ACT.14 ブラックボックス


「何なんじゃあっ。こんな……こやつが暴れ出すなんてことは今まで一度もなかった……!それもシオに向かってなど……」
ナガヒゲが自室のドアの陰に半身隠して様子を伺う。レキはそれを鬱陶しそうに見やって、顎で戻るよう指示する。
「すっこんでろ!巻き添え食うぞ!」
「もうくっとるわい!」
ドアを閉めてレキの指示に従った。
「レキ……俺もすっこんでい?」
何故か廊下側、それもレキの後ろにジェイが突っ立っている。ローズの病室の隣で昼寝でもしていたのだろう、お粗末な寝癖がレキの 苛立ちを煽った。
「寝言言ってんなよ、シオがあんなだからハルは動けねー。ジェイがアシストしないで誰がすんだっ」
ジェイがあっさり観念して自分の銃を抜く。通常頭の安全を守ってくれるはずのヘルメットは、こういう最大の非常事態に限ってベッド の上だ、がレキの言うとおりそんなものを気にしている時間はない。
  ブレイマーの狙いは今のところ完全にシオだ。吠えているだけの状態がそう長いこと続くとは思えない。と、思った矢先にナックルが シオ目がけて繰り出される。これが、現実だと手っ取り早い方法でシオに知らしめたのは“友人”だった。ハルが体当たりさながらの 勢いでシオごと廊下側に倒れ込んでくる。
  ここでようやくハルが銃を取りだした。シオはほぼ放心状態で先刻のように突っ込んでいく気配はない、応戦するなら今の内である。
「ジェイ!首だ、同じとこ狙えよ!!」
「できるわけねえだろ~!」
いつぞやのエースに言われた台詞を見事にパクって、ジェイは図らずともあの日のレキと同じ返答をし銃の照準を定めた。倒れ込んだ ハルを、座り込んだままのシオを、ブレイマーが捕捉する前にレキは引き金を引く。倣ってジェイもやけくそに弾を放った。
ヴオ”ォ”オオォオ!-手応えはあった。レキの弾は首の付け根にヒットし、ジェイの弾はその少し下、人間でいうところの肩あたり を貫く。予想していた苦痛の雄叫びが診療所全体を地震のごとく揺らした。
  ハルも焦りながらコッキングする。その音でか、ブレイマーの苦悶の雄叫びのせいかは分からないが、シオが間の悪いことに我に返る。 ハルの腕を、冷えた小さな手が力強く押さえつけた。
「やめて……っ。う、撃たないで……」
「そんなこと言ったって……」
シオの力は、ハルが振り切るにはわけない程度の強さでしかない。ただシオの必死な目を、震える肩を目にしてハルが銃を上げられる はずもない。
  ブレイマーが人を襲い、喰らうのに「何故」は無い、本能である。それは知識と名の付くような大それたものでも何でもない、誰しも が知る常識のひとつだ。お腹が空いて暴れる赤ん坊のように、ブレイマーは両手を振り回し頼りなくぶら下がっていた裸電球を、木造り のテーブルを、窓ガラスを破壊した。凄まじい破壊音だけが鼓膜を揺るがす。
「イレイザーキャノンが……クレーターが攻撃されたから……?」
「そうかもしれないし違うかもしれない。……腹が減るのに理由は無いからな」
レキはブレイマーが注意を逸らしている隙に一気に二人のへたり込むダイニングスペースへ駆け寄った。すぐ横で銃を構えたまま冷静に 標的を見据えるレキを、シオは何か異質なものでも見るように見上げた。
「こんなことなかった……このコたちにも意志はあるの……!ちゃんと理由が……あるの!!」
「もしそうなら、これだろうな」
空いている左手で、レキはルビィをちらつかせた。シオが押し黙るには十分すぎる輝きを放って、その絶対的な存在感を示す。
  しかしこの時点で、きっかけが何であるかの確定など既に無価値であった。空腹か、本能か、クレーターの影響かルビィに因るそれか、 いずれにしろブレイマーは今目に付いたものを攻撃し、喰らわんとしている。
  狂ったように暴れながら外へのドアをくぐろうとするそれに、レキはしっかりと照準を合わせる。
「外出したらまずくねえ!?」
「まずいに決まってんだろ……!」
レキたちの焦り具合を目にして、ハルも思い出したように銃を構えなおした。
「ダメ…………。やめて……」
シオの消えてしまいそうな、小さな小さな願い。ブレイマーの“本能”から解放を望んだシオの“どもだち”、彼女が求めたのはこんな 粗末な救いではなかったはずだ。締め付けたように痛む喉を無視して、シオは声を振り絞った。
「撃たないでぇ!お願い!!」
  ハルは引き金の半分手前で指を止めた。そのはずが耳元で銃声は轟き、硝煙の臭いが立ちこめる。何よりもまず、数メートル先ドア の手前でブレイマーが醜い塊を四散させて、倒れ込んだ。レキの狙いは正確で、ブレイマーはその動きを、咆哮を、全てを停止した。 レキはそのまま迷うことなく全弾を撃ち込む。肉片が破裂し、それを構成する体液と血液が飛び散った。
  この場にいる全員が、ブレイマーの最期をその目で見届けることになる。ハルは撃っていない。結局一発も、シオの“どもだち”に 弾を撃つことはできなかった。
  シオは、両手をついた。ガラス片だらけの床に。声が上手く出ない。涙の方が先に、落ちては消えまた溢れては落ちる。
「う……ああぁ、ワァァアア”ア”ア”!!」
後から後から、涙と悲鳴がシオの悲しみを吐き出す。共鳴するように外の雨は刺すような勢いで降り注ぎ、肉片となったブレイマーの体 を溶かし、消し去っていく。その光景さえもシオは目の当たりにすることになった。悲痛な鳴き声も、涙も、この豪雨も、おそらく 止める術がない。
「……撃ったのか?」
分かりきったことをハルは呟いた。レキの銃からはしつこく硝煙が立ち上っている。レキは答えない。間違ったことをした覚えは一寸も ない、がシオの泣き崩れる姿を横に正論など語りたくはないし、ハルの中傷を受け入れてやるような余裕もない。
「……レキ責めてどうするんだよ。撃たなきゃ里を襲っただろ」
睨み合う両者の間にジェイが割って入る。ハルもそれきり口をつぐんだ。シオの叫びにハルは躊躇し、レキはしなかった。違いはそれ だけで、その違いが大きすぎるだけの話だ。
  ブレイマーが完全にその形を失おうという頃ずぶ濡れのエースとラヴェンダーが戻って、ラヴェンダーはシオを、エースはレキを それぞれ落ち着かせるため病室へ連れていった。避難していたナガヒゲもようやくダイニングに出てきて派手に散らかった床を一瞥、 深い深い溜息をついた。ハルとジェイも鈍い動きで立ち上がる。真っ二つに裂けたテーブルを移動させようとハルが手を掛ける。
「……仕方のないことじゃ。いずれはこういう日が来るであろうと思っておった」
持ち上げきらないくせにナガヒゲがもう一方のテーブルに手を掛ける。見かねてハルが交代を申し出た。ナガヒゲの言葉はブレイマー のことかこの診療所のことか、それとも自分たちのことを言っているのか、分からずハルはやはり黙ったままだった。

  選んだわけではない、慌てて駆けこんだ部屋が一番手前のローズの部屋だった。シオの様子を気にかけて、レキは窓の外を見た。 嵐でも来たのかと思うほどの大粒の、それも多量の雨が外の景色のほとんどを隠していた。先刻まで聞こえていたシオの鳴き声はもう しない。それでも雨が止まないのだから彼女の様子はおおかた想像ができた。
  レキは悪さをして職員室に呼び出された中学生さながらにそっぽを向いて座った。エースの嘆息が煙草の煙と一緒に吐き出された。 もはや病室であるということを気にしないことにしたのか、それでも一服するとまだ長いままの煙草を皿の上に押しつけた。
「……撃たない方が良かったのかよ。アレが自然に収まったと思うか……?」
「分からねぇよ、俺は見てないんだからな。……同じ状況にいりゃ、たぶん撃っただろうけどな」
レキにたったひとつの椅子を取られたため、仕方なく窓を背にもたれかかる。レキは明らかに苛立った態度で頭を掻いた。
「あいつ、シオを襲ったんだよ。放っておいたら里の連中とか、ナガヒゲだって襲ってた。……友達だっつんなら撃たなきゃなおさら 可哀相だったんだ。シオも、あいつも」
エースはつまらなそうに生返事をすると、しばらく使われていなかったことが丸分かりの白いカーテンをとっかかりつっかかり閉めた。 それでも雨音は籠もって聞こえる。さっきから窓の外を睨みっぱなしのレキをそれとなく気遣ったのだろうが、効果があるかは微妙な ところだ。
「どっちにしろ気に病むようなことじゃねえ。全員気が立ってっから、雨が止むまでお前は次のフレイムの行動でも考えとけ」
雨が降り続く間はレキはどうしても落ち着かないし、シオもそうであるという証明だ。
  エース先生(生活指導)がさっさと病室を出ていく中、レキはまたこの場所に一人放置されることになった。カーテンを数センチだけ 広げる。空はシオの代わりに、泣き、叫び、静かにレキを責め続けた。