ACT.20 キミノタメニフルアメ


  工房の客用出入り口は早くも施錠がされてあった。ギンが停めてある裏口から静かに入るとすぐに、キッチンで洗い物をするシオに 出くわした。水を止めて笑顔で「(おかえり)」を言われると和むというか、照れる。ハルはぎこちなく「ただいま」を付け足した。
「レキは、まだ寝てる?」
「(さっき軽く夕食を摂って……寝てる、かもね。静かだし)」
本当だったらラヴェンダーが使うはずだった客間を横取りする形でレキは包帯ぐるぐる巻き状態で放置されている。ラヴェンダーは渋々 男連中と同じホテルに部屋を取って休息を摂る羽目になったわけだ。
  洗い物の続きに取りかかろうと蛇口をひねるシオの後ろ姿に、ハルがまた話しかけた。
「ちょっと話してくる」
必要最低限の言葉だ、シオはまた同じように満面の笑みで肩越しに振り向く。
「(ごゆっくり)」
  ハルは階段を上がってすぐの片開き扉を、律儀にノックした。数秒黙って待つが応答は無い。シオの言うとおり寝ているか、息絶え たか、意図的に無視か、いずれにしろハルのノックは形式上のもので返事は無くともドアは開けた。
  失恋直後の思春期少女さながらに枕に顔を埋めて横になっているレキの姿がある。どうやら予想通りのようで、肩すかしをくらった ままハルは嘆息した。
「夜這いか?」
「うわあ!!」
死体がいきなり喋った--しかもかなりくだならい内容を。明らかに驚きすぎのハルに、レキの方が不審がって口元を引きつらせた。
「何だよ、本気じゃねえだろうな……!」
「そんなわけないだろ!起きてたんなら返事くらいしろよ!!」
「今起きたんだよ。爺臭い溜息つきやがって、どうした?」
寝癖だらけの髪を見るに、珍しく本気で寝入っていたらしいことは分かる。右腕から指先まで、右太股からすねまで、それから胴に ミイラ男状に包帯が巻かれている割には顔色はすこぶる健康そうだ。演技だとしたらわざとらしいくらい何事もなかった風のレキに 向けて、ハルもわざとらしく嫌味な溜息をついてみせた。
「土産」
小さめのウイスキーボトルをナイトテーブルの上に置く。
「……気が利くな」
「傷は?」
「まあ見ての通り……弾傷の治りは早ぇんだけどあばらがなー。そういや……礼がまだだったな。来てくれて助かった。死なずに済ん だし……殺さずに済んだ」
レキは時折顔をしかめながらおもむろに半身を起こすと、よせばいいのにどこから胡座をかいて座り直す。ウイスキーボトルを開けよう として右手に力が入らず一人で青筋を浮かべていた。ハルが無言のまま開封して再びレキの手の中に戻す。こうも手厚く介護されると 流石に不気味なようで、レキは口を付けないまま凝り固まっていた。
「だから何なんだよ、さっきから気持ち悪ぃな……!」
  ハルもタイミングを計っていただけである。どう切り出してどう片づけるか--もう少し入念に考えておくべきだったとこの期に及んで 尻込みしてしまう。ジェイに倣ってストレートに、というのはどうも合わないようだ。
  意を決する。胸中で小さく気合いを入れた。
「シバを、殺したいと思ったのか?」
「気持ちとしてはな。行動として殺りてぇかどうかなんて聞くまでもないだろ、俺は殺人者にはなりたくねーし。ただあの時は--」
レキは数秒宙を見つめて、“あの時”を思い返していた。かと思えば振り切るようにボトルを流し込んで、また目を泳がせる。
  レキもまた、意を決して一度固く目蓋を閉じた。
「正直、イーグルに撃たれるまでの記憶はあやふや……体が勝手に動いてた。こういうのは流石にきついっつうか……恐ぇよな…… 何やってんだ俺ってかんじ」
自嘲して覇気のない笑みをこぼすレキ。知ってはいたがハルはこういうとき本人より一層重く受け止めるタイプだ、言い終えてから 思い出すと寝癖頭をガシガシ掻いてその場を取り繕う。
  ハルは特に反応せず終いだ。それどころか、いくらか安心したような穏やかな表情でレキを見た。
「心配すんなよ、次は無い。俺が止める。ぶん殴ってでも止めてやる。レキはいつも通り派手に動いてりゃいいんだよ。フォローは 俺の役目なんだから」
  レキも今度は眉間に皺を寄せて疑問符を飛ばしてきた。眼球を上に寄せて、様子を伺いながらボトルに口をつける。また腹を決め、 しかしどこか恐る恐る小声で呟く。
「ハル、お前……怒ってたんじゃないのか」
叱られた子どものような顔で怯えられるとハルにも気恥ずかしさがこみ上げてくる。
「怒ってたよ。でもフォローはしてたろ」
--その通りだ。どんなに亀裂が広がっても、ハルは求められる役を放棄したりはしなかった。ただ徹底的にレキとの人間関係を絶って いたこともまた事実だ。
「俺がいなくなってみろよ、フレイム内ぐちゃぐちゃだぞ。……そろそろちゃんとサブヘッドに戻ってやろうと思ってさ」
「そりゃ助かる」
手のひらを返したように横柄のボトルを逆さにするレキ。
「ハルが居ないと始まらねえし」
ボトルを無駄に力強くナイトテーブルに叩き置くと、ハルに向けて拳を突きだした。随分久しぶりのサインだ、レキにしてみれば仲直り のけじめの意味があるのだろうハルも快く拳を打ち付けた。
  その軽快な音に続いてリズミカルなノックが響く。起きていてもやはり応答しないレキに代わってハルが苦虫を潰しながら返答、和解 の二秒後から早速フォローを余儀なくされて肩を竦めた。ドアが開くとトレーにクッキーを山ほど乗せて、シオが顔を覗かせた。明らかに 昼間のクッキーと同じものなのだが、その量が半端なものではない。犬の餌かと見間違うほどの積載っぷりに、ハルが思わず後ずさった。
「(サシイレー)」
  レキも興味深げに目を見張る。彼は昼間口にしていないから、その点ではハルより引き感は少ない。味は良いのだが、幾分胃もたれを 誘発する香りが漂う。シオは達観した笑みのままトレーを置くと、さっさと退室していった。レキが上機嫌にそのひとつを摘む。これも また、レキにとっては随分久しぶりの食感と味だった。ハルもひとつ手に取る。
「思い出すな、ハルの母ちゃんのクッキー。あれはめちゃくちゃ美味かった」
ハルの手が途中で泊まる。ついさっき、ふと思い出したことをレキが同じく口にすることに目を点にして驚く。大した感慨もなく口走った 大昔の思い出で凝固されると不安でしょうがない、何かしらの失言だったのかとレキの手も止まった。
「よく、覚えてたなそんな昔のこと」
「忘れるには勿体ない味だったからな」
  捉えようによっては凄まじく不憫な台詞だ。実際幼少期のノーネームというのはよほど周囲に恵まれるか、自力で生きていく能力と 精神力を持ち合わせていない限りは、見るに忍びない生き様だ。その点で、レキとジェイはそのどちらも所有していたと言える。そして ハルも、それは同じだ。
「一個だけお前に謝ることがあるわ」
  レキがクッキーを口に放り込みながら、唐突に切り出した。
「……何」
「二度とお前に銃は向けない。あん時一回こっきりで終わりだ。……悪かったな」
  何を言い出すのかと思って短い間かなり身構えたハルだったが、レキは思いも寄らないことを口にした。つまり、ハルにとっては 言われなければ思い出しもしなかったようなことだ。確かにサンセットアイランドの砂浜で、伝説級の口喧嘩を繰り広げた末に、レキは 怒髪天を突いたかハルに銃口を向けた。その時は、その事実に頭が真っ白になるほど衝撃を受けたはずだったが、今となってはそれも 口論途中のパフォーマンスのひとつのように片づけられていた。
「そんなこと気にしてたのか?あれは……俺がユウを話に出したからだろ。……ん?っていうかレキさ、結局ユウとは--」
「うっせーな。口出してきてんじゃねえよ、おばちゃんかてめえは」
レキがハルの言葉を遮って不躾になじる。ものの数秒前までの謙虚さはどこへやら、ハルの額にも静かに青筋が立つ。
「あのなあ!!バレバレなんだよ!しっかりユウのピアス握りしめてくたばってたくせに何今更ごまかしてんだっ、こそこそ一人で 行動したりするから今回みたいなことになったんだろ!?」
「ごまかしてねぇ!口出すなっつってんの!」
「出す!!」
ハルの半ばやけくそ気味の迫力に押されて、レキが押し黙った。いつもなら苦虫を潰しながらも折れるハルが今回は引く気ゼロだ。 酒はとうに抜けているはずなのだがレキより数段座りきった目で威圧を送ってきた。
「かっこつけてんなよレキ。好きなもん好きだって言う権利まで放棄すんな。一番欲しいもん諦めてんじゃねえよ」
  レキは露骨に口をへの字に曲げた。完全にハルを馬鹿にしている表情だ。
「そりゃお前のことだろ? 他人ひとの心配してねえでちったー根性振り絞れよ。かっこつけてると後悔するぞ」
反撃、なおかつ上手い具合に話の方向性をハルにずらす。レキのごまかしもハルのごまかしも、同等に周囲には意味が無い。かわすことも 流すこともできず、ハルは馬鹿正直に真正面から受け取って、言葉に詰まる。
「……よ……けいなお世話だ!!ユウが起きたら全部ばらしてやっからな!」
最終的に、苦し紛れの捨て台詞がこれだ。普段冷静沈着な奴ほど取り乱すと哀れである、負け惜しみにしてもお粗末な空気だけを残して ハルは逃げるように退出した。レキの苦笑いが静かな部屋にこだまする。
  長く吹きすさんでいた二人の間の隙間風がようやく止んだ。訪れた凪の時間に、心底安らぐことができる。
  この勢いだけの会話の内容を、二人は僅か数日後にありありと思い出すことになるのだが、今は互いの悪ふざけでしかなかった。