ACT.22 マスカレイド


  ぐしゅっ!――ユナイテッドシティ、イーグルの部下の家でパニッシャーの制服に袖を通しながらのくしゃみ、無論ハルだ。
「……ハル、くしゃみまで地味だな。もうちょっとドカーンってやれよ、そんなんじゃ不純物も体内に残りっぱなしだぞ」
「余計なお世話!!」
  子ども用のパニッシャーの制服など無い。従ってヤマトの変装は逆効果のように見えた。エースはエースでどう見たってまっとうなユニオン隊員には見えない。ハルは自分の地味さを哀しみながら、普通であることの素晴らしさもまた同時に実感した。
    ハルは風邪気味でもなければアレルギーの類でもなかったから、この手の突発的なくしゃみはどこかで誰かが自分の噂をしているときと相場が決まっている。どこで誰がそうしているか何となく予想がついてしまうのが何とも空しい、鼻をすすりながら真白なロングコートに袖を通した。
「お、さすがは元警官っ。そうしてりゃちったあ様になるな」
「はいはい、人のことはいいからさっさと着替えろよ」
エースが羽織ると正義の白も胡散臭さがにじみ出る。偽善代表のように作り笑いを浮かべて、三本の銃を手際よくホルダーに差し込んだ。テンガロンハットの出番は今回はない。
「どのみちすぐばれる。下っ端をやり過ごすためだけだからな。中枢に入り込めば戦闘になるぞ」
ヤマトは言いながらいつもの服の上にユニオンの制服を重ねて着込む。コートを羽織らないのは、羽織れば七五三になってしまうからだろう、ユナイテッドシティに居ながらいまいち皆に緊張感が湧かないのは、良くも悪くもヤマトの存在のおかげであった。
「大佐、そろそろよろしいでしょうか。自分も召集令がかかっておりますので」
「ああ、ここまで御苦労だった」
「調理フロアの鍵です。……自分がお役にたてるのはここまでになりますが……」
隊員は申し訳なさそうに伏し目になるとイーグルの手にカード式のキーを渡した。
  クレーターへの二度目のキャノン発射はレキたちだけでなくユニオン組織そのもにとっても突然の知らせだったのである。準備と警備のための時間も人手も足りない中で、ユニオン上層部はかき集めるように隊員を配備した。その結果、街中やユニオン関連施設への監視の目は見事に減少し、本部一点に厳戒態勢が敷かれている状態となった。多少なりとも内部が混乱しているのは、こちらにしてみれば好都合だ。手引をしてくれたユニオン隊員はイーグル隊の者で、彼を含めた数人の部下たちが本部内でもこのチームをアシストしてくれることになっている。
  四人はユニオン隊員が表口から通常通り出社するのをも届けてから、気持ちとしてはこそこそと裏口から市街地へ出る。ユニオン本部が構えているのはユナイテッドシティの中心部だ、今居る住宅区からそこへ向かうにはどうしても繁華街、ショッピングモールを横切る必要がある。本部に辿り着くまでにやれノーネームだ、不審者などとしょっぴかれていては埒があかない。無駄な時間と体力の消耗を避けるための着せ替えごっこである。
「確認するぞ、一発で把握しろ」
ヤマトが視線を前方に向けたまま口元を僅かに動かす。
「イーグル大佐とハルは正面からそのまま入場、逃走経路の確保と罠をいくつか張ってもらう。俺とエースは調理場の裏口から侵入、行けるところまでばれずに進んでばれたら派手に暴れさせてもらう。お互い最上階一歩手前の制御室で合流だ」
「できれば制御室まで騒いで欲しくないがな」
イーグルもまた正面を見据えたまま口だけを動かす。
  彼が今も堂々とユニオンの白制服に着ていられるのは一重に、できる側近のおかげだ。イリス事変で負傷しそのまま療養休暇中、というのが本部に報告されたイーグルの今の所在だ。予想だにしていなかった部下の好プレーにイーグルもご満悦のようだった。
「別れるぞ。作戦に二度目はない、肝に銘じることだな」
  本部の裏門が見えたところでイーグルが方向転換、ハルもそれに倣った。いつもは壁のように警備のユニオン隊員が並んでいるのだが今日は目に見えて少ない。イーグルを見て何人かの隊員が慌てて敬礼していた。内一人が小走りに近づいてくる。ハルは目立たぬように俯く。
「大佐、キャノン発射のスイッチが制御室とは別に総裁の手元にあることが判りました。少佐クラスが護衛についています」
どうやらこの男もイーグルを慕う部下の一人のようで、声を潜めて早口で情報を伝える。内容が内容だけにイーグルもハルも揃って顔を強張らせた。
「……報告ご苦労。その件に関してはこちらで何とかしよう。君は引き続き外周警備に当たるように」
「はっ! 了解しました!」
敬礼だけがやたらに目立つ。無表情を保ってはいたが、ハルは歩幅を狭めてイーグルに耳打ちした。
「こちらで何とかって……っ。総裁ってことはトップだろ……? どうするつもりなんだ」
「予想できた事態だがだからと言って相応しい対処ができるかは話が別だ。先にそちらを仕留めるしかない」
  ハルはそれ以上何も聞かなかった。何とも物騒なことを平気で言ってのけるイーグル、しかし方法がそれしかないなら四の五の文句を垂れても仕方がない。
  エントランスを目にして、その目をハルは点にするしかなかった。胸中では既に二、三歩後ずさっていた。
「動揺を見せるなよ」
「分かって……ますよ」
アドレナリンが一気に全身を巡ったのか心臓ががなるように鼓動する。
  エントランスはそれひとつがアーケードになっており、天井はというと目を細めなければ見えない。門の下を米粒サイズのユニオン隊員が往来する。全体からこのエントランスを説明するならそうとしか言えない。ハルの白い制服の下を冷や汗が流れていった。
「イーグル大佐、療養中と伺いましたがお加減はもうよろしいので?」
  いちいち心臓に悪い。ハルは一歩下がって敬礼するとそのままの体勢で固まった。
  イーグルよりも幾分年配の男が近づいてくる。イーグルも軽く敬礼した。
「もともと大した怪我などはしていないものでね。……エントランス警備担当は中佐の隊か」
「厳戒態勢といったところですよ。イリスでの一件以来総裁も気が立っておいでのようです。今回でかたがつけば我々パニッシャーは解散ですかな。はっはっ」
「そうなるでしょう」
イーグルはいつもの仏頂面のままあっさりと返答する。おまんま食いあげ宣告を他人事のように受け流すイーグルがツボにはまったのか、中佐は声をあげて高らかに笑った。
「相変わらず変ったお人だ。悪役が居なければ正義の出る幕もありませんからな」
「また次の悪を用意するだけのことです」
中佐はまた笑って、最後は敬礼でしめた。
  彼をやり過ごした後も次々とイーグルに敬礼をしてくる隊員が後を絶たない。その度にハルも同じことをしなければならず、それだけで十分神経が擦り減った。敬礼地獄とでも名付けようかと頭の隅でくだらないことを考え始めた矢先、足が止まる。俯き続けて痛くなった首を上げると、イーグルの顔と天まで届きそうなエレベーターがいくつも視界に飛び込んできた。気を抜いたせいか感嘆が漏れた。
「俺は総裁に会う。貴様は制御室だ」
エレベーターが目まぐるしく天界と地上を行き来する中、イーグルの乗り込んだひとつにハルも足を進める。エレベーターは完全ガラス張りで、他のエレベーター内の様子やエントランスの風景を観察することができた。だからと言ってそんなことをしている者はいない。エレベーターの白制服は皆資料に目を通したり、上官の話に耳を傾けたりで忙しそうだ。
  ドアが閉まるとようやくプライベート空間という感じがして、ハルも心底疲労の溜息を漏らした。
「……元地方警察勤務、だったな」
イーグルが思い出したように呟くのを、ハルはつまらなそうに一瞥した。他のユニオンの監視がないのだからイーグルに対して繕う必要もない。
「太古の昔ね。それもほんの一瞬」
敬礼はその時嫌というほどしていたから、やれと言われれば違和感なく出来る。それでも内心どこか笑える光景のように思っていた。
「ノーネームであることが原因で平等な評価を受けられず退職。その後“フレイム”の幹部か」
イーグルが小さく笑ったのを見逃さず、ハルは一気に顔を顰めた。
  イーグルのコートの襟には気づいたら金バッジが戻っていて、それはレキも承知のようであったから何も言わなかったが、バッジひとつあるだけで格の違いを見せつけられている気分になる。
「あんたが俺やレキのことをどう思おうと関係ないけど、……ひとつ言わせてもらうなら、パニッシャーもユニオンも俺は正義だとは思わない。もちろんあんたも」
「間違いではないな、だからと言って貴様らが正義とも言えまい」
  悪役が居なければ正義の出る幕はない――それが正義の本質だったのだろうか。しかし高い確率でブレイマーという悪役が消えればパニッシャーは解体を余儀なくされる。自らを正義と称するとき、それは同時に誰かを、何かを悪としなければならないことを意味するのかもしれない。
  ハルは言葉を詰まらせた。
「俺は……」
イーグルがまた薄ら笑いを浮かべるものの、今度はハルも受け流す。そもそもハルの捉え方に若干の偏見が加えられており、本来イーグルは微笑を浮かべただけに過ぎない。
「お前が考える正義などというものは元から存在しない。あるのはそれぞれの信念のみだ。違えば悪と見なすしかない」
「極端なんだな」
「そう思うか。正解はもっと複雑だ。……善も悪も単なる立場と評価に過ぎん。極端な奴がトップに立つから二極化が進む。……それもまた善悪表裏一体だろうがな」
ハルの目にイーグルの襟元で光るバッジが映る。その意味と価値を目の当たりにした気がした。
  エレベーターはいつしか地上の人々をゴマ粒並に縮小するほどに上っていた。