ACT.11 トライアングル


  相も変わらず、里の中は体にまとわりつくような湿った空気が充満していた。そしてそれがレキの機嫌を作用するのは分かる。例え ここで彼が「あ」に濁点をつけた雄叫びを突如として発しても、他者はたいして気に留めないだろう。が、ここに来て一番苛立って いたのはレキではなかった。波紋は薄れるどころか、止めどなく広がっていたのである。
「ナガヒゲんとこに不必要なもんは置いていこうぜ。食うもんと銃と、水は多めに持ちたいもんな」
「……まさかこのまま即行砂漠地帯に行く気?」
ジェイが周囲で泣きわめくひきがえるよろしく、口元をひきつらせる。
「何だよ十分休んだろ?準備できたらすぐ出るぞ」
レキはあまりこの里に長く滞在したくはなかった。明確な理由はない、が彼の直感が例のあれを感じていた。今日の空気はこの前以上に 湿度が高い。
「できればそのー……もう一日ここで休養を~……」
歯切れの悪い口調でジェイがおずおずと提案、無論レキがそれを受け入れる理由はない。権利は濫用してこそ意味がある、とでも言わ んばかりに却下しようとした刹那-。
「休んでいくのが当然だろ。船が苦手な奴だっているんだ、計画も立てないで砂漠に突っ込むなんて正気の奴がやることじゃない」
辺りが、静まり返った。ハルの指摘に間違った点はない、それは誰もが分かっているがいつもならこうはならない。呆れ顔で慌てて レキを制すハルの姿を見慣れているせいか、皆この冷静すぎる否定に半ば面食らっていたのである。加えて遠回しにレキを批判して いるようにも聞こえた。言われたレキも、それを気付かないほど鈍くはない。
「……ケンカ売ってんのか」
そして頭に血が上るのが早いタイプだ。慌てたのは今回に限ってはジェイだった。
「まぁまぁ、どうしちゃったんだよお前らっ。レキもくだらねーことでカッカすんなよ」
この場合、場違いなのは確実にジェイの方だった。ハルの視線は冷たく、とても口がすべったというふうではない。故意だ、ジェイが 気付いたくらいだからエースを含む残りの三人も勘づいたことだろう。だから余計にこの場を冗談で乗り切る必要性、乗り切らせる 義務がジェイにはあった。が当人同士は至ってその気がないのか、一触即発状態だ。
「ハルもだぜ?今のは言い方きついって。お前にしちゃあ珍し……」
「要るもの書き出しとけよ。どうせ俺がやるんだし、先に行く」
膠着状態を先に破ったのはハルだった。レキと睨み合っていた視線を不意に逸らして、さっさと一人で買い出しに向かう。確かにこういう とき雑用を一手に引き受けるのはハルだったが、それに対して嫌味めいたことを言ったのは今が初めてだった。
  ジェイが肩を竦める。
「なんだあ?ハルのやつ。お前らなんかあったのかよ」
「明日の朝まで好きに行動、他に何もなければ解散」
徹底的にジェイを無視してレキもさっさと群を離れる。もはや怒ることも忘れて、ジェイは唖然として突っ立っていた。
「おいおい……。何なんだよあいつら」
ジェイの折角の立ち回りも全てただの空回りに終わる。疑問だけが大きくなる彼とは対照的にあらかた察することができたエースが 無言で肩をたたく。レキの今朝の告白の後すぐこの事態だ、ヒントを与えられていたのだからエースが全てを悟るのは不自然なこと ではない。そうでなくても彼はハルの気持ちくらい、薄々勘づいていた口だ。
「気にすんな、虫の居所が悪かったんだろ。それより俺らもやることやっとくぞ」
エースが不躾に自分の三丁の銃をジェイに押しつける。それを見てラヴェンダーもくそ重たいバズーカやら、愛用のサブマシンガンやら をジェイの側へ持ってきた。二人が言わんとすることにジェイも気付いて得意気に爽やかな笑みを浮かべた。
「そうだな!メンテは大事だ!砂漠なんて危険そうだし、俺の調整が必要不可欠だもんなっ」
「ラヴェンダー……バズーカは置いていけよ。軽装でって、レキも言ったろ」
「分かってるわよ。代わりにライフル持ってくからこれも整備しといて」
おまけ、とばかりに小型のアサルトライフル、そして専用のスコープが無造作に投げられた。積み重なった銃器の山を見て、ジェイは 引きつった笑みを浮かべた。

「多めに入れてあるが水も食糧もせいぜい4、5日分じゃぞ。普通~に考えてな。節約して使うんじゃぞ」
ナガヒゲがかき集めてくれた缶詰やら飲み水やらの入ったリュックをおもむろに担いで、ハルが適当に相槌を打つ。診療所にあるナガヒゲの 自室で、ハルは自らが言った通り物資の調達に励んでいた。
「サンキュー、だいたい揃ってると思うよ」
ナガヒゲの、自室の扉は開きっぱなしにしてある。こちらの声は外に漏れているし、先刻から響いてくるブレイマーの呻り声も勿論 ハルの耳に届いていた。少し視線をずらせば何やら楽しそうなシオと、ブレイマーが仲良く椅子を並べて座っているのが見えた。 呻っている、というのはハルの解釈であって当人同士は楽しく会話をしているつもりなのだろう。そこに音声としての言葉はひとつも なかったが、アメフラシの女とブレイマー、相反するはずの両者が互いに心を許しあっていることはハルの目にも見て取れた。
「仲が良いじゃろ?人間同士でもなかなかこうはいかん。いや……人間だから難しいのかもしれんの」
シオが屈託無く笑う。レキの前で笑うのと同じに、少女のように笑顔を見せる。
「(このブレイマーが……きっかけなんだよな)」
シオが財団からルビィを奪う、クレーターを目指して隠れ里を出る、危険を覚悟でブレイマーを救うことを決意させる、全てのきっかけ であるこのブレイマー。救うことが結果「死」を意味するだろうことを彼女は理解しているのか、無邪気な表情を見ている内にハルは そんな危惧を抱き始めていた。
  何か声を掛けようと思うのだが、かけるべき言葉がさして見当たらずに、ハルはどっちつかずのまま暫くその光景を眺めていた。 思い出すのはレキと笑い合うシオの顔ばかり、そんな自分にハル自身嫌気がさし始めていた。
  と、シオが急に立ち上がって窓の外を覗き込む。
「どうしたの?」
他愛ない会話の切り出しが見つかってほっとする。が、ハルに気付いていないのかシオはそのまま食い入るように外を見ている。
「シオ?どうかした?」
一度目はやはり聞こえていなかったらしい、今度は振り返っていつもの口パクで窓を指さした。
《あめ》
たった二文字をもはや間違うことはない。それほどハルはシオの唇の動きを読むのに慣れ始めていた。おそらくメモでの会話も、漢字 が使える分人より多くしてきている。飴が降ってくるはずはないから十中八九「雨」のことを言っているのだろう、降り出してはいない が確かにそんな感じの空の色だった。
《レキに知らせてくるね》
分からない振りをしてしまいたかったが、ハルは曖昧に頷いた。シオはメモを必要としないハルとの会話に心地よさを覚えているらし かったが、ハルにその気持ちはもう持てない。小走りに診療所を出ていく彼女を棒立ちのまま見送る。
  ブレイマーはそわそわ落ち着かない様子で椅子から腰(?)を浮かしたり着けたりを繰り返している。猫が顔を洗うと-は先人の教え であるが、現代ではブレイマーがそわそわし始めると雨が降るらしい。ハルとそのブレイマーは、一人と一体で視線がかち合ってしまい 暫く妙な形相で互いを凝視した。
「いいな、お前は……」
つい今し方までシオが座っていた椅子におもむろに腰を据える。苦笑したかと思えばハルはすぐさま浮かない表情でテーブルを見つめた。
  雨は彼女の言ったとおり、静かに、粒となって淀んだ空から舞い落ちてきた。音もなく、ただ静かに。

  レキは誰のとも知らない民家の屋根の下で雨宿りをしていた。隣ではシオが、自分と同じように空を見ている。レキは雨が降り出す 前からこの軒下に避難していて、シオの事前報告は半ば必要なかった。レキの雨予報は百発百中だ、近頃見ていなかった空を今日は 久しぶりにぼんやり見上げていたせいもあり、何ら雨の被害を被ることもなかった。
  シオが不意に肩をたたく。
《慌ててきたのに、意味無かった》
残念そうにメモを見せてくるシオにレキは微笑する。力のない笑顔だ、ただでさえ湿気の多い里で雨が降ればそれも無理はなかった。