ACT.22 マスカレイド


  ここには死者の霊が集まる。今だってそこら中をうようよしている――ルビィを作った科学者の八月三十日の日記、その一節をシオは歩きながら思い出していた。その辺りのことについては皆触れなかった。エースなんかはむしろ失笑していたような覚えがある。しかしシオは何となくその記述が狂気の沙汰の幻だとは思えない、今ひしひしと身に感じる何かがそれを立証しているように思えてならなかった。
  クレーター入口で吹き荒れていた突風は無論内部には無い。それにも関わらずシオの体は震えが止まらなかった。
「シオ、寒い?」
シオははライトで自分の顔を照らして大きくかぶりを振った。その拍子にジェイが顔を背けて笑いを吹き出す。
「シオ、ホラーみたいになってるって! 空気に合いすぎ!」
空気に不似合いな男が目尻を下げて笑うせいでシオも幾分緊張が解けた。が、それはほんの気休めだ。何でも響き渡る天然ホールの中では銃のコッキング音は悪目立ちもいいところで、前方、つまりはレキがそうしたのだろう和んでいた二人の背筋に再び極上の悪寒が走った。
「レキ!?」
「シッ! 黙って後ろにつけ!」
後方を諌めながら自らが一番大音量で叫ぶというとんでもない矛盾を披露し、レキは神経を研ぎ澄ました。人が黙って、なおかつ指先一本動かさなかれば完全な無音が達成されるはずの空間内で、途切れ途切れに鼓膜を揺らす音がある。湿った雑巾を引きずるような、ミンチを勢いよく床にたたきつけたような、粘り気のある音が一定のリズムで近づいてくる。レキたちはこの音をよく知っていた。
  音のする方にライトを向けると、そこに広大な横穴があることに気づく。隕石落下で自然にできたとは到底思えない、だとしたらそこが目指す場所で、巣穴からそれが登場するのは至って普通のことだった。
  ほら穴から、玄関をくぐるようにブレイマーが出てくる。レキは指先に込めていた力を抜いた。正確には全身から力が抜けていたのだ、現れたブレイマーは見たこともない大きさであった。ただ、放心するしか――できなかったのはどうやらレキだけだったようだ。
「でたーーーー!! 最初っからこれかよっ! おしまいだーーーーっっ!!」
ビル級を目の前にしてそれだけいつもどおり絶叫できるなら大したものだ、本来なら間髪入れずジェイを殴るか怒声を浴びせるかしたのだがそれも叶わない。声が出せなかったのは恐怖というよりは、どちらかというと呆れからくる諦めみたいな感情のせいだ。耳元で高速で念仏めいた呪文を唱えだすジェイを無視して、レキは視線をシオに向けた。
  彼女はもう分かっている。互いに頷き合って次の行動を確認した。レキがゆっくり一歩を踏み出す。
(……効くんだろうな本当に……ハイドレインジア……!)
  ブレイマーは未だこちらを捕捉していないようで、巨大な頭部をもたげたり、もたもたと歩いたりするだけだ。レキたちの存在に気付かないのがハイドレインジアの効力か、この深淵の効果かは今の段階では定かではない。
  体は常にブレイマーに向けたまま、三人は音をたてないように横穴を目指した。
「すっげ……マジで気付かねぇの……」
「黙ってろって……っ、音に反応しないわけじゃないだろ」
反応するという確証もないが用心するに越したことはない。カニ歩きで横穴まで辿り着くと素早く陰に身を隠した。ビル級ブレイマーは何をするでもなくやはり徘徊にいそしんでいる。光を当てても見向きもしない辺り、アトリビュートフイルムで識別するというのは本当らしい。
  ライトを消して、レキもシオもそしてジェイも壁に寄り掛かって胸を撫で下ろした。心臓が悲鳴を上げている。冷や汗だか脂汗だかよく分からない水を手早く拭って、レキは出していた銃をロックして、しまった。
「二人とも、大丈夫だよな」
「おーう」
シオはライトを一瞬点灯させた。
  その一瞬、映し出された自分たちの周囲の状況が凄まじい悪夢であることにレキ、そしてジェイも凝固する。予想や否定ばかりしていても始まらない、レキは素早くジェイの口を押え込むとその上でライトを点けた。
「ムーーーー!!」
口を押さえても叫ぶジェイ、レキの手のひらは奴の唾液でべたべただったが今回も怒るタイミングを逃した。悲鳴を飲み込んだ健気なシオとは違い、レキはただ馬鹿みたいに口を開けて呆然としていた。 ぼんやりと空洞内を照らすライトの光が映し出した光景、そこにはすし詰め状態のブレイマーが視界に居るだけでも三十体以上。バーゲンセールでもあっているのかと問いたくなるくらいの密度でひしめきあっていた。一瞬見たとkには悪夢そのものだったが、ブレイマーはどれもこれもレキたちに全く関心を示さない。
  レキは小さく気合いの掛声を発すると、一番近くのブレイマーを押しのけた。大胆の彼の行動に目を白黒させたのは残りの二人だ。確かにこのまま突っ立っていたのではバーゲン戦争には勝てない。レキが思いきり押さえつけてもじたばたするだけで敵意を見せないブレイマー、余った左手で二人に手招きするレキ、つまりここで大事なのは思い切りと根性である。悟ったジェイが両腕の袖を一気にまくった。
「プリンかゼリーだと思えばいいんだろ……! どけーいっ!」
両サイドのプリン(もしくはゼリー)を押しのけた瞬間、ジェイが何とも言えないくずれた表情になる。レキは早くも適応したのかリズムよくブレイマーをかき分けて進路を作っていく。ジェイもやけくそ気味にシオの手を引いて間をすり抜けた。
「これ全部地上に出荷予定とかじゃないよなぁ……?」
そんな予定は無い。無いが餌を求めて地上に出て行くことは確かだ。
  レキとジェイがギリギリ通れるくらいの高さしかない人口の横穴で次々とふんづまったブレイマーを押しのけていくと、不意に開けた場所に出る。それは奇妙な話だった。天井を見上げると悠に五メートル以上はある。広い場所のせいか気休め程度に明るくなった気がした。
「人口……じゃないよなここは。こんなの人の手で作るのは無理だろ」
「(天然の鍾乳洞と、さっきの横穴で繋げたって考えるのが自然かな。もともと空洞の地形に隕石が落ちたからあんな巨大なクレーターになったんだと思う)」
シオは早口で独りごちた。レキにもジェイにもさっぱり内容は掴めなかったが同じ考えであることは分かる。
  天然にしろ、人口にしろ、とにかくブレイマーの巣窟であることに違いはない。雰囲気も、先ほどの穴よりは広いというだけでとりわけ何が変わったというわけでもない。ただ広くなれば、うろつくブレイマーもそれだけサイズアップする。ジェイが辺りを見回して口元を引きつらせた。猫背気味に五メートル級が優雅に徘徊するここでは、レキたち人間の方が異質である。
  レキはもうブレイマーに動揺は見せなかった。
「ハイドレインジアが確かなもんだってのはよく分かったし、悪いけど二人俺の前歩いて。後ろに居られちゃ余計な心配ごとが増える……」
「うわーよく言うぜ。いいよいいよ俺が先頭行きます。二人はライト消して、節約ね。人が通れそうなところ探して進むから」
  こういったサバイバルにはジェイは慣れている。伊達にノーネーム生活は長くない、生きて暮らすことに関してはジェイの右に出る者はない。シオがまたホラー的に自分を照らしてレキの方に振り向く。
「(ジェイ、今日なんか頼もしいね)」
「今日は、な。本人に言うなよ」
「シオっ、ライト節約! つーか寂しいから後ろ二人で会話するのはダメ!」
シオが慌ててスイッチを切る。暗がりの中、最後尾でレキが苦笑するのが何となく分かった。
  事は思った通りなのか、思ったよりもなのか、順調に進んでいた。ハイドレインジアはこの場所の異質さを和らげる。誤魔化して忘れさせる。自分たちが今どういった場所で何に囲まれているのかさえ頭の隅に追いやる。
  警告は一番はじめにされていた。これから始まる悪夢の連鎖と逃れられない真実はこの地下深くに眠っていたのである。それに触れるべきではなかったと、いつの日も人は触れてから気づく。隕石が何故あのまま放置されたか――レキたちが目を塞いだそれに確かな理由は存在していた。あれはクレーターが包み隠してきた闇を守る最初で最後の警告だった。受け止めるべき真実の始まりだった。
「ハルたち……うまくやってっかな。あんなまとまり無いメンバーで大丈夫と思うか? どう考えたって自分勝手の寄せ集め、みたいな」
ジェイに言われてはおしまいだがあながち否定もしてやれないメンバーだ。シオも僅かにレキの方に視線を移す。
「だからハルがあっちについたんだろ。自分勝手な集団とか個人とか、まとめんのはハルの十八番なんだからさ」
「かっこいいんだかよくないんだか……」