ACT.20 キミノタメニフルアメ


  数日が平和に過ぎた。その数日というのが、当に早送りですっ飛ばしたいくらいの平々凡々さで、誰もが内心うずうずしていた。 レキの怪我は大雑把に塞がり、痛々しかった包帯もとれた。厳密に言うと、レキが鬱陶しがってさっさと取ってしまったのだが、見た目 にはどうにか完治と言えなくもない。時折くしゃみをしては脇腹を抱えて唸る程度である。
  ハルはそんな半ば使い物にならないレキの代理としてヤマト、イーグルと今後の対策を練っていた。レキが例え五体満足の状態にあった としてもこの手の役回りは間違いなくハルであるから代理という肩書きはいささか不適当だが、本人も周りもこの状態に慣れきっている せいで誰一人として大した疑問も持ちはしなかった。
  そのハルが、情報交換を終えてアイリーンの工房のドアをくぐる。店番中のジェイを一瞬だけ確認すると軽く肩を竦めた。最近恒例の 挨拶ようなもので、今日もブリッジ財団から“ハイドレインジア完成”の連絡が無かったことを意味する。
  ジェイはカウンターにへばりついて深々と嘆息した。
「毎日進展無しだとうんざりだなー。シオもラヴェンダーも飽きもせず街に出て行くし……つーかエースは?二、三日見てないけど」
「昨日はバーでカードやってるとこ見かけたけど今日は見てない」
「なんっだそれ!俺は一応労働してんのにっ」
  カウンターに座って道を往来する人々をぼうっと眺めているだけの仕事内容だ。五十歩百歩で、さも自分は働き者のように不平を 言われてもハルには慰めようもない。更に言えば実際金を作ってくるのはエースの方だ、同情心も湧いて口にはしなかった。
「そうだ、暇なら少し移動するか? ヤマトが仕事で少し北部に行くらしいし、何ならついて来てもいいみたいなこと言ってたぜ」
「……仕事ってブレイマー狩りってことだろ?わざわざそんなとこ行きたくねえよ……」
  暇だの何だの連呼する割には注文も多くわがままだ。ハルも相手にするのを諦めようと上への階段に向かった矢先、随分久しぶりに ジェイのトランシーバーがとっかかり突っかかり電波を受信した。ハルに喜色満面の笑みを浮かべると、ジェイがそのままご機嫌に アンテナを張った。
「はいはいこちらジェイっ! 待ってました、ようやく出撃だよな、どうぞ!」
  吉報だと信じて疑わない応答に、ハルが唖然として眉を上げた。が、ハルも少なからずヤマトからの連絡だと思っていたせいか、半分 振り返った形で待っていた。
  相手側の音声が二人の予想を裏切ってしわがれていることにまず戸惑う。
「待たせてすまんのぉ。いやぁ~わしも一安心じゃ、早いとこ知らせた方が良かろうと思って。イリスのアンブレラが破られたとか何とか 聞いたがそっちは無事かの?」
  ジェイは一応こちら側にスイッチを切り替えたが、神妙な顔つきでハルに救いを求めてきた。
「……ナガヒゲ、だろ? 今の」
ハルの切り返しにジェイは目から鱗が落ちたようにはっとし、小槌を打つ。完全に相手がヤマトだという先入観が脳内を支配していた せいで、彼の老化現象が一気に進行したのかと心臓をバクバク言わせていたところだ、声の主が然るべき老いぼれなら何ら不自然は無い。
「ナガヒゲかっ、悪い!どこのくたばり損ないかと思った~」
「待ち人じゃなくて悪かったの!お前じゃ話にならん、レキを呼べレキをっ」
互いに目視できないのに、声で青筋を浮き立たせていることが分かる。すかさず反論しよう勢いづくジェイからトランシーバーを 取り上げてハルが咳払いした。
「ナガヒゲ、ハルだけど。レキちょっと寝込んででさ。急ぐなら俺が聞くけどどうしたの?」
「おお、ハルか。レキは寝込んどる?大したことないなら叩き起こすんじゃ!つい今し方ユウが目を覚ましてな、本人もレキに会いた がっとる」
  二人は顔を見合わせた、かと思うとハルはトランシーバーを投げ出して二階への階段を駆け上がった。地下からはアイリーンの怒声 が響いていたがそんなことはお構いなしだ。ジェイが再びトランシーバーを握った。
「……できるだけ早くそっちに向かうってさ。以上」

「レキ!!」
ノックはしなかった。叫びながら扉を開けると、ベッドの上でストレッチ中のレキが訝しげに動きを止める。
「何、取り乱し--」
「ユウが目覚ましたって!今ナガヒゲから連絡が入ってさ!」
伸ばしかけの肘の関節を放置する。レキの方が明らかに平常心を保っており、慌ててきたハルの気合いと同調せず妙な間が空いた。
「レキ」
反応を急かす。答を選ぶ時間は必要ないはずだ、考える素振りを見せる前に釘を打たれてレキは頭を掻いた。口を開きかけたところで また邪魔が入る。ハルよりも数段やかましい足音で誰かが突進してきていた。既に開いている扉を逆側の壁に叩きつけて、ラヴェンダー が血相変えて登場した。
「レキ!聞いた!?」
「今な」
「じゃあ支度してすぐ行くわよ!何もたもたしてんのっ」
「すぐ行くって……つーかまだ行くなんて言ってないだろ」
「あ、ごめん。俺もうナガヒゲにすぐ行くって言っちゃった」
ジェイがのろのろと部屋の前に姿を現す。途端にレキの機嫌が傾いた。一気に眉根を顰める彼にジェイは後ずさったが、他者は今回やはり レキの意見を尊重するつもりが無いらしい。とりわけハルは物怖じしない。一度ハルが口を挟み出すと面倒なことを、レキは長年のつき合い で知っていた。
「財団のシップ、ヤマトに借りられるようになってる。……俺たちにとってもユウは大事な仲間だろ」
「お願いレキ、お願いしますっ!ローズとちゃんと話したい……!」
顔の前で両手を合わせるラヴェンダー、彼女は言うなればこのためにフレイムと行動を共にしていたあくまで外部の人間だ。共に行動 する期間が長かったせいか、その必要もないのに彼女までもがレキに懇願してきた。
  椅子の背もたれに放り投げたままだったジャケットを着直して、レキはポケットの中身を手探りでチェックした。
「エースとシオ呼んで来いよ。シップはすぐ使えるんだろうな」
「連絡一本で」
  どこまでもできたサブヘッドだ、その卒の無さにレキはただ感心した。ジェイは小走りに、言われたとおり二人をかき集めに行き、 ラヴェンダーは胸を撫で下ろして眉じりを下げる。
  レキはポケットの中で豆粒よりも小さなバラのピアスの所在を確認して、指先で弄んだ。ラヴェンダーとは対照的に顔面の種種の 神経が強ばるのを感じる。ジャケットは必要以上にずしりと重い。ゴチャゴチャに入れてあるルビィが重かった。へしゃげた手紙が 重かった。その中で一際重いのがこの一番小さなピアスだ、レキは固く目蓋を閉じて深呼吸した。今更尻込みする理由は見当たらない。
フレイムメンバーでさえそうなのに、全ての真実を知り尽くしている彼女にもはやごまかしなど皆無だ。
  レキは最後に部屋を出た。腹を決めて気合いを入れると、忘れかけていたあばらが容赦なく痛む。また情けなく呻き声を上げながらも しっかりとした足取りで階段を下った。

  ブリッジ財団がヤマトにあてがったシップはイーグル機に負けず劣らずの立派な設備で、ジェイの心を湧かせた。軍とは違って流石 民間、大企業あっぱれとでも言っておこうか文句のない設備に加えて威圧感が無い。
  本来の仕事に向かうヤマトと、部下三人に文字通り便乗する形で、レキたちはアメフラシの隠れ里へ向かっている。財団側には勿論 ヤマトたちと共にブレイマー狩りを行う名目で通っているが、両者共に無駄な干渉と協力はノーサンキューで利害が一致しているため 実際に狩を手伝う必要は無かった。
「デッド・スカルが壊滅したことで財団が俺たちに不信感持ったりとかなかったか?」
「ブリッジにとっちゃ好都合だったろ。ノーネームチームの利用価値も尽きた上、ああいう悪ガキ共は始末に困る。誰が奴らをぶっ飛 ばそうが有り難いだけの話ってこった」
ヤマトはあっけらかんと答える。粗大ゴミの始末の億劫さでも語るようなノリに、同じノーネームチームであるフレイムメンバーは 苦笑いをこぼした。
  レキが大人しく治療に専念していた期間に、事のあらましはハルがヤマトに話している。レキの問題児っぷりに呆れたようでもあり、 納得したようでもあり、楽しんでいるようでもあった。
「マットから連絡が入り次第迎えに行く。あんまり羽目外し過ぎて無茶してくれるなよ。お前らも、あばらは大事にな。ぎっくり腰と 同じで癖付くぞ」
「そうそうっ、ヤマトさんなんかここ一年で三回もぎっくりでさあっ!年甲斐もなくはしゃぐからその度に俺らがおんぶしてやっ--」
サトーが何気なく暴露したヤマトの老化現象に、多くの者が侘びしさのようなものを覚えて胸中で唇を噛みしめた。話が途中で止んだ のは無論ヤマトによる手荒い手段による処だが、あえて詳しくは語らないことにする。