ACT.13 デジャ・ヴ


  たかが合図、されど合図、伝わらなければ確かに意味はない。
  ラヴェンダー一人が随分満足そうに仁王立ちしていた。流石歩く人間凶器と恐れられた女だ、などと感心している場合ではない。 エースが呆れながらマシンガンを没収した。
「アホかっ。やりすぎだっ」
「何よ、これくらいやんないとマジ来ないわよあいつら」
さっぱり悪びれない言いぐさに、エースも徒労を感じてさっさと引き下がった。
  数分後、青筋をこれ見よがしに浮かべたレキが、鬼のような形相で(しかしダラダラ)到着。すぐさま文句の嵐が飛び出すのかと 思いきや、口元を引きつらせながら無言で二人を睨み付ける。どうやらレキには似つかわしくない「我慢」をしているようだ。 エースがそこから逆にただならぬ怒りを感じとって冷や汗を流す。
「俺は一応止めたぞ」
一応、は付けない方が良かった、飛んできた鬼の目に一瞬にして口ごもるエース。言わなければならない罵詈雑言が多すぎて、レキの 頭はショート寸前だ。
「……一応言い訳くらい聞いてやる」
偏頭痛が始まったらしく後頭部を激しくうちつける。見たことのないレキの態度にラヴェンダーも面食らっていた。
「だからぁ、雨ん中ハンドガン二三発撃ったってあんたたち気がつかないでしょ?何よ、ちょっとマシンガン連射したくらいでカリカリ しないでよ」
「あのなあ!」
固く閉じてきた目蓋が開けられると、レキの血走った眼球が覗く。
「今いないにせよ!見てないにせよ!この近辺にはブレイマーが巣くってるかもしれないだろ!?あんなもんぶっ放して呼び寄せたら どうすんだ!」
「……ごもっとも」
スピーディーな説教は中途半端なまま中段を余儀なくされた。どうやら偏頭痛はラヴェンダーの所行のせいと言うよりは、この霧雨に よるものらしい。キレながらさっさと屋内に入るレキを皆哀れみの瞳で見やった。
「で!?何見つけたんだよ、これでしょーもなかったらマジぶっ飛ばすからな!」
  殺伐とした家屋の中、コンクリートの冷たい壁、雨天の外よりも薄暗い中をレキは手探りで歩く。荒れた室内には割れたガラス片や バラバラになった家具の木材なんか散乱していて、歩くたび靴の下で音を立てて砕けた。
  エースがしゃがみこんで民家には不釣り合いな鉄の地下扉をずらし、開ける。厳かな音と湿ったカビの臭いにレキも目を見張った。 「中まで確認はしてない。降りてみるか?」
「……当然だろ」
エースを押しのけて先陣を切る。ひんやりとした空気に一気に悪寒が走った。勢い良く踏み込んだものの、レキはすぐに足を止めた。 何かが違う-エースとラヴェンダーが単独で踏み込まなかった理由を、レキは一瞬で悟った。まるで別世界、もしかしたらではなく 確実にこの奥には何かある。
  エースがジッポに火を灯して後ろから奥を照らす。薄ぼんやりとした明かりの下、レキは一歩一歩地下へ続く階段を下りていった。 数十段で広々とした空間に出る。が、歩き回るには細心の注意が必要だ、少し動いただけで側に積み上げてあった本の山が派手に崩れた。 埃が煙幕のように舞う。
  最後に下りてきたシオが、気が利くというか何というか古くさいランプを持ってきた。エースのジッポの炎がそれに灯されると幾分 部屋全体がうっすらと明るくなった。それと同時に膨大な本の量に圧倒される。室内の半分はそれが占領していると言っても過言では ない。
「手分けした方が良くない?……って言うか俺たぶん見たって分かんないし役立たずかも」
あっけらかんと自分を卑下するジェイ、レキも同じことを考えたがわざわざ無能アピールはしない。状況を見かねたハルが溜息混じり に二人をあしらう。
「……俺とシオであらかたチェックするから。多人数でこんな狭いとこに居ても仕様がないだろ」
「だな」
エースは実のところその台詞を待っていた。見るからに膨大な量の本の中からビンゴするかも分からない情報を虱潰しに探すなどという 途方もない作業はごめんだった。
  一足先に踵を返そうとするエースのベルトを、ハルがしっかりと掴む。
「……英文は読めたよな」
  科学者の研究論文の多くは、よほどの偏屈者じゃない限り英文で書かれる。見え透いた嘘をついても仕方がない、エースが舌打ちひとつ で諦めてチェック組に合流した。
  そんなやりとりの間にレキはよろよろと上への階段を上る。
「悪ぃけど任せる。……気分悪ぃから上でちょっと休むわ」
「何、大丈夫?熱中症?」
アホ面さげたジェイはほぼ無視、後頭部を押さえてレキはさっさと姿を消した。ジェイが愚痴をこぼしながら後へ続く。自分もそちらへ 加わるはずだったのを阻止されたエースは、後ろ髪引かれる思いでそれを見送る。
「悪いのは気分じゃなくて機嫌だろ。まあ、レキじゃなくても鬱陶しい感じの雨ではあるけどな」
エースの皮肉を受けて、ハルが気付かれない程度に視線をシオに移す。
  雨を降らせたのはシオだ、が彼女が責任を感じる必要は微塵もない。それを伝えたかったが、逆に傷つける気がしてハルはそのまま 足下の本に目を通し始めた。
  ハルの予測通りほとんどの本は英文で、詳しい内容は掴めなくてもそれらが何かの研究論文であることは察することができる。だと したらここが求めていたブレイマー研究者の家である確率が高い。しかしあくまで家、だ。この狭さではお世辞にも研究室とは呼べない、 あるのはどこをどう見渡しても本ばかりだ。
「DNAとか染色体とか、そういう単語ばっかだな。もうちょっと色気のある研究してくれりゃあなぁ、せめて精子とか卵子とか……」
思い切りセクハラ発言したにも関わらずハルもシオも見向きもしてくれない。エースが黙ると本のページをめくる音だけが空しく響いた。

  レキとジェイがチェックしてきたビルよりは中の家財道具が一通り形を残している。窓を隔てても聞こえる雨の終わりのない音が、 静けさを強調する気がした。
  何かに思い切り貫かれて、中のスポンジがむき出しになったソファーにレキは寝ころんだ。この穴がブレイマーの鉄拳によるものか、 ここの家主によるものかなんてのはレキにはどうでもいい。目を開けたままでひたすらに天井とにらみ合いを続けた。ジェイが様子を 伺っていることくらい気付いている。自分の態度のひどさも、怖じ気づいたジェイに気付かされていた。
「……あ~もう……何だよ、何か言いたいことあるんだろ?……悪かったよ、誤魔化して」
レキが困ったように頭を掻いて身を起こす。ジェイは肩を竦めてこれ見よがしに嘆息してみせた。
「いーよもう。レキが話したくなりゃ話せばいいし、俺はこれ以上口出さないようにする。……でもハルとのことは別だぞ?煙たがられて も元に戻るまで口出させてもうらうからなっ」
「分かったよ。……努力する」
  役立たず二名が全く以て関係の無い話をかましていたところに、ハルの呼ぶ声が聞こえた。二人とも反応はするが下には下りない。 微かに聞こえたのはシオとエースの名前だったから。
  ラヴェンダーが何をしていたのか今更地下から這い出してきた。
「何だって?」
「さあ?難しいことごちゃごちゃ言ってる。バクテリアがどうとか」
ここにも一人役立たずがいた。結局のところ待つしかないのが現状だ、三人は下で交わされる会話に割り込む気もなく、ただ暇を持て 余した。

  地下室ではほの暗い明かりの下、三人が顔を寄せ合って一冊の本に注目していた。部屋の中央に置いていたランプを、ハルが担当 していたデスクに移動させる。タイプされた印字ではない、分厚い本にはびっしりと手書きインクの横文字が羅列していた。
「“5月28日、雨。今日も止まない、クレーターの調査は見送ることにする。”……これって日記、だよな。クレーターってあの クレーター?」
「しかないだろ。くそー、あったらあったである意味面倒くせぇな、そいつを読むのか」
エースの発言に少しむっとした表情を見せるシオ、がすぐにハルの横から本のページをめくり一番始めのページで手を止めた。
「よし……!」
ハルはひとつかけ声を上げると、真剣な眼差しで日記を読み始めた。もはや手分けして他の確証を得ようという気はないらしい、シオ も食い入るように文字を目で追った。しばらくページをめくる音だけが地下に響いた。
「で、どうだ?それらしいこと何かあったか?」
無ければ無い方がいい、少しそんなことを考えつつも待つのが退屈でエースが声をかける。返答は無い、と思ったらワンテンポ遅れて ハルが一応返事をくれた。
「……大爺さんが言ってた研究者には間違いないかもな。……ブレイマー自体の話はまだ出てこないけど、毎度毎度クレーターの調査の ことが書かれてある」