ACT.21 ペルソナ


  レキの寝起きはいつにも増して爽やか全開出血大サービスであった。寝起きが良いと気分も良い。気分が良いと些細なことはどうでも 良くなる。例え自分以外の全員があてつけのように仏頂面であっても、今日のレキには大した問題ではなかった。
--マットから連絡が入った。レキとヤマト(俺)、シオ用のハイドレインジアも完成したからとっとと取りに来い、だそうだ--
ジェイのトランシーバーにこのヤマトのテンションの低い伝言が入ってからまだほんの数時間、のはずがヤマト御用達シップはアメフラシの 里経由で既に財団本部上空に程近い空を走行している。
  動きが速いことは基本的には喜ばしいことだが今回ばかりはヤマトも眉間に皺が寄りっぱなしである。全ては眠気を追い払うためだ。 ヤマト率いるブレイムハンターチームは明け方まで地方でブレイマーを狩っていた。思いの外量が多かったらしく、狩りそのものより 血液採取に手間取った。
  究極に亀裂が入った眉間を晒すヤマトの近くでサトーがお構いなしに高いびきをあげている。後何分幸せな眠りにつけるか、時間の 問題だろう。
  イーグルの顰め面、これは言うなれば通常仕様だがこちらも今日に限っては顰めレベルが若干高い。財団のシップに乗っているという 彼にとっては不名誉な現実と、自分が仕留めたはずのノーネームチームの女が同乗しているのが原因だ。レキと違い、こちらの女は 突っかかってくるどころか文句ひとつ吐かない。が時折恐ろしく冷めた眼を向けてくることがあった。その時折、というのがイーグル の苛立ちに拍車をかける。嫌なタイプの女であることに違いはない。
  舌打ちも何度目になるのか、イーグルだけには飛行時間がいつもよりも長く感じられた。

  ブリッジ財団に到着すると、ユウはシップにそのまま待機し一端は妙な内輪の緊張も収まった。但し別の緊張はこの後も続くことに なるのだが。
「どうぞ!!開いてるわよ!!」
どこの陰湿なおばちゃんかとも思えるが、声質は紛れもなく中年男性のものだ。研究ドームの重厚な鉄扉は訪れる度に、その厳重さを 失いつつあった。
  レキは機嫌がいい。従って扉を開けた瞬間白衣の男に抱きつかれても今日のレキにはやはり大した問題ではないのだ。
「待~ちかねたわよぉ!あたしの愛しいレキちゃんっ!んもう早く入っちゃってちょうだーい」
  ハルとジェイが絶句して立ちつくす。腕を組んでマットに連れられるレキを助けもせず、呼び止めもせず、大人しくなおかつ目立た ないようドーム内に入った。前回ならこの熱烈歓迎の儀はヤマトが対象だったはずだ、それを上回る熱狂ぶりでマットはレキに擦り寄った ままポッドの方へ進む。
「……レキって男にもモテんのね」
ラヴェンダーがぽつりと呟く。マットのレキに対する興味関心は、おそらく研究対象としてのそれだろうが何故か皆ラヴェンダーの言葉 を否定はしない。
「とりあえず一般ピーポーから先に試験するわよ。ぐずぐずしないで各自ポッド内に入ってちょうだい」
  今回マットたち研究員側は人数が極端に増えた。よって、一般ピーポーたちが多少の緊張を覚えることは仕方のないことで、おずおずと 互いの様子を伺いながらも“ポッド”と称される透明な筒状の個室に入る。高さは二メートル強、規格外サイズでなければすんなり人間 一匹は収まる大きさだ。人間用試験管、と言ってくれた方が彼らが理解するには親切だった。
  エース、ハル、ラヴェンダー、そしてイーグルがそれぞれ手持ちぶさたにポッド内で待機する。
「いいわ、チェッカーの電源をオ~ンしてちょうだい」
言われるままに研究員の一人--実に真面目そうな中年男性--がレバーを引いた。途端に五人の身体の周りに薄黄色のもやのような ものが浮かび上がる。
  興味津々に手足を見る者、緊張の余り指先ひとつ動かせない者、反応は様々だ。
「……もわーん」
「変な効果音つけてんなよっ!」
ジェイが妙に背筋の伸びた体勢でつまらなそうに見学しているレキを一喝する。素知らぬ顔のレキ、反省したのは彼では無く胸中で同じ 感想を持っていたシオだった。
「これがごくごく一般的な人間のアトリビュートフイルムね。確かに黄色ってのは臭そうねぇ……」
「自分だってこの色だろ……」
「ジェイ、もう黙っとけよ……」
ハルのたしなめは正しい。いちいちレキとマットのお遊びにつき合っていたら神経がよれよれになるだけだ。
「今からこの上にブレイマーのアトリビュートフイルムを張り付けるわ。この一連のシステムが“ハイドレインジア”、我ながら しびれるネーミング……」
  ハイドレインジア--紫陽花の色は根を張る土の性質によって決まる。酸性なら赤く、アルカリ性なら青く、そして中世なら中間色 の紫に染まった花を咲かせる。そしてこの紫陽花にも突然変異色は存在した。世界が荒廃し土が死ぬ以前、ハイドレインジアは雨期の 花としてその鮮やかな色彩を咲き誇っていた。
  “種族臭さチェッカー”と同じ人物のネーミングとは思えないセンスであることは確かだ。
「ポッド内が毒々しい色に染まるけど害は無いからそのままじっとしててちょうだい。いい? いくわよ? ハイドレインジア、スターート!」
  マットの前置きが無かったら残りの見学者は目を剥いたかもしれない。声と同時に各ポッド内に充満したもやのようなものは、毒々 しいの一言で片づけるにはいささか抵抗がある。濃い紫色の煙が激しく噴出、たちまちにポッド内の五人の姿を包み、見えなくしてし まった。無論大人しくなどしていられるわけがない。
「う”わーー!! 何だこれー! 死ぬぅ! 殺されるぅ!!」
「ギャーギャーやかましいわね! 害は無いって言ってるでしょ!」
無論絶叫しているのはジェイだ。マットの言うことは分かるのだが、確かに言われなければ毒殺装置としか思えない。ひとしきり叫び 終わる頃には紫のもやの噴出も落ち着いて、ポッド内の様子が再び見えるようになってきた。
「お」
見学していたレキがいち早く歓声を上げる。
  先刻まで黄色がかっていたフイルムが、紫色に染まっている。満足そうに腕を組むマット、研究員たちも誇らしげである。叫び疲れて ぐったりしていたジェイも自分の全身を取り巻く膜の色の変化に感心するばかりだ。
「成功ね。出てきていいわよ、どぉう? 身体的には何も違和感は無いでしょ」
ジェイが何度も頷きながら前やら後ろやらを入念にチェックする。しかしポッドを出た瞬間その紫色は消え失せた。
「あれ?」
ハルも思わず全身を見回す。
「言ったでしょ、フイルムは肉眼じゃ見えないのよ。ここが注意すべき点。身体的違和感も何ひとつ無いからハイドレインジアが機能 してるかしてないか本人に自覚が持てないのよ。タイムリミットはせいぜい6時間ってとこね」
「おい、タイムリミットなんかあんのか」
ヤマトが間髪入れずに突っ込む。ヤマトだけではない、無論ここにいる全員それは初耳である。
  マットは極限まで眉じりを下げてかわいさをアピールしていた。
「やあだヤマトちゃん当たり前でしょ~。あたしたちの体から絶えずフイルムは発生してるのよ、対してハイドレインジアはシステム 自体があくまで上張り、時間が経てば根っこのフイルムの強さに負けるに決まってるでしょ。大丈夫よ!ちゃあんと対策はたてておいた わ」
白衣の研究員の一人--ひどく堅物そうな若者--が、その恰好には幾分不釣り合いな代物を大事そうに運んできた。皇帝に献上する かのような恭しさでマットにそれを渡す。事実としてマットの実力と権力を見せつけられると複雑だ、彼以外の研究員は皆手本のように 真面目そうな者ばかりなだけに痛々しい。
「携帯用種族臭さチェッカー、その名もブレイマーズ・アイ!! 今回のために特別に作ったんだ・か・ら! ブレイマーの瞳さながら にこのレンズを通せばあっら不思議カンマ一秒でアトリビュートフイルムの識別が可能に! なんってワンダフォ~!なんってエクセレ ンッ!!今までに、かつてこれほどまでに欲されたケータイ用品があったかしら!? いいえ! そう、ないのよ! ブレイマーズ・アイ こそが世紀の大発明……!」
「うおーすげー。これかけると本当に見えるぜ。ヤマトはオレンジだもんなー」
「何だこれ。ただのゴーグルじゃん。ジェイ、お前それ担当な」
ジェイがいつのまにやらちゃっかり装着、興奮する彼をよそにレキはあっさり係決めを行った。
  マットのトリップが始まったら話を先に進めておくか、各自休憩をとる。目配せで事前に確認しておいたことだ。今回は前者を選択、 このお構いなし作戦が功を奏してか、マットも冷めきった一同を目にして割と早くこちらの世界に戻ってきた。咳払いで取り繕う。
「まっ、そういうことね。ハイドレインジアの状態はそれで確認して、効果が切れる前に仕事を片づけることっ。さっ、理解したら 残りの三人もテストするわよ」
促されるままレキ、シオ、ヤマトがポッドに入る。ジェイは“ブレイマーズ・アイ”がすっかり気に入ったのかゴーグルかけっぱなしで 見学している。作業着にヘルメット、極めつけにゴーグル、と揃えられると疑いようもない程に工事現場の主任だ。ポッド内でしみじみ とそんなことを考えていたレキの身体の周りにもじわじわとアトリビュートフイルムが色づいてきた。