「ちょっとたんま……」
ジェイが深く刻まれた眉間の皺を器用に痙攣させながら、ある特定の人物を呼び止める。言うまでもなく自称紳士野郎、一番信用ならない
あの男だ。
「言っとくけどなぁ……場所と二人っきりなのをいいことにラヴェンダーに手ぇ出すなよ」
「へーへー分かってるよ。何もしなきゃいいんだろ」
詰め寄るジェイの顔のアップに目を反らしながら軽く両手を挙げて降伏の意を表す。おそらくエースはこの約束を守る。これ以上ジェイの
神経を逆撫でして面倒なことに発展するのは正直うんざりだった。
こちらを威嚇しながらレキの後を追うジェイを、疫病神でも見るかのような目で見送ると、エースも腕組みの状態で待つ女王様に着いて
街中に消えた。
「その研究所が公用か私用かにもよるよなぁ。だいたいこんな荒れ放題なのに残ってる可能性あんのか?」
瓦礫に埋まりつつある屋内を半ば面倒そうに視界の隅に追いやって、レキが転がった電子機器を蹴り飛ばした。何かのオフィスに
使用されていたのか、机とブラウン管の割れたパソコンが無造作に転がっている。
外から見ても分かるほど高層だったと思われるビル内部を探索するのは思ったより重労働だ。かつての栄華を主張するかのように
この街にはこの手のビルが多い。
「始めて早々やる気が萎えること言うなよ。次行こうぜ、次」
開け放された自動ドア、傾いたエレベーターの扉、広い空間にスナックのパッケージなんかがひっそりと出迎えてくれる。ショッピング
センターだったのか、天井からぶら下がった看板に「BEEF」の文字。レキの足下にはビーフというよりは粘土のような物体が散らばって
いたが。
「なあ……レキ」
「ここも駄目だな、上にあがるまでもないだろ」
暗がりの二階に続くエスカレーターは二人を闇へ誘うようにぽっかりと口を開けている。レキはそれに見向きもせず出入り口に向かった。
「おいってば」
「何だよ」
どこを見渡しても暗い。ゴーストタウンに灯はない。夜の帳を運ぶ風が、自動でない自動ドアをガタガタと揺らした。瓦礫を踏み締める
足音がやけに響いた。
「いい加減ハルと仲直りしろよ。見てるこっちが息が詰まりそうになる。……シオたちもそろそろ変に思い始めてるぜ、きっと」
唐突な切り出しに目を丸くしながらも、レキは淡々と嘆息した。
「今は関係ないだろ。……別に派手に言い争いしてるわけじゃねえし」
「だからだろ。お前最近おかしいぞ?何隠してんだよ。このままじゃマジ、フレイム分裂だぞ……。今の状態がやばいことくらいレキも
分かってんだろ」
「……だからって今どうこうできるもんじゃないだろ。その話はすんな」
「おいレキ……!」
レキは自動ドアをこじ開けて次のビルへさっさと気持ちを切り替える。
ジェイだって苛立っているのは同じだ。自分が意図的に部外者にされているようで気に食わないのだろう。レキとハルの問題、は
言うなればナンバー1とナンバー2の分裂だ、訳が分からないままチーム解散だけは避けたい事態なのである。
ジェイは不満を顔一杯に出して、レキの後を愚痴りながら追った。
彼らがそんな微妙な会話をしているとは露知らず、ハルとシオは砂漠を歩いていた時と同じようにだんまりを貫いていた。別に気まずい
わけではないはずだ。ただ少し、シオは戸惑っていた。いつもならハルが不必要なほど無駄話をしてきて場を保たせていたから、彼に
喋る気がないならシオから話を振るわけにもいかない。
それでも時折振り向いてシオの所在を確認するところはやはりハルらしい。目があってしまったので、シオは会話を持ち出した。
何の気無しに一番まずい内容のものを。
《どうかしたの?さっきから黙ってるけど》
隣を歩いてしっかり目を見て話をするはずのハルが、今日に限ってはシオより数歩先を、背を向けて歩いていた。そして今も、あからさま
な作り笑いを浮かべている。
「いや?別に。……にしてもっ、ブレイマーが居なくて良かったよな。こんな夜道で会いたくないし」
路地にはどこかから落下した建物の破片が所狭しと散乱している。それらを注意深く股越しながら、ハルは四方八方に視線を配った。
シオの返答を待たずにさっさとまた背を向ける。
シオが駆け寄ってハルの肩をたたく。久しぶりにメモ帳をハルの前に広げた。
《私何かした?》
驚いたのはハルの方だ。自分では平静を完璧に演じているつもりだったから、その質問には正直虚を突かれた。そしてすぐ満面の笑みを、
つくる。
「ごめんごめんっ、そんなんじゃないよ。……ただ……最近ちょっと……疲れてるだけで」
しまったと思った。嘘をついているわけではない、ここ最近の心労はハルの負担になっていた。嘘ではないのに目を反らす。それが
決定打となったのかシオもそこに何かがあるのことを確信した。
重い沈黙が訪れる。顔をあげないハルと“会話”はできない。シオは無言のままメモ用紙を一枚めくった。
《レキと何かあった?》
別に、とか何も、という返答はない。そしてハルはただ疲れるだけの作り笑いも止めた。
「そっちは?」
女性の嫌がる質問返しなんかをしてみる。しかもえらく場違いなようで事の核心を突く一言だ。
「シオは……レキとどう?うまくやってる?」
シオの凝固した表情にハルがまた、しまったという顔をした。シオの表情は心の代弁をする唯一にして最大の武器だ、彼女は作り笑い
なんかしない。無理のない穏やかな笑みで、もう一度メモ用紙を見せた。
《うまくなんかいかないよ》
ハルの脳裏にレキとの言い争いのひとつひとつがよぎる。ハル自身どうしていいか分からず、ここのところそればかり考えていた。一番
当たり障りのない行動を選び一番うまくまとまる結果を導き出す、いつもできていることができない。うまくまとまらない結果が見えて
いるから、行動に移せないのである。
ハルはそれを逆手に取ることを腹に決めた。不変など、この世には万が一にもありはしないことを彼も、彼らも知ってしまっている
のだから。
「……俺じゃだめかな」
メモ用紙をしまうシオの手が止まる。
「レキの代わりってわけじゃないけど……俺、レキだけは……奨めらんない。あいつがシオにしたことは……」
「知ってる」
一粒-。
水滴がハルとシオの間に落ちた。シオはレキの気持ちを、その気持ちがないことを知っている。そしてハルも、それを知っていた。
だとしたらこれ以上のハルの介入に何の意味があるだろう、分かっていても納得などできない。
「けど俺、そんなの認めらんないよ……。なんで知ってて……そう思えんの?レキはこの先も本気になったりしない、そういう奴なんだよ……!」
「そういう言い方、ハルらしくないよ。……人を好きになるのって理屈じゃないでしょ?レキが悪いんじゃない、私がただ……側にいたい
だけ。レキはあの時誰でも良かったのかもしれないけど、私はレキじゃないとだめだった。……それで十分だよ」
そう、十分である。ハルを打ちのめすには十分な台詞だ。シオにこんなことをわざわざ言わせてしまう自分がやりきれなくて、ハルは
奥歯を噛み締めた。
霧雨がハルの髪をしんなりと寝かせて、シオの広げたままのメモ用紙も湿気を含んでへしゃげた。おそらく誰かはこの突然の雨の
原因に気付く。しかしそれを言わせたのがハルで、彼女の意志の強い言葉のひとつひとつが何であったかまでは誰も知ることはない。
シオはメモ帳をしまって、ハルを追い越し路地を歩いた。
二人一組にしたことで、今まで奥深く潜んでいた様々な思いが吐き出される中、全く以ていつも通りの二人も中にはいる。とある
民家のドアを開け外に出た途端、降り出した雨にエースが顔をしかめた。
「タチ悪いな。こんな中で二三発撃ったところであいつら気付くのか?」
独りごちながらエースが渋々銃を空に向ける。真っ暗闇の中どこからともなく落ちてくる雨に、テンガロンハットも元気なくしおれる。
と、中からラヴェンダーがよろけながら顔を出した。
「気付くわけないでしょ、どうせのんびり雨宿りとかしてんのよ。二三発で駄目なら百発くらい撃ちゃいいでしょ」
小さくかけ声を上げてラヴェンダーが持ち上げたのは軽量のマシンガンだ。エースが一気に目を見開いた。
「ちょっ!待てっ-」
「せーの」
直後、小雨の舞う静寂のジャンクサイドに末恐ろしい死の連射音が轟いたのは言うまでもない。数十秒それが続いた後、ラヴェンダーの
半径二メートルに鉛の残骸だけが散らばっていた。