レキは本来の目的を最優先事項に選んだ。内ポケットの中で握りしめていた銃を離し、ダイナマイトを握り直す。
風の音だけが普遍的に鳴り続ける中で、失笑が、それがとりわけ異質だったせいか派手に響く。無論、ローズのこぼしたそれだ。
「用はない、か。ここまで目の色変えて追いかけといてよく言えるわ」
ローズは知っている。レキが挑発に弱いこともを。レキは答えなかったが、微かに反応した目元を彼女が見逃すはずもない。
「じゃあこれは?あんたにとって、どれほどの価値があんの?……欲しいなら、ごちゃごちゃ言ってないで力ずくで奪えば……?」
その時ばかりは、このやかましい風の音が本当に鳴っていたのかどうかも疑わしかった。コッキングの音など、通常なら聞こえる
はずもないのだ。二人の距離はおよそ10メートル、会話がやっとの状況下でその重々しい金属音に彼女が目を大きく見開く。
レキは懐に突っ込んだままだった右手を勢い良く引き抜き、ダブルアクションの引き金に指をかけた。ローズの口元から笑みが消える。
先に銃を構えたのは彼女ではなく、レキだった。
「……抜けよ。ごちゃごちゃ言ってないで」
真っ直ぐに伸ばした腕の先に、黒い銃と赤い光がある。
ユウに銃口を向けるのは、これで三度目だ-虚ろに、しかしどこかはっきりとした意識でレキはそんなことを思った。
三度、もはやその回数は仲間に決して銃を向けないというレキのポリシーから裕にかけ離れた数字のような気がした。二度目のとき
とは全く違う意味を持つ。この銃は、レキ自らの判断で先手として向けられたものだ。
一度目とも、違う。ユウに初めて銃口を向けたのは、忘れるはずもないあの日。レキのポリシーを生み出すきっかけになった、あの
小雨の降る日。
-ユウがブラッディ・ローズを結成して間もなく、バイクレースは月一の恒例行事となった。どちらが勝ってもその後は決まって
二人で会う。こういった小雨の降る日は気が乗らないせいだろうか、会わないこともあったがその日に限って霧雨の中、二人はいつもの
廃墟の、いつものベッドで並んで天井を見ていた。
「何してんの?さっきから」
寝ころんだままの態勢で、レキは横着にも何かを探していた。全身が重たい、窓の外の水滴を恨めしげに見やる。ユウが訝しげに眉根を
寄せて上半身を起こした。
「鍵……どこ置いたっけ?」
「はあ?ギンの?」
手元にないのが確定すると、レキも半身を起こす。今度は意識を鍵探しに集中させた。とはいえ、寝起きのせいかいまいち閃きが来ない。
後ろ手に頭を掻きながら途切れ途切れの記憶を辿った。
「挿しっぱなしってことはないよな」
「知らないわよ、見てきたら?」
露骨に顰め面を作りながらレキがジャケットも羽織らず外へ出る。ユウもついでにシーツから這い出した。小さく溜息をつく。
「世話がやける……」
脱ぎ捨てられたレキのレザージャケットのポケットに何気なく手を入れる。彼女の肌に何かが触れた。鍵でないことは確かだ、金属独特
の冷たさと硬さではない。ユウは好奇心に駆り立てられ中のものを取りだした。
二つに折られた、随分古めかしい封筒だ、レキが持ち歩くにしては幾分不釣り合いな代物だった。ほぼ躊躇なしに中の手紙を取り出す。
単なる興味本位だ、他意はない。手紙は外側の封筒より更に薄汚れていた。年月がそうしたのではないことだけは分かる、本来ついて
いて当たり前の折り目とは別に、明らかに握りつぶした跡が無数にある。それでも、レキが捨てることなく持ち歩いていたもの-
ユウは無意識に息を呑み、ゆっくりと手紙を開いた。
「あ”ーよりによって挿しっぱなしかよ!今日に限って……」
少し濡れた赤髪をかきむしりながら、レキが独りごちる。反応して欲しくて過剰に大声を出したのだから独り言とは言えない、案の定
ユウはその声にとびきりの反応を見せた。
互いに予想外に状況が生まれる。ユウは咄嗟に封筒と手紙を後ろ手に隠した。紙が擦れる音がその瞬間にそぐわないことは、レキの
顔色を見れば分かる。ユウは微動だに出来ずにただ俯いていた。
「何……してた、今」
レキの声が微かに震えている。
「別に。鍵、あった?」
「……答えろって」
聞いたことのない、声だった。少なくともユウは、この抑揚のないレキの声を今まで一度も耳にしたことはなかった。叱られた子ども
のように、彼女はただレキから視線を逸らし、床を見つめ続けている。手には手紙が握られている。おそらくそれはレキからも見えて
いるだろうから今更誤魔化しが利かないだろう。かと言って、素直に謝って解決するのかどうかも疑わしい気がした。レキにもはや
冷静さはない。
「答えろって!!何してたんだよ、読んだのか!?」
「鍵探してたらたまたま見つけちゃっただけでしょ!?見られてまずいものなら置きっぱなしにしないでよ!!」
引き金に、手が掛かる。いつの間にか、そういつの間にかだ、レキ自身でさえ銃を取りだした時の確固たる記憶などなかった。
セーフティーの音が微かに響いて、ようやく自分の行動の異常さに気がついた。
ユウは微動だにしない。レキは気付いても銃を下げる気にはなれなかった。
「……中、読んだのか?」
震えている-声と引き金にかけたままの指が。レキが繰り返し問うのは理由でも謝罪の言葉でもなく、その事実だけだった。
「……見てない」
ユウはもう平静を取り戻していた。どこか冷めた目でレキの行き過ぎの行動をなじるように、呟いて嘆息した。
レキはその言葉を単純に信じるしかなかった。手紙を読んでいたら、ユウのこの反応はおそらくあり得ない、そう思ったからこそ
握りしめていたハンドガンから力が抜ける。構えた覚えのない銃ががらくたじみた音と共に冷たい床の上に落ちた。
これが一度目。全てが無意識のまま、防衛本能に従った結果だった。その時のレキには自分を守るものと言えば銃一丁しかなかった
のである。そしてそれは、時が過ぎても何一つ変わることがなかった。
-コッキング音。ローズがおもむろに銃を取り出す。
一度目は無意識だった。二度目は仕方なく、そして三度目は自らの意志で互いに銃口を向け合う。レキがこの状況を選び、作り上げた
のだ、それだけは認識を共有していた。膠着状態はそれほど長くはなかった。レキはローズに向けて、重すぎる引き金を、引いた。
ガァン!!-ほぼ同時に、ローズのトリガープル。まるで示し合わせたかのように、二人は一気に距離を詰めた。互いの弾は強風に
流されて命中することはなかったが、それでもこの一発は二人の間のいろいろなものを断ち切り、破壊した。
一発目を皮切りにローズは躊躇うことなく連射する。レキは、
「どこ狙ってんだ!!」
避ける手間がない。ローズの威嚇射撃に少しもひるむ素振りを見せず、レキはただ集中し、渾身の力で引き金を引く。錆び付いている
のかと錯覚するほど引き金が重い。それでも、振り切るように指に力を込めた。逃げるところも隠れるところもこの空間にはない。
目の前の女を撃つ、それがルビィを手に入れる一番簡単な方法だ。
ダン!ダン!ダン!ダン!-耳に渦巻くのはうるさい風の音、そこに紛れる銃弾の音。ローズは正面きってレキとの間合いを急速に
埋めてくる。手元が狂えば心臓を撃ち抜く、レキは一瞬指の力を緩めた。
不意に視界がローズで一杯になる。振りかぶられた両拳を避けようと一歩引いて、鳩尾めがけて膝をつきだした。あっさり決まる。
鈍い感触を覚えてレキは舌打ちすると共に後ずさった。何故、舌打ちが漏れたのかは正直分からない。
「ダァン!!」
小さかった銃声が、本来の大きさで初めて轟いた。距離は二メートルもないのだ、当然といえば当然でそんな些細なことに気を取られ
ている間にすぐに二発目が放たれる。
「ダン!!」
先刻よりも一段と大きく、耳元を鋭い痛みが走ってレキはそれにすら意識を奪われた。