ACT.22 マスカレイド


  レキが帰り際に考えていたのは、とにもかくにも言い訳の類であった。ただの散歩にしては長すぎたし、何よりサンダーに食らったパンチで顔面、腹筋、痛々しいことになっている。
  良いごまかしが思いつかないまま、レキはバーの扉を押しあけた。
「あーっヘッド、どこ行ってたの? みんな探してたよー?」
中に入った途端、赤い顔のケイに核心を突かれる。初球からどストライクで内心冷や汗が止まらなかった。
「わりぃわりぃ、散歩……かな」
「変わった散歩だな、おい。そこら中に顔面ぶつけてきたのか?」
  ケイはごまかせる。なぜなら完全に酔いがまわっているのが目に見えるからだ。しかしこの男、エースを丸め込む術を生憎レキは持ち合わせていなかった。早々に白旗を上げると手頃な椅子を引き寄せて座った。
「散歩の途中でサンダーのアホに遭っちまったんだよ。片付けてたら長引いた」
「災難だったとしか言いようがねぇな……。ご愁傷様」
エースは一瞬興味薄そうに鼻で笑って自分とレキの分のジョッキをテーブルに並べた。席について何を思ったか高速に顔を顰める。そして訝しげにレキの顔を覗き込んだ。
「……でサンダー相手にその状態か。情けねぇな~もうちょっとスマートにやれねえのか?」
「あいつはあいつで普通にしてりゃそれなりに強ぇんだよ」
切れた口の端が喋る度に僅かに痛む。ちなみにこれはサンダー云々とは関係なく、外の極度の乾燥によるものだ。親指で押さえて、レキもしかめ面を晒した。
「こんなんで大丈夫かね。俺は明日助けてもやれねぇし、後押しもしてやれねぇんだからな」
「分かってるって。そっちこそきちっと役割こなせよ?」
  作戦中はエースとは別行動だ――本音を言えばそこが一番の不安要素だったりする。
「せめてハルが一緒ならな」
それも実のところレキが言いたい台詞である。
「ダメだ。明らかにユニオン突入チームにまとまりが無くなる。そっちの方が恐ろしいっ」
そしてこれも嘘ではない。胸中は矛盾だらけだったがレキはそれを一度も口に出さなかったし、出して解消されるものでもないことが分かっていた。
  切れた口の端に注意を払いながらレキはすするようにビールを飲む。
「レキ、サイドアーム出せ」
「あ?」
「いいから貸せって」
「ちょっ、何だよエースっ」
  唐突に真顔を作ったかと思うとレキのジャケットの内ポケットをまさぐろうと覗き込むエース、いろんな危機感を覚えてレキは椅子ごと後ずさった。言われたとおりサイドアームのリボルバーガンをテーブルの上に放り投げる。エースも、三本目のリボルバーを静かにテーブルの上に置いた。
「こいつはただの銃じゃねえ、魔法の銃だ。何かあったときにお前を助ける。明日一日貸してやるから持ってけよ」
「そりゃすげー。けどパス、これ以上重いもん持ちたくねえ」
  エースにしてはメルヘンチックな言葉だ。軽くあしらって自分のリボルバーを引き寄せようと手を伸ばす。一足先にエースがその銃を手に取った。
「重いわけあるかっ。軽量化には気ぃつかってあるんだ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
レキは、エースの三本目の銃が特別であることを既に知っていた。具体的にこのリボルバーにどのような逸話があるのかは知るはずもないが、他に比べて格別性能が良いわけでも扱いやすいわけでもないそれに対するエースの態度は言うなれば紳士的であった。めったに使わない割にメインアーム並にメンテナンスを欠かさない。フレームはいつも美しく磨かれていた。何に由来しようがエースにとってこの銃が特別であることは確かだ。責任に似た妙な重圧をしょい込むのはこれ以上ごめんだった。
「いいから四の五の言わねぇで持ってけ。俺はお前のを持ってく。単純に考えろよ、そしたら返さなきゃーって使命感が湧くだろ? それはお前にとって明日必要な“重さ”なんだよ。……まぁ俺にとってもそうだけどな」
  レキは目を丸くした。エースはレキの言う“重さ”の意味をきちんと解していた。そしてレキもこの銃の交換が持つ意味合いを遅ればせながら理解する。
「……しょうがねぇから持ってくだけ持ってってやるよ。使命感が湧くかどうかは際どいけどな」
「ばっ!ちゃんと返せよっ、失くしたとか言いやがったら――」
  レキは半眼でにやつきながら“魔法のリボルバー”をジャケットの中にしまった。エースの言ったとおり重くはない。銃のご利益かエースのおかげか、やけに安堵を胸の内に抱くことができた。
  エースが舌うちして、またいつものように生ぬるい表情と態度で生ぬるくなったビールを流し込んだ。

  レキはいつしか「最後(おわり)」を意識し始めていた。何がそうさせるのか断定や限定はできない。この頃は全てのものがレキにそれを感じさせた。
  二階への階段を上り切ると、壁を一枚隔てたかのように喧噪が遠のく。階下との騒音の差は当に天と地で、イーグルが腰を据えたまま下りてこないのも頷けた。尤も、静けさに関係なく下りてこなかったかもしれないが。
「こういうの、協調性がないって言うんだぜ。あんた絶対ユニオンでも浮いてただろ」
言ってすぐそうでもないかと思い直す。イーグルには、彼がユニオンを離れてもなお付き従う忠実な部下が何人もいたし、レキも実際その目で見ていた。
「くだらん馬鹿騒ぎにまで付き合う義理はない。用が無いなら失せろ」
「……いちいち癇に障るな」
レキは自分が先にイーグルを煽ったことを上手に忘れて、これ見よがしに歯茎を見せると不快をアピールした。手元では並行して内ポケットの中をまさぐっている。まさか今更銃を向けるはずもないが、それが知れていても性分なのかイーグルは警戒してレキの手元に注目している。
  レキはようやく目当てのものを探り当て、ぶしつけにテーブル上に投げた。親指大の小さな金装飾のバッジが僅かにバウンドし、イーグルの目の前まで都合よく転がった。
「返す」
「何の真似だ」
イーグルの視線が一段と厳しくなった。ユニオン隊員の証である金バッジ――イーグルが同盟の証としてレキに預けたものだ。それを今になって投げ返されれば表情険しくなるのも当然だ。
「俺にはガラクタだけどあんたには勲章だろ、それ」
「だと思うか?」
「少なくとも俺は」
  イーグルは僅かに鼻を鳴らしてバッジを無造作につまみあげた。
「明日事が済めば結局はガラクタになり下がる。ただ潜入には幾分役に立つだろう」
「どっちでもいいよ。……確かに返したからな」
レキはなぜか呪いのアイテムでも押しつけるかのようんあ挙動不審さを振りまいて踵を返す。はじめに言われたとおり用事(たったこれだけ)が済んだなら、早々に退散するのが得策だ。そそくさを絵に描いたように階段を下りはじめた矢先、
「レキ」
呼ばれたら振り向くというのは礼儀云々の問題ではなく条件反射に近い。振り向いた視線の先で違和感が形となって表れていた。
  銃口をこちらに向けられたら微動だにしない、というのも特に決まったルールというわけではなく条件反射だ。イーグルは座ったままレキめがけて照準を合わせていた。
「バッジを返すということは同時にいつでも俺はお前を撃てる権利を返されたということだ。……分かっているのか」
  レキは限りなく溜息に近い吐息をひとつ、小さく吐いた。二つ目の違和感に気づいたからこそ、大して緊張感を覚えずに済んだのだろう。イーグルはレキをロックオンしているものの、その銃はセーフティがかけられたままだ。更に言えば彼には殺気の「さ」の字も感じられない。
  パフォーマンスだと思うと無性に笑いが込み上げてきたが、レキは何とか生真面目な顔を取り繕っていた。
「ま、そういうことになるよな。あんたの判断で、相応しいと思う場面で撃ちゃあいい。来ねーけどな、そんな場面」
「……やけに自信があるようだな」
「俺はブレイマーにはならない」
イーグルの嘲笑を裂くように、レキは強く言い切った。
  数秒沈黙が続き、互いが互いを射るような視線をかち合わせる。とは言ってもやはりものの数秒の出来事で、イーグルが銃を下ろすのを合図代わりに緊迫が消えた。だいいち男同士で見つめ合い続けることには何の生産性もない。
「まあいいだろう、貴様の執行猶予だ。じっくり見させてもらおう。……ブレイマーか否か」
「上等」
  一気に階段を駆け降りる。レキは三つ目にして最大の違和感にようやく気付いて一階の床を軋ませるなり後ろ手に頭を掻いた。相変わらず意味不明な奇声や雑音が飛び交う中で、脳裏をよぎる自分の名前がひどく新鮮な響きであったことを今になって改めて確かめる。
  イーグルに名前で呼ばれたのは先刻が初めてだった。意識してか無意識かは分からない、だが殺気を感じなかったのはおそらくそのせいだったのだろうことははっきりしている。
  バッジを返したことが間違いでなかったことを確信する。そしてレキはイーグルと新しい取引を交わした。互いの“信頼”を担保に追う者と追われる者が同じ目的地を目指す。その場所を「最後おわり」と定義することで、レキは心に巣食うもやもやを取り払ってまた一歩を踏みしめた。