ACT.17 パラドックス


「イリスの全機関、全市民の退避を要請する。ユニオン本部の決定として、これ以上のイリスの自治、保安を不可能とみなしブレイマー の駆除を本部、及び関連機関に全面委託。これより30分後にイリスに向けてイレイザーキャノンを発射する」
  パニッシャーの動員数でも放送してくれるのかと半分小馬鹿にして聞いていたジェイがおもむろに立ち上がる。動作はおもむろだが、 ハルに走らせた視線は異常に速かった。
「馬鹿かあいつら……。イリスそのものを吹っ飛ばす気かよ……」
スズキの覇気のない声が覆い被さる。
  悲鳴ひとつ上がらず室内は至って静かなままだった。誰しもが自分の耳を疑い、誰かが根拠のある否定を叫ぶのにすがっている。 実際は判断の早い者が事実の残酷さをつきつけるだけだと分かっていても。
  責任者らしき男が曖昧な笑みを浮かべて震えの生じた肩や拳を懸命に堪えていた。人は楽しくなくても、可笑しくなくても笑える。 後から後からこみ上げてくる笑いに何と名付ければいいか、そこにいる誰も知らなかった。
「30分……だと?私たちは応援要請をしたはずだ。街ひとつキャノンの実験台にするつもりか!?冗談じゃない……!!イレイザーキャノンなど 言語道断だ!」
「……これは提案ではない。政府の決定である。市街の者に速やかに通達し、退避するよう指示せよ。繰り返す、これは決定である」
話し合う気は元より無いらしく、あくまで淡々と通信は行われ一方的に切れた。
  愕然とするアンブレラ研究員たち、その極端に分かりやすい反応とは対照的にハルは何を考えているのか固く目蓋を閉じたまま俯い ている。少なくともシオの目にはハルの思考は読めなかった。
「30分じゃ総員退避なんて無理だ……、第一市街のカメラもスピーカーも破壊されてるんだぞ……っ。お終いだ!」
身も蓋もない言い方をすれば確かに“おしまい”だ。伝達手段も無い、時間も無い、この状況を作り出したのはユニオンだが間接的に その結果を招いたのは他ならぬこのアンブレラ研究員たちだ。ユニオンにとってはブリッジ財団の同盟組織を丸々ひとつ潰せる絶好の 機会に他ならない。今回ばかりはブレイマーの襲撃はユニオンの大義名分として大きな役割を担っていた。
  タナカが舌打ちと共に無線の電源を入れる。
「ヤマトさん!緊急事態です、一生のお願いですから応答してください!」
スイッチを切り替える。雑音としか言いようがない銃声がけたたましく響くばかりでヤマトの応答は、やはりない。
「駄目か?冗談抜きでこのままじゃお陀仏だぞ」
「ハル、やべぇよ……!亀裂箇所にレキもラヴェンダーもいるんだぜ?まともにキャノンなんかくらったら灰も残んねえよっ」
  何をも通さない最強の盾・アンブレラ、そのほころびはブレイマーも、イレイザーキャノンもあっさり通り抜けるだろう。しかし穴 以外の場所からブレイマーの侵入を許した形跡はない。
  ハルは腑抜け寸前となった研究員の肩を掴んで視線を合わせた。
「アンブレラの出力自体はこれ以上上げられないのか?イレイザーキャノンに耐久出来るタフさってのは期待できない、のかな」
逃げも隠れもできないのなら正々堂々勝負するしか無い。既に信用度の低いこの傘に懸けるしかなかった。
「通常運用時は出力65%に保たれています。……100%にすればあるいは……」
答える研究員はハルの提案に一筋の希望を見出したようだが何とも歯切れが悪い。おそらく試したことが無いのだろう、自分たちの 商品の限界も把握できていないのに、ユニオンの“最強の矛”の威力など知る由もないのは当然だ。キャノンの威力を目の当たりにした ハルとジェイも、もはやアンブレラの未知数の力に頼る他ない。信じようが疑おうが、全ての命運を握るのはこの傘である。
「懸けるしかないだろ……」
ハルが鷹をくくる。ジェイが神妙な面持ちで再びヘルメットを被り、同意を示すと生唾を苦しそうに飲み込んだ。
  そんな最中、タナカの無線が呻りをあげる。慌てて音量を上げると、やかましい騒音をバックに確かにヤマトの声がする。
「き……来た!繋がった!ヤマトさん緊急ッス!!」
一気にタナカに注目が集まる。こちらもやはり、この頼りない無線機だけが唯一の頼みの綱である。
「こっちも緊急だ!!アンブレラの方はどうなってる!」
タナカが思わず無線機を耳から遠ざける。ヤマトの怒声は否が応でも周囲にいる者たちにも伝わった。
「状況一変!穴埋めどころじゃなくなったんですよっ」
「あ”ぁ”!?聞こえねえ!!何だって!?ラヴェンダーのマシンガンよりでかい声で話せ!!」
ヤマトの額の青筋は破裂寸前、というのは管理棟にいる者たちの想像だがあながち間違いでもないだろう。ジェイがタナカを押しのけて 無線機を切り替える。
「ラヴェンダーもいんの!?っつーことはレキも?」
ダダダダダダダ!!-スイッチを切り替えると同時にマシンガンの音が炸裂、後方でヤマトが叫んでいるようだったがジェイの質問の 答にはこの効果音で十分事足りる。正直なところレキはおまけのようなものだ。
「手早く要点だけ話せ!」
ヤマトの応答は実にせっかちだ。火事場の真っ直中にいるのだから無理もない。ものの数分前までこちらも修羅場であったが、全員が 腹を決めた今、ジタバタする者は無い。ハルがジェイの手から無線機をもぎ取った。
「ユニオンがイリスに向けてイレイザーキャノンをぶっ放してくる。もう対処してる時間がないんだ、こっちはアンブレラの出力最大 で応戦する。だからそっちは穴からできるだけ離れて安全な場所に……聞こえてるか?」
ハルは意識的に令冷静を装ったつもりだった。
  マシンガンの乱射音、銃声とブレイマーの悲鳴、そして唸り声。判断しかねるのは何かの水しぶきの音で、それが血なのか体液なのか は分からない。無線機の向こうから聞こえてくるのはそれらが混濁したもので、電波を伝った先がこの世の地獄であることは容易に 想像がついた。だからこそ、せめてこちら側は落ち着いていなければ不安を煽るだけだ。ハルが自ら作った温度差は、ヤマトによって 一瞬にして拡大することになる。
  タナカは咄嗟の判断でハルから再び無線機を奪い返すと即座にボリュームを最小限まで下げた。この行動が正解であった。
「おい!!撤退するぞ!!連合がキャノンをぶっぱなす!ここに居たらブレイマー共々木っ端微塵になるぞ!!」
無繊機から漏れたのは“ラヴェンダーのマシンガン”より遥かにでかい雄叫びで、それは地獄の効果音全てをさしおいてハルたちの もとにも届いた。凄まじいハウリング音と共に。タナカの素早い判断と行動で命拾いしたものの、当のタナカは鼓膜を突っ切った ヤマトの絶叫に目を白黒させていた。彼を除いては全員歯を食いしばって手で耳を塞いでいる。何はともあれ、穴周辺の連中にも事の次第 は伝わったようだ。
  ラヴェンダーはマシンガンを一度下ろして、肩で息をする。
「……っ、あいつら……イリスごと吹っ飛ばす気!?何考えてんのよ!……、ちょ、レキ!?」
「……今ここでぶっつぶす」
マシンガンのやかましい連射音が止んだ途端、そんな小さな呟きまで感度良くラヴェンダーの耳を通る。レキの、元よりさしてありも しない理性は、当の昔に吹き飛んでいた。
  ブレイマーを「殺す」感覚はこの重たくなってきた引き金を引く疎ましさだけだが、「殺した」後に認識はあらゆる生物のそれより 遥かに痛烈である。まともに考え出すと気が狂いそうになるから、とにかく無心で目の前の巨体に弾をぶちこむ作業に専念していた。 その誤魔化し続けていた気持ち悪さが、ヤマトやラヴェンダーの声で舞い戻ってくると、畳みかけるように疲労と怒りがこみ上げてきた。 おそらくこの状態が正気、である。
  レキは数メートル先で補弾しているイーグルを睨み付けた。食ってかからないのは間に一体、ブレイマーを挟んでいるせいだ。互いが 同時に銃を構えた。標的はやはりどちらも間を邪魔するブレイマーだ。
ガン!!ダァン、ダァン!!-腹と背中に被弾して、ブレイマーは狂い鳴く。一通り汚く吠えて風船のように破裂した。向こう側の イーグルが銃を下ろすのが舞い落ちる肉片の隙間に見えたが、反対にレキは照準を定めなおした。
「お前らの頭ん中は何でもありか?」
「貴様にはどう見える?」
微笑したように見えた。一段と重く感じる引き金を一気に引き抜こうと力を入れた瞬間-
  レキは慌てて力を抜いた。突然視界一杯にヤマトが割り込んできて怯んだ故の行動だ。