれ、入ってるぞ」
それ-エースが見ているのは先刻も今もレキが吸っている煙草だ。微かに妙な色を帯びた煙が出ている。
「はあ!?」
ワンテンポ遅れてレキが奇声を上げる。“酒は飲んでもクスリはやるな”が鉄則のフレイム、それだけは死んでも破れない。
  レキが煙草を親の仇でも見るような目で凝視していると、エースがなお真面目な口調で続けた。
「……ミントの葉が」
一瞬にして張りつめた空気がお粗末なものになる。そう言えばやたらに爽やかな香りが二人の周囲を包み、見つめた先の煙草からは ほんのり淡い緑色の煙が出ていた。
  レキは半眼で再びアロマ煙草(エース手作り)を加え直すと、吸いもせず、吐きもせずただミントの香りをそこら中に振りまいた。 エースはただ黙って煙草を吸い続けている。時にたまった灰を自分の脇に置いてある灰皿にリズム良くたたき落とした。
「何、真面目ぶっちゃって」
普段なら道路にここぞとばかりに吸い殻を積むエースが、今日に限ってわざわざ灰皿なんかを用意している。特に持ちかける話題がな かったレキはそれをダシにとりとめのないツッコミを入れた。
「バーカ、自然を汚す権利は人間にはねえんだよ」
「かっこつけちゃって」
エースの口から出たとは思えない正当な理由にレキが微笑した。どことなく嘘臭い笑みだ、作り笑いなどする必要性はこの状況下どこ にもない。エースも訝しげに、途中の煙草を灰皿に押しつけた。仕切直しとばかりに新しいのに火を点ける。今度はミント味も香りも ない、いつものハードな匂いの煙草だ。
「……なんかあったか?」
聞くしかない状況だった。レキの不自然な笑いに気付かない方がどうかしている。聞こえてないわけがないのにレキは無反応であった。 エースは暫く真面目に返答を待っていたが、あまりに沈黙が長いため、その内にくわえ煙草で砂山を作り始めた。ただひたすらに大きく なっていく砂山を目にして、レキは重い口を開く。それはエースの神経が砂山造りに全投入される直前だった。
「シオとやった」
ブッ!-何ともベタだ、分かりやすい反応をすぐさま示してくれた。エースは勢い良く煙草を吹きだして、慌てて灰を拾い集めた。
「手ぇ出すなっつった奴が一番はじめに手ぇつけてどうすんだっ、言い出しっぺはてめえだろーが」
エースの言うことは全て正しい。シオがフレイムに入った頃、レキが自分で口にしたことだ。トラブルを避けるために決めたことを破り、 案の定トラブルを招いてしまった。
 : エースの呆れ返った言いぐさにもレキは何も言い返さない。それどころかこの世の終わりのような顔をして生気のない目を伏せている。 あからさまな落ち込みようにエースも半眼のまま言葉を失ってしまった。季節はずれの鬼火をしょったレキと、そのどす黒い空気から 少し距離を置いて避難するエース、不審がってテンガロンハットも共に自分の方にたぐり寄せていた。
  レキは沈黙を破らない。エースが似合いもしないのにかわいこぶって砂山を作ろうが、わざとらしく後ずさってみようが彼の視界には 入っていないようだった。元の位置に戻って、仕方なくエースが口火を切った。
「まっ、何があったか知らねえけど慣れねえことはやるもんじゃねえな。土台、お前にゃ向いてねー」
何も状況説明をした覚えはないにも関わらず、エースは全てを悟ったような言い回しでレキをたしなめた。おっさんくさくのんびり 立ち上がると、砂まみれになったテンガロンを適当にはたく。そして満足そうに頭に乗せた。
「……その顔、シオには見せんなよ。後悔してんならなおさらだ」
横目に見たレキの顔、すぐに顔をうずめたため一瞬しか確認できなかったが、エースがいろいろと察するには十分すぎるほどの情けない 顔だった。フレイムのヘッド、レキが晒すような顔ではない。エースも、その一員ではあったが。
  気を利かせて、エースはこの砂浜というスポットをレキにあけわたしてやることにした。おそらく一人になりたくてここへ来たのだろう、 が先客である自分が居たために中途半端な話をする羽目になってしまったのだ。灰皿を律儀にレキの隣へ移動させて、エースはそのまま 踵を返した。
  後悔してるなら-エースの言葉が頭に響く。
  後悔していた。レキは全てを後悔し始めていた。この場所はレキを癒してはくれない、寧ろ責め立てる。彼自身それを望んだ。せめて この島が誰も知らない無人島ならどんなに良かったことか。そうすれば狂ったように声を上げて泣くことが許されたかもしれない。が、 エースが言うようにこんな顔を誰かに見せるわけにはいかなかった。シオだけに留まらず、フレイムメンバーには決して、見せるわけ にはいかない。
  矛盾だらけの胸中を制すように、レキは片手の平で目元を覆った。声を殺す。歯を食いしばって押しつぶされそうな感情に耐えた。 エースが残していった砂山と灰皿だけがレキの苦痛と後悔を共有してくれているようにも思えた。煙草はほとんど吸われることなく、 先端から徐々に灰となり、やがて空しく砂の上に落ちた。

  鯨の親子については詳しいことは分からなかった。何故ならレキは前日の睡眠不足を理由に船室で浅い眠りに落ちていたのだから。 高いびきをあげることは流石にできなかった。いつものことと言えばそうだが、船上であるためか夢を見ることなく頭の隅の方で記憶 に残りそうもない会話や物音が通過していくのが分かった。狸寝入りとうたた寝の中間のような曖昧な意識を継続し、船が再び隠れ里 に到着するのを待つ。
「寝ちゃってるけど、蹴飛ばしたら起きる?」
ぼんやりとしか聞こえなかった人々の声がやけに鮮明に脳裏をよぎる。かなり至近距離に居るらしい、ラヴェンダーの声だけがはっきり していた。
「たんまたんまっ。眠り浅いから少し揺らせば起きるよ!」
ナイスフォロー、胸中で呟きながらレキは蹴り飛ばされる前に体を起こした。すぐさまラヴェンダーのつまらなそうな顔が飛び込んでくる。 「あら残念。着いたわよ」
レキは一番最後に船を降りた。フレイムのヘッドとしての顔を思い出しながら。