ACT.21 ペルソナ


残念ながらもらっていない。かろうじてかわしたサンダーの次なる手、“そっくりそのままカウンター”をレキはもろに鳩尾にたたき込まれた。サンダーの攻撃は滅多に食らうことはないが、食らうと誰より凄まじいことをレキは久しぶりに身を以て思い出していた。胃液が喉元までこみ上げるも、根性で押し込む。どうせ脳がぐらぐら揺れているならと、レキは踏みとどまって目下のサンダーの旋毛目がけて自らの額を打ち付けた。効果音として実際に鳴ったのは鈍く重い、とにかく地味なものだったが二人の脳内に轟いた音はその数十倍の派手さであった。
  よろめきながら後退するサンダーの胸ぐらを鷲掴みにして、レキはそのまま全体重をかけて馬乗りになった。今度はサンダーだけが呻き声を上げた。間髪入れず拳を握る。危機迫る表情でレキはサンダーの右頬骨を殴り飛ばした。自分の表情はサンダーの眼球を鏡代わりに確認することができた。サンダーの口内から赤黒い血が飛び散る。レキの顔にもその数滴が散ったのを感触で知る。
  再び同じように拳を握るレキを目にしてサンダーは苦虫を潰した。見開いた眼でレキの腕の動きをしっかりと掴み、見極めたところでレキの腕を実際に掴み引き寄せる。カウンターは再び鳩尾への膝蹴りだった。銃弾を腹に受けたような衝撃に、レキも今度は多少の胃液を吐いた。サンダーの二撃目は何とか身をよじって避ける。互いに体勢を立て直すことを暗黙の了解としたのか、一度間をおいて立ち上がった。
  息が上がる。やはり空気が乾燥しているのだろう、荒い呼吸のせいで喉が痛かった。
「まだまだぁ!!」
一瞬視界を覆った砂埃を恨むべきか、寧ろ攻撃合図をせずにいられないサンダーに感謝すべきか、眼前に出現した猛スピードの拳に対してレキは咄嗟に両腕でガードした。その間に二撃の衝撃も受ける。三撃目を確認してレキはガードをやめた。パンチを避けると同時にサンダーの服をがむしゃらに引っ掴んで渾身のキックを入れた。
「(間接…!)」
今の短絡思考で辿り着くのがそれだった。手っ取り早くサンダーを黙らせて勝敗を決するには確かに一番の方法である。四つん這いになったサンダーの背後にのしかかり、鬱陶しかった右腕を反り返らせる。骨や筋肉が軋む不快な音がレキの耳にも届いた、がそれもすぐに別の大音響にかき消された。
「あだだだだ……!! も、もげる!! 外れるぅ”!」
どちらにしろレキにとっては不快な雑音であることに変わりはない。レキは無心に力を込めた。
「外れる前にギブアップしろよ」
「断る!! 何故ならぁ!?」
サンダーが途端に会心の笑みを浮かべる。反り返った二の腕の上に、頭まで自ら逆曲がりされると気味が悪いの一言に尽きる。技をかけたレキ自身が顔を背けたがるほどだ。しかしサンダーの不気味極まりない笑みは確証あってのものだった。
  ゆるめた覚えのない腕をすり抜けて、サンダーが起き上がり際にまたもやレキの脇腹にひじうちを決める。こうも腹部に集中攻撃を食らえば下痢でなくても胃腸がガタガタだ。
「そんなへなへなの体力で技が決まるかー!! 貴様の本気とやらがこの程度だったとはなぁっ!」
  レキは腹を押さえながら自分に確認をとった。腕の力を緩めた覚えはない。レキが正しければ今この状況を説明する手だては、レキの力が全く入っていない状態にあったか、サンダーが軟体生物であったかのどちらかだ。考えている間にレキはもろに右頬に一発を食らった。何の準備もしていなかったせいで派手に地面に倒れ込む。痛みは感じたがそれが体のどの部位のものなのか、もはや見当がつかなくなっていた。
  自分が巻き起こした砂埃に視界を遮られながらも、レキは口元の傷をぬぐって身を起こす。しかし、立ち上がるまでには至らなかった。
「だっはっはー、チェックメーーイト! 俺様のあたたか~い慈悲によりこの引き金は引かれないが? 完っ全にこのサンダー様の勝利、つまり完っ全っ完っ璧にお前の負けだ!! どうだー! 見たかー! いや! 見ろ!! この無様な自身の負けっぷりを!!」
  額、前髪ごと押さえて銃口が当てられていた。銃を突きつけている割にサンダーには緊迫やら慎重といった本来ここに相応しい単語が欠如している。辺りを支配するのは相変わらずの激しい馬鹿笑いのみだ。レキが無反応でいると次第に笑い声も小さくなってきた。
「……ん? ちょっと待て。俺様は今レキに銃を向けている。……向けられている、ではなく向けている? ん…? ……。ひょ、ひょ、ひょっとして、か、か、か、勝ったのか……? 本当に!?」
こいつ本物のアホだ--実のところレキは別のことを懸命に考えていたが、あまりの騒音とその内容のお粗末さに耐えかねて、意識をこちらに戻さざるを得なくなってしまった。静かになったはいいが、目の前で生気の抜けた虚ろな瞳で立たれると恐ろしくて仕方がない。サンダーは引き金に手をかけたままなのだ。
「勝った……。レキに……。九十九連敗も覆す一勝……ぬ…ぬ…ぬぅわっはっはっはっはっはっはーー!! 勝った! 勝ったぞ!! 俺様がロストシティ最強、ナン・バー・ワーンだ!!」
「(結局そこに戻るのかよ…)」
殴られた跡か興奮の産物か、サンダーの頬はほんのり桜色に色づいて瞳は少年のように輝いていた。彼が喜びの絶頂を全身で表現しているのに対し、レキは落胆するでもなくましてや絶望などするはずもなく、ただ深々と嘆息していた。
「なんだ? 悔しいか? 悔しいだろう、そうだろうとも! しかし結果は結果、待てよ、今記念撮影を…ってコラ! どこへ行く、下痢ナンバーツー!」
「終わったんだろ、帰るんだよ」
立ち上がるときに少しふらついた。二度目の確認になるがレキは酔っていない。かと言ってサンダーの攻撃が相当に堪えているのとも違う。
  左腕が燃えるように熱かった。炎をあげないことが不思議なくらいに。
「おい。お前まさか……手加減したのか」
「してねぇよ。本気出すっつったろ。立派なてめーの大勝利、おめでとーさん」
「だったら何で左手使わなかった?」
レキの歩みが止まった。動揺が一番分かりやすい形で表に出てしまった。サンダーは阿呆かもしれないが、レキも賢い部類ではない。サンダーの観察力は妙なところに本領発揮されたらしい、誤魔化しようがなくレキはだんまりのままだ。
「貴っ様……男の勝負を何だと思ってやがる! だぁ~~~!! 仕切直しだ! 銃を抜けぇい!!」
「嫌なこった。つき合ってられるか」
  レキは嘘をついていない。手加減は一切していなかった。左手も、間接を締める際には使っていた。ただその左腕が役に立っていたかどうかは話が別だ。
  あくまで平坦な態度を変えないレキに対して、サンダーはしびれを切らして自分のダブルアクションを両方抜き、その片方をレキに握らせた。
「納得行くか! クイックシューティングだ!! それなら手っ取り早い!」
握らせたと思ったダブルアクションが地面に転がる。青筋をこれでもかと言うほど浮き立たせてサンダーがそれを拾うと、口の端を痙攣させながら恨みがかった視線をレキに送った。レキの血の気の失せた顔に--。
「な、なんだレキ…っ。そんなに下痢がひどいのかっ。それとも左腕がゴボウにでもなっちまったのかっ?」
レキの顔色を見てサンダーの方が青ざめた。冗談交じりにサンダーがレキの左裾をめくった、刹那--。
「サンダー!!」
「う、うわぁぁ! …!!」
サンダーはすぐさま手を離し、いわゆるへっぴり腰のまま高速で後ずさると勢いのままにその場に尻餅をついた。サンダーの顔がレキに負けず劣らずの白さになっている。フナのように口をぱくぱくさせるだけで声になっていなかった。
「……ゴボウの方がマシだったろ」
「おまえっ……何、何だそれ……! どうなっちまってんだ! く、腐ってんじゃねぇかよ腕が!!」
フナが必死の思いで口にした単語にレキは露骨に顔を歪めた。
  確かに左腕は手首上から肘にかけて濃い紫色に変色していた。腐っていると言えばそういう表現もありなのかもしれないが、他人に言われることほど苛立つものはない。熱を帯び、液体とも固体ともつかないグミ質の物質となり果てた腕を直視したのは今が三度目だった。たったの三度だ。向き合うにしてはあまりに残酷で極端な現実である。
  レキが最初に抱いた感想はサンダーとは少し違う。これに酷似した物質をレキは知っていた。
ブレイマーの体組織--はじめに抱いた意識は覆ることはなかった。腐っている方が幾分マシなような気さえした。
「言うなよ、誰にも」
「あ、アホか!! 放っておいたらどうなるか分からんぞ…! すぐあの目立たんサブヘッドに知らせるなり……!」
サンダーは強制的に、口をつぐんだ。レキが構えた銃の矛先は足元ではなくサンダーの喉に向けられている。撃たない保証は無い、寧ろ下手に何か口走れば感情任せに撃たれそうな気配すらあった。
「絶対誰にも言うな」
  レキは銃を下げた。踵を返す彼の傍らで、サンダーが力無く宙を見ていた。