ACT.1 ロストパラダイス



 東スラム、はずれのビル街。昨夜のバイクレースの後のビール瓶やらが風でゴロゴロと転がり回る。それが余計にひとけの無さを強調していた。
その完璧な閑静空間を乱す者が三人、ビルの陰に身を潜めている。
「ヘッドぉ、やめましょうよ。奴ら、レース後の朝なんか気が立ってるに決まってますよっ」
細身の男が小声で名泣き声をあげる。奥で息を殺していた方の男も何度となく頷いている。
「何もこんな日にわざわざ仕掛けなくても……。これで今日もやられると通算95敗に……」
こちらも無意味に小声で呟くが、無論周囲に人影はない。人どころか風で流されてくるのは空き瓶と紙屑だけだ。
二人のあからさまな怯え様を一喝するようにごわごわの男が二人の後頭部をはたく。 ごわごわ、というのは見た目のことだ、二人がこそ泥のように身を縮めているのを存在だけで台無しにしてしまっている。 よりによって豹柄のファーコートを羽織って仁王立ちで突っ立っているのだから。
その男は顔を下に向けて小刻みに肩を振るわせている。
「へ、ヘッド……?」
気でも触れたのかと思って男二人が後ずさる。と、派手な装いの男は堪えていた笑いを一気に吹き出して、高らかに声をあげる。
「笑ーーー止!レースの後で酒に酔いつぶれていることは周知の事実!この機を逃す手はなぁいっ。 コンディション最悪のところをこの俺様が袋叩きにしてくれるのだぁぁっはっはっは!」
「さっ、さっすがヘッド!考えることが違うなぁっ」
「いやぁ、もうヘッドの頭の回転には着いていけないっすね。ハハッ」
高笑いする男とそれを苦笑いで見守る二人、“ヘッド”をはさんで顔を見合わせる。
「よーし、そうと決めたらさっさとフレイムのアジトに乗り込むぞぉ!今日こそ西スラムの覇者、スパークスのサンダー様が東スラムをぶっつぶすのだー!!!」
会心の笑みを浮かべたまま、彼・サンダーは全速力でフレイムアジトの方向へ走っていった。 足だけは以上に速いのが彼の特徴だ、その後を下僕の二人が息を切らして追い掛ける。
「っていうかむちゃくちゃ情けない作戦だってことに早く気付いてほしいよな……」
「あ~あ、どうせ今日もダメなんだろうなぁ、なんで俺たちあんなヘッドについて行ってんだか」
二人そろって疲労困憊の溜息を吐く。眼前で暴走する自分たちのリーダーを哀れんで、半眼で背中を追った。
「おうっ、おせーぞお前ら!へたばんなぁ!!」
喜々として走るサンダー、卑怯な急襲による勝利を確信しきっているところがまた哀れを誘う。
下僕二人がサンダーとは違う結果を予想しているにも知らず、彼は一足先にフレイムアジトへ到着した。
息一つ荒らげないサンダーに比べて、残りの二人は肩で息をしても追いつかない程で、上半身をかがめてよろよろと座り込む。
サンダーの視界で、レキが上空と見上げてぼんやりしている。
しばらく様子を窺うかと思いきや、サンダーは軽快なステップでレキの前に躍り出た。
その瞬間下僕の二人が顔面を手で覆う。おそらく胸中では『あちゃーー』などと絶叫していることだろう、つくづくサンダーのアホさ加減に脱力した。
「フレイム敗れたーーーーり!!」
サンダーが勝ち気にレキを指さす。
レキは、というとたいして驚きもせず目の前のアホの代名詞を思い切りつまらなそうに見ていた。付け加えてあくびなんかも漏らしてみる。
「レーキ!貴様がそうやってふんぞり返っていられるのも今だけだ。なぜならフレイム、いや東スラムは今日からこのスパークスの縄張りになるんだからな!」
腰を反り返らせてやかましい高笑いをあげる。
これにはレキも人差し指で耳を塞いだ。後ろの方で座り込んだまま拍手するスパークスの二人に少しの同情心を抱く。
「毎回毎回同じセリフばっかり言いやがって……。悪いけど出直してくれねぇ?昨日の片づけとかでお前に構ってる暇ないんだよな」
「恐いのか!?それも仕方ないだろう……酒の残った頭で知性派の俺を一戦交えようなんて。しかぁし!怖じ気づくなんぞすでに東スラムの覇権を放棄したも同ぜ……!」
サンダーが身振り手振りをつけて独り芝居に浸っている間にレキは無造作に歩み寄ってがら空きの鳩尾に手加減無しのボディーブローをたたき込む。
再び両目を手で覆う下僕の二人、隙間から見えるサンダーは眼球を飛び出させて声なき悲鳴を上げていた。
いつもならこの一発で恒例の捨てぜりふを吐いて逃げ帰るのだが今日のサンダーは違う。
彼の視界に映るレキは、酒の残った体調最悪の人間のはずだからである。
思いこみの激しい人種は時としてそれが自己暗示となり本来の力以上のものをしぼりだしたりするものだ。腹部を押さえながら涙目で笑う。
「ふっ、ふふ……効かんなぁー。やはり今日という今日は俺様の勝-」
足下がおぼつかないままうすら笑いを浮かべられては、レキでなくても叩きのめしたくなるだろう。
気味悪そうに顔を引きつらせてサンダーのすねを蹴り上げた。
ようやっとサンダーも口をつぐむ。しゃがみこんで両足を高速でさすった。さらに脳天に冷たい感触を覚える。サンダーはおそるおそる視線だけを上方にずらした。
「失せろ!ぶっぱなすぞ!!」
普段なら適当にあしらって相手にしないレキも今日ばかりは事情が違う。昨夜のローズとのことで苛立っている上、もうすぐ苦手な雨が降る。 凶器を使ってでも早いところこのやかましい鼠を退治する必要があった。
 髪の上からでも分かる銃口の冷たさにサンダーの血の気が引く。その上、レキのこの鬼のような形相を間近で見つめて冷や汗が次から次へと頬を伝う、 しばらく静止していたが、レキがそれをうち切った。
「失せろっつってんだろーがぁ!」
サッカー選手もびっくりのミラクルシュートでサンダーをお星様に変えるとすぐさま控えていた雑魚に的をしぼる。
半眼で指をバキボキ鳴らすと、彼らも我先にと尻尾を巻いて逃げていった。
終止符とでも言うように一粒の雨がレキの頭上に舞い落ちた。