ACT.13 デジャ・ヴ


「だったら二手に分かれよう。その方が早い」
レキが提案、ではなく決定事項として提示する。正論、ではあるが確実性はない。
「……上へは俺とラヴェンダーで。最悪制御に間に合わなくてもキャノン破壊できる用意は必要だろ」
全てにおいて、いつも確実性などない。兎にも角にも今はこの機械仕掛けの塔を上り詰めるしかないのだ。
  何人かが不満そうな顔をした。前はこうはならなかった。レキは見て見ぬ振りをした。
「制御室に入れる保証はねえ。無理と思ったら俺らもてっぺんに向かう、でいいよな」
「あ?……ああ」
エースがたまらずフォローを入れる。レキはそれさえ半ば聞き流していた。
  -シオは置いてくる必要があった。“アメフラシ”をユニオンの巣窟に招待するわけにはいかなかった。キャノン発射を止める自信も 彼女を守りきる自信もないのに、修羅場に連れてくるわけにはいかなかった。
  -ハルと二人で組んでも決裂するのは目に見えている。だから組まない。
全てはレキの判断だ。
「俺らはこのフロアから順当に当たっていく。……まあヘマしないようにな」
ショッピングビルを一階から攻めるか屋上から攻めるか、そんな感じだろう。
  レキは一足先に上への階段に足を進めた。ラヴェンダーもその後を追う。
「バズーカでも大砲破壊するって難しいと思うけど。……ハンドガンじゃなおさらじゃない?」
「ダイナマイト使う」
「……。は!?」
レキはジャケットの内ポケットをひらひらとめくって、その所在を臭わせた。懐にダイナマイトを忍ばせるような輩に、バズーカや マシンガンの連射をとやかく言われていたかと思うと彼女としても理不尽さを覚えざるをえない。しかし今は、レキの非常識さを 頼りにするしかなかった。

「制御室があったとして、そこに押し入って……止めろってことか?随分な作戦だよな」
言い放つハル、対してエースはテンガロンハットをブラインド代わりに黙々と、かつテキパキと銃をコッキングする。
「……どうやったらそこまで従順になれんだよ」
独り言とも言えないような小声でハルが呟く。勿論エースには聞こえていないはずだ。
「……ひとつ良いことを教えてやろうか」
鉄扉の前で足を止めて、エースがぼそりと呟く。
「後出しジャンケンするならわざわざ負けの手出すな。正直にバカがついても得るもんは何もねえぞ」
「は?何言って……」
「卑怯な奴が勝つってこったろ」
扉は開けない。足下数センチの隙間に指をねじ込んで即座に数歩下がる。エースの奇妙な行動と奇妙な台詞は、ハルに対しての アドバイス(余計なお節介とも言うが)であり、これからしでかすことの予告でもあった。
ドバァァン!!-ハルが半歩下がる。扉の隙間、つまりは内側から黒灰色の煙が勢い良く漏れ、立ち昇る。
  状況を全て把握する前に、次々と事態は展開していく。まず、警報が鳴り響いた。地方警察で聞いたかん高いそれとも、ブリッジ財団 で聞いたクイズに連続不正解したようなそれとも違う、下腹に重くのしかかる低い低い濁った音だ。誤ってこうなったわけではない、 明らかにエースが故意に仕組んだ結果である。さほど遠くない位置から無数の足音が統一性なく迫ってくるのを感じた。ハルが頭を かきむしる。
「何してんだよ!わざわざっ……!」
「見りゃわかんだろ、目立ってんだよ、囮なんだから」
エースがテンガロンハットを深く頭に押しつけた。メインアームとサイドアームを両手に構えて、これから湧き出る標的に備える。 ハルは黙って懐から銃を取りだした。
  “囮”という単語は先刻の短い打ち合わせの中では一度も出てこなかったはずだ。だが下階が暴れることで上階が手薄になることは 明白である。エースの一連の行動が全てレキの補佐であったことに気付いても、今となっては文句のつけようがなかった。と、いうより 以前なら自分がこの役を買って出ていたような気がしてならない。そして今は、思考が全くそちらに傾かない。
  嫌な気分だった。形容しがたい、とてつもなく嫌な気分にハルは襲われていた。
「来るぞ!」
エースが腰を落として両腕を突き出す様を、ハルは苦々しい気持ちで見ていた。

  爆音は上の階にも微かに届く。とっさに振り返るラヴェンダー、レキは分かっていたのか大して動じることなく視線だけを階下へ 向けた。大暴れする奴らへの毒舌か、警報への八つ当たりか、ラヴェンダーが次にぼやくのはそんな内容だろうと、レキは践んだ。 軽く聞き流して先を急ぐつもりで体を反転させた矢先、彼女は思いがけずレキの名を呼んだ。聞き流すにはあまりに上擦った声で。
  反転しかけた半身を反射的に戻したせいで、右足が本人の意思とは無関係に地団駄を踏んだ。それがガラスを通して「彼女」にまで 響くということは考えにくかったが、実際レキとその女はしっかりと互いを認識した。ほんの数秒、階段に隣接する透明なエレベーター が下から上へと上る間、こちらへ向けられた視線にレキの心臓は大きく脈打つ。
「今のって……。ローズ、よね。……ローズよね!?」
また派手に地団駄が響いた。レキが猛スピードで階段を駆け上がる。想定の範囲外だったのか、内だったのかどちらにしろ鼓動は早鐘を 打つ。
「ちょ、レキ!!」
「先に行く!!」
息つく間も無く、レキは一心不乱に階段をかけ上った。
  女の目は明らかに、レキを誘っていた。ラヴェンダーが後ろから追い掛けて来ているかは分からない、とっくの昔に見えなくなって いたし半ば気にしてもいなかった。ローズのことで頭が一杯、というのとも少し違う。どちらかと言えば呼吸の方に全神経が集中してい るように思えた。息を吸う音も、吐く音もほとんどしないまま、ただけたたましい足音だけが響き渡る。
  -風が、生き物のようにうねる。それを痛いだとか、気持ちがいいだとか感じる余裕はなかった。聴覚を支配している轟音が風だった という根本的なことにさえ、扉を開けて約30秒経ってから気付いた程だ。
  天気は良い。しかし、この場は見たこともない嵐のようで両足に意識を向けないことには立っていることも難しい。そうやっていろいろ なものに意識を分散させていることが、結果的にはレキに冷静さを保たせていた。
  ローズが立つその後ろに、バカでかいビルをひとつ横倒しにしたような砲台が厳かに黒光りを放っていた。圧倒はされない。視界から はみ出したそれは、レキにとってはもはや背景の一部でしかなかった。
  ローズの長い髪が風を受けて真横に流れる。
「財団の差し金か?だったらシバも……来てるってことか」
聞こえたかどうか分からない。どちらでもいい気はした。呼吸は正常に戻っても、心臓だけは凄まじく脈動を早める。
  ローズがおもむろにジャケットの内ポケットに右手を入れる。レキも、咄嗟にポケットの中の金属をたぐり寄せた。
「これが何か、分かる?」
レキはポケットの中で銃を握りしめたまま、動きを止めた。彼女が取りだしたのは銃ではなかった。赤く、不気味なほど赤く光を放つ 石、ルビィ。ローズはそれを顔の横で掲げて見せる。彼女の白い肌が、紅に染まって映った。
  レキはやはり余裕がなかったことを痛感する。何を最優先に捉えなければならないのか、それを考えることを念頭においたせいか 力を込めていたはずの足元がふらついた。目の前の彼女か、彼女の手の中にある赤い石か、後方の黒い砲台か、それとも他の何かなのか。 確かだったのは、レキは追ってきたのは黒い砲台の前方で、ルビィを握る、女だったということだけだ。
「お前に何のメリットがある?エイジの復讐にそれは関係ない」
「私にとってメリットが何一つなくても、あんたたちにとってはデメリットでしょ。これが今、私の手の中にあるってことは」
会話が、ふとしたきっかけでルビィに傾いた。頭の中の優先順位が自動的にルビィに切り替わる。
  デッド・スカルに捕まったケイと引き替えに、レキはルビィを奴らに渡した。シバと通じているローズの手にそれがあることは大して 疑問ではなかった。
「だったら……何なんだよ。結局お前は何がしたいんだ?わざわざ返しに来たってわけじゃなさそうだしな」
  雲がレキの横を流れていく。いや、流されていっているのか。-こういった駆け引きは苦手だったし、苦痛でしかない。
「……どけよ。お前に用はない」