ACT.14 ブラックボックス


  どうすべきか、考えなくてもすぐに分かった。レキは手紙を元通り封筒に戻してジャケットの奥へねじ込む。
  後数年の我慢だ、後数年、ユウを好きでない振りをし続ければいいだけのこと。そうすれば全部無かったことになる。自分が死んで いなくなった後のことまで気を回す程、レキはお人好しではない。ユウが誰かを好きになってレキのことを存在から全て忘れてしまう、 そうしやすいように振る舞っていればいい。
  ただレキがその通り模範的にもの分かりよく行動できたかは話が別だ。ユウとはその後何度も寝た。同時に他の女も何人か抱いた。 そうする内にユウは次第にレキに対して必要以上に干渉しなくなったし、それが二人の間で暗黙の了解になった。何となく居心地が いいから一緒に居るだけの二人、になった。 同時期に派手にデッド・スカルと闘り合うことが増えた。スカルのメンバーを見かけた 瞬間半殺しにするようなこともしばしばで、シバの女を当てつけに抱いた日には互いの腹に大穴が開いた。
  一人で、限界近くまでバイクを飛ばしたり、通りすがりの商人から洗いざらいの金品を強奪なんてのも珍しくなかった。が、何を しても結局満たされることはなく、日々が、時間だけが無情に過ぎていく。そんなレキに終止符を打たせたのは意外にもジェイだった。

「やばいよやばいよ~!!みんな緊急集合っ。ヘッドがデッド・スカルめっためたにしてるのっ、ヘループ!!」
  本部でだらだら寝ころんで、亭主のいない昼間の主婦みたくジェイはテレビを見ていた。ハルが横で拾ってきた雑誌を読んでいたが、 こちらもジェイと共に頭を抱える。ケイの雄叫びは本部以外から響いていたが、すぐにどうせここにもやって来る。などと苦虫を潰して いた矢先にシャッターが勢い良く開いた。
「またかよ……スカルものこのこ東スラムに来るなよなぁ」
ハルがうんざり、とぼやいた相手はケイではなく神妙な顔つきのエースだった。ジェイも思わず体を起こす。
「どっちか手ぇ貸せ。……レキが仕掛けたらしい、このままじゃ仲間呼ぶぞ、あっちも」
「はあ!?」
エースが入口で事も無げにコッキングする、それがやけに緊迫感を醸していた。ハルが一足先に外へ出る。
「な……にやってんだよ、レキの奴……!」
シャッターを開けたせいだ、中側のジェイまで銃声が聞こえた。それも一発や二発ではない、ジェイも思わず外に飛び出していた。
「境界バリケード付近だ。レキの奴完全“キてる”からな、あんまり側に寄るなよっ」
「……俺まだ死にたくないなぁ……」
  北と東の境界線、そのバリケードまではそこまで距離があるわけではない。駆けつけてエースとハルが懸命に追い返す、というのが ここのところのセオリーだ。が本日は様子が違う。レキはバリケードを飛び越えて北スラム、デッド・スカルのテリトリーに完全に 入っていたし、レキ自身が乗り込んだだろうことが傍目にも分かる。流れ弾が助っ人三人衆の間をかすめた。ジェイが感度のの良い リトマス試験紙のように瞬時に青ざめた。
「何考えてんだよ!レキ!!」
「分かんねぇから困ってんだよ!!仲間もう呼んでんじゃねえか!エースの嘘つき!」
「知るか!応戦して散らすぞ!……ジェイはあの暴走戦車を何とかしろっ、骨は拾ってやっから」
暴走戦車-例によってレキは血だらけだ。おそらく数発弾を受けている。エースとハルが小さく悲鳴を上げながら渦中に突っ込んで行く のを横目に、ジェイは後ろから、レキを盾にしつつなおかつ死角になる位置から近づいて勢いよく飛びついた。レキごと段ボールの山に 突っ込んで倒れ込んだが、その態勢でもレキはまた発砲をやめない。見かねたジェイが即座に彼の銃からシリンダーを抜いた。自分で 褒めちぎりたくなるくらいの手際の良さだ、が内心冷や汗ものだった。
「……何すんだよ、ジェイ」
「こっちの台詞だろ!?何発食らってんだよお前……!こんなことばっかして、死にたいのか!?」
ジェイは半分泣き顔で、それでも手元ではもの凄いスピードでレキのダブルアクションを分解していた。
「……かもな」
分解しきったところでジェイの手が止まる。レキは随分あっさりそんなことを口にした。ジェイの眉じりが思い切り下がるのも、レキは 冷めた目で見ていた。
「そんなん怖くねえよ、どうせ-」
レキが懐に手を入れたのはおそらくサイドアームを引っ張り出すためだ、ジェイはそれを全力で押さえつけた。
「これ以上くだらねえこと言うなよ。レキが動けば俺らだって動くことになるんだぜ?ヘッドだろ、むちゃくちゃしすぎだぞっ」
言いながら手元ではサイドアームを抜くか押さえるかの熾烈な闘いが行われている。ジェイは歯を食いしばりながら懸命に諭した。
が、レキの力の方が上だ、ゴリ押しされてサイドアームを抜かれると同時に勢いで尻餅を付く。再び銃を構えようとするレキに、 ジェイは奥の手を出した。今度は背中に鈍い痛みを覚えて、レキは顔面から地面にめり込んだ。ヘルメットで頭突きされればこうなる のも仕方ない。
「何なんだよさっきから……っ!」
口に入った砂利を吐き出しながら振り返る、と次はもろに脳天にヘルメット突きを食らう。ようやくレキの減らず口が閉じられた。
「お前が死んだら!!悲しいだろっ!誰も乗らねぇギンなんか整備してどうすんだよ……っ。俺の目が黒い内はもう二度とくっだらねえ こと言わせねえからな!今度言ったらギン没収だからな!!」

-レキは暴走戦車から降りた。ジェイから引きずり降ろされた、という方が的確だ。
  それからは穏やかだった、自分でも覚えている。レキ、ユウ、ハル、ジェイで海までバイクを飛ばしたりもした。ただ、ユウに対する 態度は変えなかった。それだけはずっと、今の今まで貫いてきたものだ。
  ぼんやり、昔のことを思い出しながらレキはルビィを手の上で弄んでいた。ぼんやりはしていたが、ひとつ気付いたことがある。 ユウの耳に、バラのピアスが無い。ピアスが無いだとか前髪の分け目が違うだとかに気付くのはよっぽどのフェミニストだが、レキは 別段そういった類ではない。気付いたのは、レキがそのピアスの送り主だからである。ユウがブラッディローズを作ったときにレキが、 送ったものだからである。
  いろいろ考えて、やめた。ピアスの行方も、思い出に耽るのも、今後のことを難しく考えるのも、どうも性に合わない。手元のルビィ を懐にしまおう、としてこれもやめた。少し前まであんなにも威圧感のあったこの宝石に、レキは今正直魅せられている。スカルの下 からレキの手に戻ってきてから何となくのつもりで手の上で転がし続けたルビィ、文字通り片時も離さずこの手の上にあった。この石 には何の変化もない。相変わらず妖艶な紅い輝きを放っているだけの、一見しただけではそこいらの宝石と何の差もない石だ。
  レキは理解しながらもやはりルビィをしまおうとしない。まるでこうして眺めていることが至福なのだとでも言うように、虚ろな瞳 を紅く染めた。
「(このまま……奪ったら、どうなるんだろうな)」
一瞬、ほんの瞬きにも満たない僅かな時だ、レキの脳裡によぎった思考を断ち切ったのは本人で、ルビィを隠すように懐のポケットへ 詰め込んだ。
  レキのジャケットの裏の何でもポケットは、今では秘密の隠し場所みたくなっている。ぐちゃぐちゃに汚れた古い手紙も、銃も、 ルビィも、大事なものは全て一緒くたにしてあるせいか胸のあたりが重い。ゆっくり手を引く。
  実のところ、自分に混乱しているような時間は、幸か不幸かこのときもう既になかった。
ガシャーン!!-夫婦喧嘩の定番のような、物が床に落ちる音がレキのいる病室まで届いた。音源がやたらに近い。そして不意の一発 でないことがすぐに分かった。
「やめて!!どうしちゃったの!?」
悲鳴に近い声、シオのものだ。最初に響いた効果音が立て続けに診療所内をめぐる。
  レキは一気に銃を引き抜いて勢い良く病室のドアを開けた。
「シオ!」
ドアを開けて廊下に出て、目に入ったのはいつもの光景とかけ離れたものだ。
  木の長テーブルに、登山道の休憩所のような丸太造りの椅子、そのひとつ、一番奥の壁側にあのブレイマーは座っている。小型で、 レキより一回り大きいかくらいのそれが椅子からはみ出さんばかりに、それでも行儀良く座ってシオの料理を大人しくたいらげる。 それが、いつもの光景だ。
「ヴォ”ォォー!!」
レキは反射的に耳を塞いだ。銃を落とすまいと指に力を込める。室内にこだまするその唸り声を、レキは嫌と言うほど知っていた。
  “シオのどもだち”そう言って紹介された小さなブレイマーは、今レキの視界の中で咆哮を上げ、愛用していたティーカップを- いつもを-粉々にうち砕いた。
「なんで!?いきなりこんな……!」
「シオ!近寄っちゃダメだ!!」
ハルがシオの手を力任せに引き寄せる。窓ガラスが、勢いを増した雨粒とブレイマーの声で小刻みに震えた。