ACT.19 スイッチ


  懐のポケットの中を執拗にまさぐる。懐かしい感覚にレキは自然に顔をほころばせていた。
  きりが無さそうな男三人の低次元口論を放置した後、レキは一人でアイリーンの工房へ赴いた。無論エースを出し抜いて女性陣と合流 などという浅ましい考えからではない、アイリーンに重々に頼んでおいたある重要なものを受け取るためだった。それが今この手の中 と目の前に同時に存在している。
  レキは無造作に懐からそれを取りだした。視界の中央で銀色に輝くバイクと同じ輝きを放って、「ギン」の鍵が確かに手の上にある。
「随分長いこと放ってごめんな。もっと早く迎えに来てやりたかったんだけど」
ギンのシートを優しく撫でながら、まるで恋人に囁くように独りごちる。ロストシティに置き去りにしてきたレキ愛用のバイク「ギン」 は主を待ちかねていたのか、キーを回すとすんなり唸りを上げて刻み良く体を揺らし始める。レキは満足そうに跨ると、トランクに 入れていたゴーグルをしっかりとかける。レキの高揚と呼応してエンジンが回転数を上げた。
「よっしゃギン、早速で悪ぃけどひとっ走り頼むぜ?」
今度は数年来の相棒に語りかけるような軽快さを持って、レキの声は普段よりも幾分高めだ。グリップを握り直すと、勢い良く地面を 蹴って工房の裏路地を脱出する。そのまま覚えのある小路地とあぜ道を記憶通りに辿ればロストシティに入る。レキの目的地はそこだった。 快いホイール音とエンジン音の中でも彼が白い歯を覗かせないのは、これが単なるドライブでは無く、確固たる目的と目的地がある からに他ならない。
  不意に脳裡をよぎった、だからこそ心に引っかかっていたものを探すべくレキは半ば無心でギンを走らせていた。景色が徐々に活気を 失い始めると、それに合わせてレキもスピードを緩めゴーグルを上げる。
「相変わらずのしけ具合だな……」
廃墟がただただ立ち並ぶだけの視界に一見変化は無い。レキたちフレイムが、そしてブラッディ・ローズが生活の場としていた頃と何ら 変わりない佇まいだ。しかし不気味なほど静まり返った東スラムは、もはやレキを温かく迎えてはくれなかった。人気どころか、虫の 息吹ひとつ感じない肌寒い空気に、レキは気温の寒さよりも敵意にようなものを感じてジャケットを着直す。緩やかなスピードのまま がらんとした広場のど真ん中にギンを停めた。完全にゴーグルを取り外す。
  空のオイル缶、ドラム缶、酒瓶や鉄鍋が辺りに転がっている。久しぶりのフレイムアジトは予想通り、他チームに食いつぶされた痕跡 が随所に見られた。ギンを降りて、倉庫という倉庫のシャッターが破られていることに気付くと青筋を立てながら深々と嘆息した。
「ジェイへの土産は残ってなさそうだな」
言いながら重い足取りでテレビ部屋(一応本部)の壊れかけのシャッターを押し上げる。今度は惜しげもなく特大の青筋が額に浮いた。
  ジェイがせっせと修理したテレビが無い。レキが昼寝に使っていた毛布も、ハルがどこからか拾ってきていた雑誌の山も、無線機類 も、ありとあらゆるものが消え本部はもぬけの殻状態であった。つまり本部でもテレビ部屋でもない、ただの空き倉庫である。おそらく 他の倉庫も似たり寄ったりであろう、確認するのも空しい気がしてレキは肩を落としてテレビ部屋を跡にした。
「(とりあえずカートリッジくらいは足せるか)」
すぐ隣の大穴が開いたシャッターをきちんと押し上げた。ギンの調整に使っていた、いわばジェイの持ち家みたいなものだが今の有様 を本人が見たら号泣では済まないかもしれない。棚はすっかり、根こそぎ、分別無く、持ち去られたようで、ここも本部に負けず劣らず のがらんどうと化していた。
  自分のアジトに、緊張を持って足を踏み入れることになろうとはあの頃は夢にも思っていなかったことである。レキは無感動を装った まま奥へと進むと、鉄で組まれたスツールをかけ声に合わせて手前に引いた。何も陳列されていないだけあってあっけなく移動。コンクリ ートの床と鉄棒が擦れる音だけがやけに自己主張して倉庫内に響いた。
  この不審者丸出しの行為の意味は、この倉庫を多用するレキとジェイしか知らない。スツールが隠していた壁は大きくひびが入って いて、レキはそれを見た途端にやつきをこぼした。埃をはたく。丁寧に扱うのかと思いきや、爪先で二三度試すようにつつくとそのまま ブーツの裏で壁を蹴り破った。がらくたじみた音でコンクリートが砕け1メートル四方の穴となる。レキが全身全霊を込めたわけでは 勿論なく、あらかじめ多少の加力で崩れるよう穴を塞いでいたのだ。
  穴を覗き込んで中にある段ボールをを引きずり出した。フレイムのちゃちな金庫は無事だったようで、箱の中にはカートリッジやら 予備の銃器やらがひしめき合っていた。レキは何でもポケットに入りそうなものだけを適当に詰めて、残りはそのままスツールの上に 乗せた。
「さてと……」
彼の探し物、ロストシティに来た目的はアジトの様子チェックでも物資調達のためでもない。アジトにはついでに寄っただけに過ぎ なかった。
「(残りはギンに乗せればいいか)」
段ボール箱を抱えて倉庫を出ると、待ちぼうけているギンに再びエンジンをかけた。そしてまた迷い無いステアリング操作で東スラムを 駆けた。

  エースの作ったドーナツ型の副流煙が天井目がけて昇っていく。それをぼんやり見上げながらジェイはテーブルの上のクッキーを摘んだ。 ちなみに先刻シオが焼いた、出来立てほやほやの手作りクッキーだ。影響されたかハルも気力の無い目で宙を見ている。
  ホテルで一通り揉めた後、とりあえず夜まではアイリーンの工房で全員時間を潰すことに決めた。幸か不幸かこの工房には客が来ない。 一階の売場でこのようにくつろいでも苦情の対象になるはずもなかった。
  シオが自分の分の紅茶を持って無気力集団に加わる。
「(レキは?ホテルに残ったの?)」
「いや?こっちに来てるんだと思ってたけど」
いきなりハルが喋りだした、という時はシオとの会話であることをようやく悟り始めたジェイは、一瞬視線をこちらに向けたがすぐに 興味無さそうに天井を見た。
「そういや見てねぇな、レキ。ヘッドのくせして団体行動乱してんじゃねえよ」
再度ジェイが視線を元に戻す。レキのことを言っていることに、名前を出されて気がついた。皆が疑問符を浮かべているところに、ひどく 冷めた声が割って入る。
「ヘッドならギンに乗っかってどっか行ったけどー。あ、アジトに戻るみたいなこと言ってたかもね」
我物顔で居座る邪魔者連中に対してアイリーンの視線は凍るように冷たい。売れもしないスコープ類をカウンターに並べて、彼女もまた 横柄な態度で部品の掃除を始めた。
  ほぼ寝そべる寸前まで体をソファーに預けていたジェイが、この一言で飛び起きた。
「一人で行ったのかよっ!ずりぃっ、抜け駆けっ」
「今更戻ってどうすんだ。何も残っちゃねえだろ」
エースは淡々と紅茶をすする。
「んなことねえよ。大体全部済んだらまたロストシティに戻るんだろ?俺だってギン乗りたかったし!里帰りしたかったし!」
「ぴーぴーちっちゃいことで騒いでんじゃないよ。ロストシティは今デッドスカルに制圧されてんだからさ、戻るんならあいつらを 追い出してからでしょ。里帰りって雰囲気じゃないわよ」
ライフルスコープを覗き込みながらラヴェンダーが背後からクッキーに手を出す。ぼりぼり音を立てながら、クッキーの味とスコープ の精度にご満悦のようだ。
  一喝されて沈んだジェイに代わって、ハルも気だるさを振り払って身を起こした。ラヴェンダーがスコープ越しに見たハルの表情が このゆるゆる和み会の場に相応しくないほどに重い。
「ちょっとまずくないか……?スカルに出くわす可能性があるってことだろ。アイリーン、レキ本当にアジトに戻るって言った?」
「だから言ってた『かも』っ。ギンが走ってったのはロストシティ方面だったってのは確かだけどね」
ハルの危惧に乗っかっていくと明らかに面倒くさいことになる。各々が察して適当に生返事すると、皆話題を変えようと胸中で躍起に なっていた。新しい話題が出ない代わりにテーブルの上のクッキーが凄まじい速さで減っていった。
  しかし彼らによぎったこの一抹の不安は杞憂に終わってはくれなかった。クッキーを摘んだ拍子にジェイのトランシーバーが電波を 受信して唸る。そそくさとソファーから腰を上げ、上擦った声で応答した。
「こっちらジェイー。どうしたー?」
話が動くきっかけの人物は、トランシーバーの向こうのケイだった。話は動くがテーマ自体は完全に継続であった。