ACT.18 タイトロープウォーカー


  ブリッジと直接交渉するに当たって一番最初に注意を促されたのは、常に、できるだけ対等な立場を演出することだった。そのため には対面のきっかけが投降の類であってはならない。あくまでこちらの意思で面会を希望するものでなくてはならなかった。
「その一、互いに武器は所持しない。その二、互いに半径五メートル以内に近づかない。その三、交渉が万が一意にそぐわなかった 場合も一と二は有効、よって私たちが拘束されることはない。その四、どれかひとつでも破られた場合ルビィはユニオンに引き渡す 手はずになっている。その五、交渉の場にルビィは持参しない。……この五つが財団に提示した文書の内容っ。分かってると思うけど その四と五は嘘だから」
  落葉樹林が鬱蒼と茂る遊歩道の終わりにブリッジ財団本部の大正門が聳えている。カメレオンシフトシステムをイメージした、舌だし カメレオンがシンボルマーク、その財団旗が至る所に掲げられており勇ましく風になびく。こうして正面から施設を目にしたのは初めて かもしれない。
  シオ名義で昨日の内に送りつけておいた文書の内容は無論ヤマトの案である。そして今日の朝、返信を受け取ったからこそレキたちは こうして堂々と正面玄関に突っ立っているのだ。武器は公約通り所持していない。
  黒い、鉄格子のような門が低い注意音と共に共に厳かに開かれた。黒いスーツの男が数人、中から歩み寄ってくる。
「ストップ。あらかじめ条件を提示したはずだ。半径五メートル」
ハルの毅然とした声でスーツの男たちの足が一歩下がる。こういったアドリブまがいのことはハルに任せるに限る。レキに課せられた 使命は、とにかくヘマをしないで打ち合わせ通り交渉を進めることだ。
「失礼。武器を」
各々がぶっきらぼうにジャケットをめくる。案内係も徹底して調べようなどとは思っていないらしく、目視すると軽く一礼して一行を 奥へ通した。
  無駄に幅のある舗装された道の両脇には、芸術的に手入れの行き届いた植木とよく分からないモニュメントが交互に配置されている。 彼らが踏み締めている地面以外は一定の長さに統一された芝生が広がっており、スプリンクラーの水を浴びては艶やかに光っていた。 仰々しく水を循環し続ける大きな噴水も、いちいち巨大な入口の扉も、天井まで7、8メートルはあろうかというエントランス、そこに ぶらさがる目映いシャンデリア、全てレキにとっては価値が低いただの飾りだ。
「(巨体のブレイマー1匹2匹飼えそうではあるな)」
我ながら気味の悪い皮肉だと思いながらも、唯一感想を述べようとするならそれだった。中央の階段も、やはり10人は横一列で花いちもんめ ができる。一瞥していると、応接間に通される。
  ただただ細長い会食用テーブルと、座り心地の良さそうな装飾椅子がずらりと並んでいる。床から天井まで一続きの窓から、平和な朝を 演出するような日が差し込んでいる。よもや太陽までが、この完全な風景に一役買おうと奮闘しているようで、そこにあるはずの清々しさ は微塵も感じられなかった。その窓際に男が一人立っている。
「誰の入れ知恵か知らないが。……乗ってやることにしたんだよ、シオ。なかなか丁重なもてなしだったろう?」
シオは無意識にその男、ブリッジを睨み付けていた。対照的に振り返ったブリッジは既に勝ち誇ったような嫌な笑みを携えている。
「逃げたインコが自ら籠に帰ってくるとはな。鳴くことも飛ぶこともできない哀れなインコだ。…………席につきたまえ。テーブルを挟んで 二メートル、私は一メートルでも構わんがね。生憎鼠六匹を一人で退治できる術は持ち合わせていない」
レキは軽く鼻を鳴らして迷わず椅子を引いた。苦虫を潰しながらハルもそれに倣う。半径五メートルルールは互いがあっさり打破して しまい効力を失った。
  一番端にレキ、隣にハル、シオ、ジェイ、ラヴェンダー、エースが順に席に着く。見届けてブリッジがレキの目の前の椅子を引き、 肘をついた状態で口元で指を組み座った。余裕が溢れるのは、この場所全てが彼のテリトリーだからであろう。
「君たちの要求は既に文書に記されていたね。開発中のハイドレインジア、思ってもみない要求だ。まず理由を聞こう。ハイドレインジア で何をするつもりなのか」
誰が回答するのかを見定めるようにブリッジは視線をレキから順にスライドさせる。最終的にシオの位置に止まったのは、単に彼女が 交渉係だと践んだからだ。しかしヤマトの手順ではシオの出番は極力少なくなっている。
  これが二番目に念を押されたことだった。会話はリーダーであるレキが応答していくこと、シオは良くも悪くもブリッジ財団には縁が 深すぎるというのがその理由だ。
「ブレイムハンターと同じ条件とやり方でクレーターのブレイマーを狩る」
「引っかかるな。君たち……とりわけシオはルビィを持ち去ってまでブレイマーを根絶やしにするつもりだったはず。ハンター共と同じ 条件下ということは血液採集を行って我が財団の利益に貢献するということだ。第一クレーターのブレイマーはユニオンのキャノンに よって壊滅寸前ではないのか」
胸中でレキ素直に頷いていた。血液採集、まずしない。しかしブリッジの質問はヤマトが想定していた流れを面白いほど辿っていて 返答に迷うことはなかった。唯一気にかかるのは、未だシオを回答者に見ていることだ。相手は相手で駆け引きの何たるかを知り尽く している。無論シオは唇を真一文字に結び、レキに視線を送るだけだ。
「あんたには良い知らせなのかもしれないけど、ユニオンがクレーターにぶち込んだイレイザーキャノンは結果的にブレイマーの発生率 を急激に上げただけだ。消し飛ばした分のブレイマーを補充しようとして前以上のブレイマーがクレーター周辺には溢れ返ってる。 ……イリスの状況が伝わってるなら分かるだろ?」
レキは胸中で今度はガッツポーズをかました。我ながら小難しい台詞を小難しい顔でスムーズに言えたことに驚いている。他者は冷や汗で 脇の下がぐっしょりだ。ブリッジの顔が凝固していた。
「俺たちは“ブレイマー狩り”の名目でクレーター内部を掃除したい。アンブレラが付いててもイリスはああなったんだ、他の都市は このままじゃブレイマーに食いつぶされる。……ロストシティばっかじゃあんたらも商売にならないはずだろ」
「なるほど。互いに利益を得るわけか。確かのその情報は私にとっては有益だ、が分かったからにはこうもできる。わざわざ君たちに ハイドレインジアを渡さなくても、既存のブレイムハンターでクレーターを攻略。……これが私には一番安全で、有益だ」
「……そっちの条件は?」
シュミレーションから外れてはいない。次にブリッジが発するものも目星は付いているのに、レキは自分で心拍数が上がるのが分かった。 そう言えばブリッジは少し前からレキに視線を集中させている。ただの功利主義者でないことは、この妙な眼力で十二分に悟っていた。
「ルビィ」
「今は渡せない。ある程度ブレイマーの数を減らせたらあんたに返す」
ブリッジが初めて口元を綻ばせた。兎にも角にもこの男にはルビィという一単語が鶴の一声なのだ。しかし肩の力を抜くにはまだ早かった。
「……生憎ノーネームと口約束はできんね。サインする名前すら持たない君たちと“破られる可能性のある契約”をするほど私は馬鹿では ないよ。取り引きは終了だ」
ブリッジが静かに席を立つ。この男にとって利益は“ルビィ”という単語では無くその現物であった、シオも思わず席を立つ。その動揺を 目にして、ブリッジに会心の笑みが生まれる。レキたちの手持ちのシナリオを破るのが、始めから彼の目的だったのだろう。対等を演出 した茶番にも疲れたのか、フレイムメンバーを一瞥して嘲笑を浮かべた。
「猿は猿らしく物々交換だ、君たちの流儀に合わせてやろうと言うのだ。今ここでルビィが出せないならシオを返してもらおうか。担保 くらいには見てやってもいい」
「なっ……!」
レキ、シオ抑制係のはずのハルまであからさまに動揺する。
  レキは、やっと落ち着くことができた。シナリオを外れて、不慣れな演技をしなくて済む。レキはレキらしく、皮肉な話だがここからが ブリッジの言うとおり、レキの流儀の始まりだ。