ACT.18 タイトロープウォーカー


  ヤマトたちブレイムハンターが使用している宿舎に入り、レキは堪えきれず欠伸を漏らした。夜も更け込み、起きていると美容に 良くない時間帯にさしかかっている。そういった眠気は勿論のこと、欠伸の要因はもうひとつある。財団内部に侵入するに当たって これっぽっちの手間もスリルもなかったことだ、手引き者がいればどんな難攻不落の城壁も友人宅の玄関並の緊張感しか無くなる
  ここから先は手はず通り全員ブレイムハンターになりきらなければならない。暗く静まり返った廊下に靴音がやかましく響いた。
「こんな真夜中に研究なんかやってんのかよ。寝静まってんじゃん」
ガイン!!-言葉より先にジェイの頭に鉄拳制裁が下る。久しぶりにジェイのヘルメットが派手にずれた。無論痛いのは殴りつけた ヤマト自身の手の甲である。情けないやら腹立たしいやらでこみ上げてくる呻き声を堪えるべくして歯を食いしばる。
「状況が把握できているなら声を顰めるなりしたらどうだ」
声なき悲鳴を上げて悶絶するヤマトに代わってイーグルがジェイを窘める。本来なら犬猿の仲でもおかしくないこの二人なのだが、 同盟以降はやたらに呼吸を合わせてきて、ジェイだけでなくフレイム勢にとってはやりにくい。
「(こっち。宿舎と研究所は繋がってないから一度中庭に出ないと)」
シオが手招きする方へぞろぞろと連中が続く。ヤマトに牛耳られているよりはこの方がずっといい。
「……ロックは?」
「外しておくよう連絡してある」
行列の最後尾でハルとヤマトがセオリー通り声を顰める。順調すぎる道中にハルは一抹の不安を覚えはじめていた。それがシオと同じ 類のものかは分からない、しかし緊張を張り巡らせているのが自分だけでないことは確かだ。
  エースは先刻から常にイーグルの真後ろを歩いている、そしてたまにわけもなく後方を振り返る。後ろ、つまりハルとヤマトの方だ。 エースだけでも警戒心を持ってくれてさえいれば、何が起きてもそれなりに対処ができる。不安と同時に安堵も覚えつつハルは一定の ポジションを保った。
  シオが研究員用の扉をそっと押す。ハンターのそれとは大違いで、扉からは真っ直ぐに線状の光が漏れ、一番バッターシオは思わず 目を細めた。建物内もまだ電気が点いた状態で明るい。
「すぐそこにドームに続く渡り廊下があるだろう。……そうだな……ヘルメット、先頭がいいかもな」
「はあ?何で俺?」
当然の疑問を口にしたまでだがジェイの一挙一動は何故かヤマトの勘に障るようで、ただ威圧のこもった視線を浴びるとジェイは諦めて 先陣を切った。幅5メートルほどの広いトンネル状の廊下、中央には動く歩道も走っていたが無論脇にある“動かない歩道”(所謂 普通の道)をひたすらに歩く。つきあたりにとりわけ明るい光が見える。研究用の建物のせいかどこもかしこも白い塗装で、それが自然 と不快を誘った。
  分厚い、扉と思しき行き止まりで、ヤマトが脇に備え付けられたモニターに手をかざした。 「はぁい、どなたー?」 「俺」 「あっらやっだーっ、ヤマトちゃんじゃないの意外に早かったのね。どうぞ入って入ってぇー」 頑丈そうな扉がすんなりサイドに分かれて口を開ける。招き入れられたにも関わらず誰一人足を踏み入れようとしない。先頭を命じられた ジェイは完全に足がすくんでいる始末だ。
  無理もない。モニター越しにヤマトと新婚夫婦さながらのやりとりを展開してくれた声は、どう聞いても男のものだった。それも決して 若々しくはない、この点において既にひとつ確信できることがあった。
「クイーンよりきついな、こりゃ」
フレイム連中が共通して考えていたことだ、皆敢えて口にしなかったことを他人事のように呟くエース。それがスイッチとなってジェイが 一気に青ざめた。
「なんで俺が……!!」
「何ぐずぐずしてるのよ。警備に見つかったら面倒なんだからさっさと入ってちょうだい」
ヤマトに食ってかかろうと勢い良く振り返った瞬間に、背後で今しがたの野太い声がした。人間には哀しいかな屈服せざるを得ない ものがあって、それが好奇心とこわいもの見たさという誘惑だ。ジェイは恐る恐る肩越しに声の主を確認した。
「まぁー言ってた通りイケメン揃いね。オンナノコもいるなんて聞いてなかったけどまあいいわ。中で説明するわね」
くせ毛なのかパーマなのか、サイドの髪は見事にうねっていて海藻の一種か何かのようにまとまって揺れる。うなじで一本に結んだ 髪が肩胛骨のあたりまで伸びていた。予想通り、口元にはいくつか皺が見え手足は白衣の上からでも細いことが分かる。どこからどう 見ても立派な中年研究者のなりでオネエ言葉を連発されるのは、やはり辛い。発言内容も油断ならないものだ、全身に拒否オーラを 纏いながら研究者の後を追う。よく見れば足元は雪駄だ。この際その違和感は大した問題にはならず、皆が固唾を呑んで見守っている のは小指を立ててティーカップに紅茶を注ぐ光景であった。
「ヤマトちゃんの頼みとは言え開発段階のものをお披露目するなんてことは本当はできないのよ?まあでも?この子の需要はあんたたち ブレイムハンターにあるんだもの、興味が湧くのはとーーっても自然なことだわ」
白衣とそう変わらない白い手-相変わらず小指は立ったままだ-で一人一人にティーカップを渡していく。見た目はクイーンの数十倍 辛いが、救いとなったのはクイーンの数十倍彼の方が理性的な点である。-今のところは。
「今日ここにいるのはあなただけですか?他にも研究者がいるようなことを伺ったんですが」
「ノンノンノン!!あたしをその辺の雑魚共とちゃんぽんにされちゃ困るわぁ。アンブレラ開発を一任され企画・開発・運営までオール マイティにこなす完全なる天才、ドクターマットとはあたしのことよぉ!!このマット様にかかればどんな巨体ブレイマーも蟻んこ同然っ、 イリスの旧型アンブレラだってちょちょいのちょいで改良可能っ、小汚いブレイマーもユニオンのあんぽんたん共もあたしの商品の 前では手も足も出ずに世の中の塵となって消える運命なのよ。オッホホホホホ!!」
いきなり立ち上がって小気味良い演説を始めたかと思うと、言いたい放題毒舌をかまして高笑いで締める。途中で青筋を浮かべ始めた たのはレキ、シオ、そしてイーグルだったが彼らは打ち合わせ通りきっちり平然を装った。てっきりブリッジとの交渉で使用するもの だとばかり考えていた心のブレーキは、思わぬところでベタ踏み状態を強いられた。同時にまた共通のデジャヴが皆を襲う。フレイム メンバーはこの手の、とことん面倒臭いテンションの男を一人知っていた。
「(めんどくせぇ~こいつ……。完璧にサンダーと同類じゃねえか)」
蹴り飛ばしたくなる衝動を抑えて、レキはとにかく引きつった笑みで表情を固定することにした。
  皆が曖昧にへらへら笑っていると、ようやく彼、ドクター・マットも高笑いをやめてそそくさと席に着く。立ち上がったときに反動で こぼれた紅茶をやはりそそくさと拭いた。
「ごめんなさいね。熱が入っちゃって。今日あんたたちに見せるのはアンブレラとはまたひと味違うものなのよ。その名も“ハイドレイン ジア”!百聞は一見に如かずよ、中央の制御ポッドを見てちょうだ~い!!」
マットが再びテーブルに膝をぶつけて立ち上がる。またまたソーサーに溜まった紅茶と飛び散った雫は、今度はシオがすかさず拭いて いた。躍りながらリモコンのスイッチを弾く。
「いいこと?あたしたち人間に限らず生物には属性によって異なるオ~ラみたいなものがあるの。もちろんっ、無味無臭無色透明、 触るなんてことはできないし常人には区別することもできないわ。んが!!」
気合いの地団駄で皆が皆びくつく。マットは側に準備しておいた、どこからどう見ても体重計にしか見えない装置に両足を乗せる。 と、ドーム内に天井から床まで伸びている透明なポッドの中に、マットの体の輪郭と薄黄色い膜のようなものが転送され立体的に 映し出された。ノーネームにとっては、この一連の流れだけでも拍手ものだ。
「この装置に乗ればそのオ~ラ、正確にはアトリビュートフイルムをあたしたち人間の目でも確認することがでっきーるの。見ての通り 大抵の人間はあたしのように皮膚から約20センチの範囲でフイルムが流動するわ。ちなみに!!このナイスでイケてるアトリビュート フイルム観測装置『種族臭さチェッカー』の開発者もこのあ・た・し!超天才生体科学者、ドクターマット様よ~~~~っホッホホホホホ!!」
「ハンターがブレイマーの血液採取に使う『ドラキュラくん』もマットが作ったんだったな」