ACT.21 ペルソナ


  バーを出るときにケイに声を掛けられた。散歩という理由で不審がられないのはせいぜい三十分が限界だ、普段気にも留めない時間の間隔をレキはやたらに研ぎ澄ました。
  足元がふらつく。酒に弱い方ではなかったし、大した量も飲んでいない。それにも関わらず、立って歩くという単純な動作が苦痛で仕方がない。
  バー出て、レキはイレイザーキャノンの傷痕である、長いトンネルをそっくり逆さにしたような亀裂沿いに歩いてきた。昼間は復旧作業で賑わっていたこの辺りも、夜ともなれば寂しいばかりだ。向かい風が強く、レキの頼りない足取りをさらう。ぽつぽつと灯る人家の明かりを避けるように、レキは暗がりを目指して足を進めた。アンブレラの穴に近づけば近づくほど、キャノンに破壊された民家や道路の被害は著しく、復旧作業もさほど捗っていない。
  今のレキには有り難い状況だった。崩れかけの民家の壁に全体重を預けてもたれかかると、レキはそのままズルズルと背中をこすりつけるようにしゃがみこんだ。悲鳴を上げないように左腕を押さえつけ、歯を食いしばる。それでも小さく呻き声が吐息と一緒に漏れた。
  外気は恐ろしく冷えている。吐く息の白さがそれを物語っていたが、反比例してレキの左腕ははんだごてになってしまったかと思うほど熱かった。そして意識が朦朧とするほどの激痛が左腕を媒介にして全身に走る。かろうじて平常心を保ちながら、レキはゆっくりジャケットの袖をめくる。数秒確認してすぐに目を逸らした。
  疑問は無い。異変は既に何度か経験していた。タウンスプリングに向かうユニオンのシップ内で、アメフラシの里で、抱いた疑問は自らの左腕がすぐに答を見つけてくれた。呼吸が落ち着くのを見計らって、レキは老人のように鈍い動きで立ち上がる。その時だった。
「だーーーっはっはっはっはっ!!」
夜風に乗って高笑いが軽快に響く。レキはそれには疑問符を浮かべた。しかしその疑問も、やはりほんの一瞬で解消された。
  キャノンの跡道、堀下がったその中央に仁王立ちの人影が見える。レキは体内の空気を残らず発射する勢いで深い嘆息をかました。あまりの脱力感に一瞬痛みが吹っ飛ぶ。月明かりが余計なことに人影を照らし出してくれた。
「ここであったが百年目!! いやあ!? 記念すべき百回目だ! フレイムチームヘッド、レェキ! 今日こそ貴様の首根っこ、このスラムの覇者サンダー様がもぎとってくれるわぁっ!」
近所迷惑以外の何ものでもない声量でその男、チーム「スパークス」のヘッド、サンダーは再び高らかに笑う。何故この男が今ここに居るのか、というのは愚問だ。サンダーはレキの居るとろこならどこでもいつでも現れる。
  レキの舌打ちがいつにも増して派手に鳴った。
「ったく……ストーカー野郎が。くそタイミングの悪いときに現れやがって……」
「どうしたぁ腰抜け! 下りてくるのか来ねぇのか、どっちだーー!!」
「声がでけぇんだよ……! 喉ひねり潰すぞ!」
レキは苦虫を潰しながらキャノン跡に下りる。滑降させたブーツの裏から砂埃が俄に舞った。それを満足そうに見やるサンダー、指を鳴らし派手な豹柄ジャケットを脱ぎ捨てる。ひとつひとつの動作が芝居がかっているのはサンダーにとっては通常のことだ。勘に障って仕方ないが対峙百回目ともなれば流石に慣れる。颯爽と脱いだはいいがこの気温でその行為は阿呆としか言いようがない、不敵に笑んではいるがガチガチ歯を鳴らしていた。
「ふんっ、今日は取り巻き無しのようだなっ。計画性のない単独行動を後々悔やむことになるぞっ」
「……そっくりそのまま返すぜ。せいぜい凍死しないようにな」
  サンダーとの対戦にはいつもこれといってルールは無い。銃を撃ち合うこともあれば拳だけで闘り合うこともある。周りに人もおらず、これだけ開けた場所なら今日は前者になるかもしれなかった。
「馬鹿は休み休み言え!! おねんねするのは貴様の方だーー!!」
「だからそっくりそのまま返すっつってんだろ! よそ見してんな! 行くぞ!!」
  起きていても寝言が言えて、年中無休で馬鹿が言えるのがサンダーだ、一見レキがサンダーのペースにはまったようで実はそうではない。長丁場にするわけにはいかなかった。多少強引な手を使ってでもさっさとこの状況を片づける必要があった。
  レキは不本意ながらも真っ先にメインアームを引き出すと、走りながらコッキングしてサンダーの足元に狙いを定めた。滑り込んでブレーキをかけるとやけに砂埃が舞う。キャノンが通った跡の土は砂漠のように乾ききっていた。
  ガァン!!--この銃声がどの程度響いているのかも気がかりだ。バーには伝わらないことを胸中で祈りながらもレキは二、三発と連射した。いずれも狙ったのは足元だったが、サンダーはタップダンスでも踊るかのようにちょこまかもも上げをしてその全てをかわしきった。地団駄で実際に銃弾を避ける人間をレキは初めて見た。驚愕やら感心やらをさしおいて真っ先に苛立ちが広がる。
「先手を打っておいてその様かぁ!! 見るがいい! 俺様の針に糸並精密射撃--」
焦りからか、もしくはこの乾燥した空気のせいかレキはめずらしく舌なめずりなどして神経を研ぎ澄ませた。結果、銃を構えるまでの余計な間を作りすぎたサンダーの肘にヒット、自慢の射撃を目にする前に奴の銃が宙を舞った。大袈裟に痛がるサンダーとの距離をつめ、銃を握ったまま右手、裏拳を思い切り振りかぶる。
「食らうかぁっ!」
先刻まで涙目で悶えていたのは何だったのか、レキの不意打ちをあっさりかわすと素早くサイドアームを抜く。メインアームと全く同じ型のダブルアクションリボルバーがサンダーのサイドアームだ。今度は無駄な動き何一つなく、トリガープルまでの諸動作には一秒のロスもなかった。
ダン!--レキの視界に赤い髪の毛が数本、枯れ葉のようにハラハラを散った。口の中で舌打ちが漏れる。このまま連打でも食らうのかと思えば、サンダーは飛んでいったメインアームをそそくさと拾いに走っている。レキはその無防備な後ろ姿に、再び足元目がけて全段発射した。
「のわーー!!たたたたた!!」
やはりまた華麗なタップダンスにより、アスファルトに弾がめり込んでいく。弾切れのところでレキが義務のように舌打ちしてスイングアウトする。
「貴っ様~!! 美学ってもんが無いのか!? 相手は背を向けた状態だったんだぞぉ!」
補弾はのんびり行うことができた。叫びまくるサンダーには目もくれず、シリンダーのひとつひとつを確かめるように弾をこめていく。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ…っ、そんなもんあるか」
「ははーん、貴様何やら勝負を焦っているな? その割にいつもと比べて動きが鈍い。俺の予想からして……」
  唇がひどく渇く。軽く舐めた瞬間に口の端が音をたてて切れた。視線はサンダーに固定したままレキは乱暴に口元をぬぐった。
「ふふん、やはり動揺は隠しきれんか。俺様が何も気付かんとでも思ったか? 白い顔にその不自然な動き、どうせ冷や汗で背中はぐっしょりだ。……貴様……、下痢だろう!? そうに違いない!!勝負を焦ると負けるぞ! はっはっはー…!」
仁王立ちで夜空に高笑いを響かせるサンダー、その残響が鳴りやまぬ間にレキは一息ついて右手を伸ばし、照準を合わせる。
「真剣勝負にアクシデントはつきもの! 運が無かったと諦めることだな、例え下痢でも容赦はせっ--」
ガァァン!!--指を引く、刹那銃声がサンダーを黙らせた。何か一瞬痛みが閃光のように走って、サンダーは笑顔を凝固させたまま頬から流れる血のむずがゆさを感じるだけだった。
「ことごとく俺様の台詞を遮りやがって……!! いいだろう早々にケリをつけてやるぞゲリフレイムめ!」
「今のは聞かなかったことにしてやる。……悪ぃけどてめぇとのお遊びにつき合ってやるのも今回が最後だ。本気で行くから死なねーようにしてくれよ」
レキは未だ硝煙の上がる銃をジャケットに押し込むと、顎先で挑発を送った。サンダーも口元を引きつらせながら両手に握りっぱなしだった二丁のダブルアクションをホルダーに収めた。
「上等だー!! 百回目の恐怖として今日というこの日を貴様のブラック記念日にしてやるわ! 行くぞ、レキィ!!」
  サンダーの一発目はだいたい右ストレートで始まる。だいたい、という確率をもっと具体的に示せば、五回中四回はそうだ。期待を裏切らない鋭い右ストレートが風を切る。
「そういうのを馬鹿のひとつ覚えって言うらしいぜ!!」
喜々としてカウンターを決めようとするレキだったが、実は彼も一発目は無意識にやりやすい行動をとる。五回中三回はせいぜいこれだ。豹柄のジャケットを着ていないおかげで本日のサンダーの鳩尾は狙いやすくて仕方ない。
「(もらった!)」