ACT.20 キミノタメニフルアメ


  空白の時間を埋めるように抱き合った。雨は数時間が経過しても一向に止む気配を見せず、かと言って激しさを増すという わけでもない。その内に単なる雨宿り状態となり、二人は長い時間肩を寄せ合ってぼんやりと降り注ぐ雨の雫を眺めていた。
「エイジが--」
ユウの口から唐突に出たその名前に、レキはどきりとした。
「いなくなって、一人になって、これ以上何かを失うのはごめんだと思った」
「ごめん、俺が--」
「だからエイジのことさえ利用したの、あたしが動くきっかけにこれ以上のものは無いと思ったから」
ユウはレキの言葉を遮って淡々と続けた。が、無表情だったのは一瞬だけですぐさま溜息と同時に微笑が漏れた。
「そうやって捨てられるだけ捨てた。もうあたしには何もないから……レキ以外何も残ってないんだから。最後の最後まで側にいる からね」
  レキは返事をしなかった。ただするのが面倒だった。まともな呼吸をすることだけに体力を費やさなければならないほど、体がだる かった。代わりに少しだけユウの手を握り返す。横着のような気もしたが、これで十分伝わるだろうと践んだ。
  雨が断続的に降る。レキはいよいよだんまりの状態となり、しびれを切らしたラヴェンダーが迎えに来るまで二人は宿り木の下に 座り込んでいた。ラヴェンダーの第一声が何であったかまでレキは把握していない。おそらく周りの心配をよそにぼうっとしていた 二人を罵る怒声か何かが吐かれたのだろうが、彼女が到着した頃にはレキの意識はかなり朦朧としていた。それでも自力でナガヒゲの 診療所まで這い蹲ったのは記憶している、辿り着いて早々に病室のベッドを占拠した。病人でも怪我人でもないが、雨降りのレキの 状態は誰もが認知していることで別段不平を漏らす者もいない。と、言うよりも不平不満を並べそうな輩は皆旅宿に固まっていて、 雨の中わざわざ出向くようなことはないだろうことが知れていた。
  倦怠感を眠って誤魔化すのがレキなりの常套手段で、彼は浅いながら夢に落ちていった。見届けてからユウは病室を出てドアを閉める。 ラヴェンダーが新調された真っ白なテーブルに頬杖をついて座っていた。
「ローズがそんなに甲斐甲斐しいタイプとは意外だわ」
皮肉混じりに鼻を鳴らしてナガヒゲが入れた煎茶などをすする。恨みがかったラヴェンダーに対し、全く悪びれた素振りも見せずユウは 微笑を含んで席に着いた。
「気をつけなさいよぉ? なんだかんだでレキって女にもてるからあんた相当恨み買うわよ。腹に銃弾じゃ済まないかも。……まあ あんたたちがデキてるのは今に始まった話じゃなけど、さ」
「……あの娘?」
  ラヴェンダーが顔を支えていた右手を下ろす。ユウは何食わぬ顔で煎茶を横取りした。出涸らしらしい、限りなく白湯に近い味だ。
「知ってるんだっけ……シオ、のこと」
「知るわけないでしょ。さっき歌が聞こえたから……綺麗だけど凄く悲しい歌い方してた。シオ、か」
  ラヴェンダーが墓穴を掘ったのかユウが一枚上手だったのか、苦虫を潰しつつラヴェンダーはまた頬杖をつきなおした。若干見上げる 形で、上目遣いにユウの顔を見たときにすぐに気付いた。シバと居たときには付けていなかったバラのピアスがまた両の耳にある。
「それ。シバから奪い返すのにレキの奴かなり無茶したんだから。……まっ、巻き込まれたのはこっちの方なんだけどさっ。鉄の翼で イーグルに撃たれたときだって自分も撃たれてんのにローズおぶっちゃってさぁ~、もうあんたのことになると自分のことほったらかしで 突っ走っちゃってどうしようもない感じ? よくやれるわよ、こーんな……チーム捨てて? 仲間撃って、デッド・スカルなんかに身 売って……!心配ばっかりかける女のためにさっ……」
語尾が震える。できるだけぶっきらぼうに、それでも目頭が熱くなる。ラヴェンダーは大きくひとつ嘆息した。やたらに眼球を天井に 向けてしまう。
「ごめんね、ラヴェンダー」
「何がごめんよっ。一人で余裕面かましちゃって……!!なんか私一人で、馬鹿みたいじゃん……!」
必死に堪えたつもりが、赤い瞳から溜まった涙が溢れて流れた。
「全然馬鹿じゃない、あたしの分も泣いといてよ。……あたしはもう泣けない。もう誰の前でも、レキの前でも泣いちゃいけない。 いろんな人を傷つけてきたから。……ラヴェンダーのことも」
「かっこつけないでよ! 泣いていいに決まってんでしょ!?」
ラヴェンダー自身でさえ、こんなに無意識に涙をこぼしたのは久しぶりだった。否、もしかすると初めてかもしれない。涙はもっと こみ上げてくるものだと思っていたせいか、条件反射のようにこぼれるその水をラヴェンダーは懸命にこすって拭う。
「サンキュ。でもあたし、そういうかわいい女じゃないし。……泣いて許してもらおうとは思わない。あたしは事実あんたも仲間も 裏切った。その償いは行動で示すわ。……あたしをまだ、どんな形でも必要としてくれるなら」
  深呼吸とも言える深く長い溜息がこれみよがしに場に広がる。ラヴェンダーの瞳から例の湧き水はひいていた。軽くかぶりを振りながら いつのまにやら空っぽになった湯飲みを手の中で弄んだ。
「分かってないわね。私は、ローズにチームに誘われなかったらきっと今もスラムの端でただ息をしてただけだった。どうかな…… 生きる意味も大して無かったから今頃野垂れ死んでたかもしんない。……許すとか許さないとか、恨むとか恨まないとか、私とローズ の間では別次元の話よ。まあこれで……ちゃら、かな」
  不敵に笑ったのはラヴェンダーではなくローズ、ユウの方だった。“ブラッディ・ローズ”のチームリーダーの顔である、この笑みは ある種ユウの魅力のひとつだ。女っぽいなまめかしさも無く、かといって男っぽい下品さも無い。ただ気高い勇ましさを持つユウの 独特な微笑に、人は惹きつけられる。ラヴェンダーもその一人だったのかもしれない。
「ハルたちは……? 一緒に来たんでしょ?」
「居るよ、全員ナガヒゲに追い出されて宿に行ったからさ。そろそろ呼びに行くか、雨が止むのもレキが起きるのも待ってらんないし」
ラヴェンダーがうなじを掻きながら入口の扉を開ける、とタイミングを見計らったかのように呼ばれた人物がこちらへ向かって歩いて きていた。ハルもラヴェンダーに気付く。傘をさしている割に左肩が濡れているのは、隣にシオを入れているからだろう。やはりと いうか、無論というか後方にエースとジェイがひとつの傘を取り合って無駄に暴れていた。当然ハルとシオより、寧ろ傘をさしていない 状態より濡れている。
「……やーらしー。相合い傘なんかしちゃってさー」
「はあ!?傘が二本しか無かったんだからしょうがないだろ!レキとユウは!帰ってきた!?」
あまりの激しい反応ぶりにラヴェンダーもおののいて診療所の中を指さすだけだ。ハルに血の気が多いとどうも調子が狂う、それももはや フレイムメンバーだけのことではなくなっていて、ぶつくさ独りごちながら中へ入るハルからラヴェンダーは二、三歩距離などとって しまっていた。
  すぐさまぶつくさどころではない、押し合いへし合いエースとジェイも乱入完了である。
「相変わらずのお元気っぷりで。まあ座りなよ」
「……ナガヒゲの家だよな……」
  女は強い。というかいけずうずうしい。ユウにしてもラヴェンダーにしても短期間の滞在の内にやれティーポットはどこだの茶菓子は どこだの、場所をあらかた把握している。そして我が物顔でテーブルに並べていくが、そこに疑問を抱くのはハルだけだ。従って、 民主主義のフレイム内では彼の意見は反映されない。分かっていたしどうでもいいことなので、ハルもそのまま出された煎茶をすすっ ていた。
「おいレキはどうした?」
「隣で寝てる。かなり堪えるみたい」
  無駄に音をたてて煎茶を吸い込むエース。ユウがあっけらかんと答えた。
  全員が座ることはできないから、率先してハルが立つ。満員電車で迷わず席を譲ってしまうタイプだ、因みに良心というよりは罪悪感 によるものだ。
「全員、知ってるでしょレキのこと」
「うん、まぁ……本人が話したわけじゃないんだけどさ」
ジェイが周りの顔色をうかがいつつまごまごと口にする。ユウとシオ以外は事実を事実として見せつけられた者たちだ。それも今目の前に いるユウの命を救うための最終手段として露呈した。
  それから少しずつ、ユウは財団やスカルで得た情報や状況などを語りだした。それと並行してハルが今までのいきさつを掻い摘んで 振り返る。リーダーが不在であるとかいう状況は彼らにとって取るに足らないことらしい、むしろこういった込み入った話はレキ抜きの 方がスムーズだ。余計な横やりが入らない分、ハルの機嫌もすこぶる良い。
  が、平常心で情報交換できたのはハルの“あらすじ”トークがイリス事変--懐かしくもないイリス、アンブレラ決壊時のブレイマー 襲撃--にさしかかったあたりまでであった。ユウの顔色が見る見るうちに強ばっていくのを目にすると、ハルの説明口調もいつしか しどろもどろになっていた。
「……と、まあ成り行きでっていうか互いの利益が一致して……」
「ユニオン、しかもあたしを撃ってくれたパニッシャーと同盟。挙げ句ブレイムハンターも釣っちゃったわけ。……呆れる」
  返す言葉が見つからずハルはそのまま撃沈、誰もピンチヒッターに名乗りを上げないあたりユウの言うことが正論だと立証された ようなものである。
  しかしユウは一発ぐっさり矢を突き立てただけでそれ以上非難も叱責もしなかった。一瞬目を伏せて他者を視界から外す。
「今更の確認かもしれないけどひとつだけいい?」
  ハルが身構えたのが分かった。ユウはテーブルの中心を見つめて、渇いた唇を開く。
「そこまでしても……何をやっても、……その先に何があって、何が無くなったとしても、それでもブレイマーをとめる必要と覚悟が ……みんなあるの?」
  誰かが息を呑んだ音がした。それが自分であったことに、ハルは気付いて胸中で驚嘆していた。