ACT.1 ロストパラダイス



 月に一度のバイクレース、その後のまったりタイム、ここのところずっと続いていたことだ。
それだからレキには「今更」だった。
彼女のことをローズという名で呼ぶことも、今でさえ違和感はないもののまだ納得はしていない。
彼女がまだフレイムにいた頃は「ユウ」という名で通っていて、長年それで呼んでいたせいで、気を抜くとつい口にする。
レキ、ユウ、そしてフレイムのサブヘッドのハルとメカニックのジェイは皆同期のフレイムメンバーだった。 数年前ユウだけが脱退して、ブラッディ・ローズというチームを作り上げ、今に至るというわけだ。
しばらくひびだらけの天井を凝視していたが、それにも飽きてレキが跳ね起きる。
かなりご立腹のようだが、いつまでもここでダラダラしているわけにもいかない。ローズのバイクひとつでここまで来たのを悔やんでみたが、後の祭である。
眉間にこれでもかという程しわを寄せて扉を乱暴に開ける。
外はまだ薄暗く、夜明けと呼ぶには早いようだが、徒歩でアジトまで帰るならこれでも遅い出発だ。
とにかくうるさい連中が覚醒し始める前に帰り着く必要がある。
肌寒い空気に身震いして両手をポケットに突っ込むと、レキは小走りに街道を駆けた。

 レキが懸命にアジトに走っている頃、もう一人の朝帰り野郎がレキより早く帰還する。
「うわっ!……なんだこの団子汁みたいなの。こんなんでよく眠れるな……」
倉庫のシャッターを勢いよく開けての第一声、ハルは内側の醜い死体共に、ある種の感心と驚愕を覚えていた。
しかもシャッターをこじあけようがハルが叫ぼうが、起きて文句を言う奴もいない。
器用に鼻提灯を製造しながらいびきで合唱するフレイムメンバーにがっくり肩を落とした。落とした拍子にその肩を軽く叩かれる。
「よう副隊長!午前様か?見かけによらずやるじゃねぇか」
エースの声が背後からぶしつけに投げられる。加え煙草のままでハルの顔をにやにや見ている。
おそらくニコチンがきれてその辺で一服していたのだろう、どこまでもしょうもない連中にとどめがエースで、ハルは半眼で遠くを見ていた。
「頼むからエースを一緒にしないでくれよ、だいたい何だよ副隊長って。地球防衛軍じゃあるまいしっ」
「お?何だよ、なりたかったんだろ?ジェイから聞いたぞ。『正義のヒーロー』になりたーいっつってたってな」
「い、いつの話だよ!ジェイの野郎、ぺらぺらくだらないこと言いふらしやがって……!」
即座に赤面したところをみるとどうやら図星らしい、エースが声を殺して笑うのを意図的に視界から外して、男ばかりの倉庫内(地獄絵図)を一瞥する。
「レキは?他の倉庫か?」
「あぁ、あいつなら……」
これをグッドタイミングと言わずして何と言おう、強いていうなら抜群の見計らいというか、何にしても神がかり的なものだろう。
エースがあっけらかんと事を口にする寸前にレキがスライディングするようにすべりこんできた。額に妙な汗を浮かせてやたらに息を切らしている。
ハルがあきれ顔で肩を竦めた。
「どこ行ってたんだよ、こんな朝っぱらから」
「いや、ちょっと……ジョギングをっ……」
ずいぶんハードなジョギングだったようだ、レキの嘘臭い笑顔に疑心を抱きながら、ハルはゴミ溜めのような倉庫内に入る。 その際何人かを派手に踏みつけにしてきたが、ハルも、後に続くレキもエースさえもおかまいなしだった。
「ちょっとスカルの動きが気になってさ、今までトラップ連れて様子見に行ってたんだけど」
「おいおい……何かと思えばよりによって男とデートかよ……」
エースがつまらなそうにぼやいて誰かわからない背中を枕代わりに寝ころぶ。
エースの一連の行動も一切合切無視してハルは話を進めた。
「やっぱ新しい薬さばいてるっぽかったな、バックにそうとうの企業かなんか付いてるよ、あれ。並の騒ぎじゃなかったし」
「……見たのか?」
「少しな。豪遊も豪遊!高そうなワインとか飲んでたなぁ、俺らはしけた中ビールだってのに」
エースが顔だけこちらに向けて目で『しけてて悪かったな!』を訴えてくる。
ハルの小さな反撃らしい、得意げに口笛を吹いて我関せずという顔を繕った。
「マジでちょっと警戒が必要かもな……。全員起きたらトラップにでも伝えるよう言っといて」
レキが話の途中でおもむろに立ち上がる。未だ誰一人として目を覚まさないゴミ山を億劫そうに見やって舌打ちした。
「俺が戻るまでにこいつら全員たたき起こして片づけさせとけ!いつまでもガーガー寝やがって!」
今度はわざとらしく寝ている者の身体を踏みつけにして入り口へ渡る。一歩毎に楽器のようにうめき声があがる。それをBGMにレキが倉庫から出ようとする。
「どこ行くんだよ」
「便所!」
半分だけ開いていたシャッターをうざったそうにくぐってレキは外へ出た。
いい加減朝のはずだが、相変わらず空はくすんでいて晴れなんだか曇りなんだかいまいちはっきりしない。
太陽と名の付く球体はレキたちにとっては昼間の月程度の存在にすぎなかった。その恩恵も怒りも、全ては空全面を覆う灰色のスモッグにうち消されてしまう。
「……ひと雨きそうだな」
いつもと変わらない空をにらんでレキが独りごつ。
この辺りの雨の酸性PHは低いから突然の雨に見舞われてもさほど大騒ぎする必要もないのだが、レキはとにかく雨が苦手だった。
これといった理由はない。あの湿っぽい空気だとか閉塞感だとかがレキに嫌悪を与えた。
 不意に悪寒が走る。雨の気配のせいだろうか、それとも尿意のせいか、レキはさっさと用を足しに急いだ。