ACT.2 サイレントレディ


  もう引き返せない。取り戻すことも、できない。
その時エイジがいつものように冷静だったなら道はいくらでもあったが、幼い心がつまらないプライドと反抗心をかき立て、それを許さなかった。
震える手で、しっかりとトリガーを握り直す。
「うわぁあああ!くそおおお!!」
なりふりなど構う余裕などなく、エイジは両手でフレームを支えるとレキの頭めがけて引き金を引いた。何度となく、定まらない照準も気にせず撃つ。
「エイジ、落ち着け!もう撃つな!」
「うるせぇんだよ!!何がフレイムだ、ヘッドだ……!腰抜け野郎!」
弾が尽きても引き金を引き続けるエイジ、二三度間抜けな音がすると踵を向けて段ボールの陰に走った。
「エイジ!」
手早くブローバックさせて次の装弾を終えると、再び物陰からレキを狙い撃った。
「よせって!別に怒っちゃねぇよ、これでもう分かったろ!?スカルなんかと関わんな、銃こっち出せって!」
「そんなん関係ねぇよ、何だよびびってんのかあ!?俺がスカルに入ったら真っ先にフレイムなんかぶっつぶしてやるよ。 ムカついてたんだよ前からぁ……!仲間仲間ってべたべたしやがって……くだらねぇ!反吐がでるぜ!」
段ボールごと貫いてレキの赤い髪をかすっていくエイジの弾。
薄暗い倉庫内に銃声だけがやたらに響いた。
はらはらと落ちていく髪の毛を横目で見やってレキが舌打ちを漏らす。エイジの位置は何となく把握していたが軽はずみに撃つわけにはいかなかった。
だからと言って、ぼやぼやしていれば本当に撃たれてしまう。
「シバの野郎!関係ないエイジまで巻き込みやがって……!」
奥歯を噛み締めると同時に口の中で不協和音が発生する。エイジの銃口がうなる度にレキは手頃な段ボールを盾に身を隠した。
このままエイジの弾が尽きるのを待っていても埒があかないことくらい百も承知だ。
「撃ってこねぇのかよ、腰抜け!丸見えだぜっ」
エイジの放つ弾は不慣れな分予想不可能だ。
レキが段ボールの箱の上に視線と銃を固定して狙いを定めたとき、エイジの無我夢中で撃った銃弾のひとつがレキの肩をえぐっていった。
思いの外勢い良く飛び散る鮮血にレキも、そしてエイジも目を見開いた。肉をこそぎとっていったのだから妥当といえば妥当だ。
「ひゃっほー!いいな、これっ病みつきになりそうだ」
バァン!!- -エイジの減らず口を黙らせるに十分な音と正確さであった。
エイジが手放しで大喜びするのとは対照的に、レキは自分の傷にもたいして動じずエイジの真横の空き箱を撃ち抜いた。
それでもエイジは負けじと不敵の笑みを浮かべた。
「俺を怒らせたいのか?銃出せっつってんだろ」
「……悪い悪い、当たっちゃったんだから仕方ないだろ?痛いんだったら……ユウに慰めてもらえよ、いつもみたいにさあ!」
再び指に力を込めるエイジ、レキは早くも我慢の限界を通り越したらしい頭上を飛ぶ弾丸を見向きもせずに段ボールの山を飛び越えた。
エイジが慌てて連射するも、それはレキに居場所を叫んでいるようなものだ。
エイジが身を潜めるバリケードを蹴り飛ばして構えたままの彼の顎先へ銃口を押し当てた。
引きつるエイジの口元を、眉をひそめて見やるレキ。
「……銃、出すな?待っててやるから下に置けよ」
レキの目をまともに見ることができずにエイジは視線を泳がせる。数秒硬直状態を経て歯茎を食いしばると、力任せに銃を投げ捨てた。
がらくたじみた音を立ててエイジの、否シバの銃が地面に転がる。
レキが嘆息ついでにエイジから距離を置こうとした瞬間だった-。
  レキもエイジも耳をそばだてる。倉庫内の少ない窓ガラスを震わせる低いうなり声が彼らの動きを止めた。
野犬とも、廃人のものとも違う、地の底から響くような咆哮に倉庫内は静まりかえった。
「何……だよ、今の」
エイジがやっとそれだけ口にする。
レキも倉庫の入り口を凝視する。灯り取りのために開け放してきた扉、今更ながらそれを恨めしく見やった。
咆哮と、何かを引きずるような足音は次第にこの倉庫の方へと近づいてきている。
二人とも身動きがとれずにただ入り口を見守るばかりだ。
「何なんだよ……!こっち来てんじゃねぇのか!?」
「黙ってろ……!」
息をのむ、それがどちらのものかはわからなかった。
やがて微かに差していた日光が一瞬で遮られる。
  扉の前に立ちふさがったのは全長裕に5メートルは超えるプリン体の生物、ヘドロのように醜い体から絶えず粘ついた液体を地面に落としている。 その生々しい音が沈黙を裂いて響き渡った。顔のようなものを無理矢理狭い入り口からねじ込んでレキとエイジの二人を捕捉した。
「ヴォオオオオ!!」
そして頭が割れんばかりに吠える。ただでさえ音響効果の甚だしい倉庫の中で狂ったように雄叫びをあげられると、耳を塞ぐ他手はない。
レキはとっさに銃を床に落として自分の鼓膜を防御した。
「ブレイマー!?何だってロストシティ ここ にいるんだよ!めったにこの辺出ねぇのに……!」
脳内がブレイマーの馬鹿でかい声でぐらぐら揺れる。両手を力いっぱい耳に押しつけて反応のないエイジに視線を落とした。
その姿はそこにない。レキは目を離した後の自分の行動をすぐさま後悔する羽目になった。
ブレイマーの出現に気を取られている間にエイジはレキの束縛から逃れて、投げ捨てたはずの銃を手にしていた。
「エイジ!!」
「よそ見してんなよ!くらえ、オラ!」
慎重に慎重を期して狙いを定めたのは、すでに負傷しているレキの右腕。今度は確実にしとめようと内側に照準を定めて引き金を引いた。
先刻とは逆に血はほとんど吹き出なかったが弾丸はレキの肩を貫通した。
よろめいて、片膝ついて眉間にしわを寄せる。
「ブレイマーなんて冗談じゃねぇよ!レキ一人でこいつの餌になるんだなっ。目ぇ離したレキが悪ぃんだよ!」
半笑いでエイジはすでにレキを置き去りにするつもりである。入り口の方へ駆けて振り向き様にレキに中指を立てた。横目で、突っ立ったままのブレイマーを見る。
微かにエイジの方に首をもたげたように見えたが、エイジの方は鼻で笑い飛ばして相手にしなかった。
「気色わりーんだよ、でくのぼうがっ。犬の糞でも喰ってろ……!」
引きつった笑みをブレイマーに向ける。
  無論ブレイマーという生命体にエイジの言葉の意味を解する知能まではない。が、レキの胸騒ぎが現実になる気がしてならなかった。
ゆったりと、グミ状の腕を振るブレイマーにレキだけが気付いていた。
「エイジ!ぼやぼやすんな、逃げろ!!」
レキが立ち上がった時にはもう遅かった。
図体の割に恐ろしく機敏な動きでブレイマーはエイジの身体を鷲掴みにした。悲鳴を上げるまでもなくエイジの体が宙に浮く。
レキが左手で無理矢理銃弾を放つ。
エイジを掴んだ巨大な腕を弾は見事に貫通したにも関わらず、効果は皆無という他無かった。 弾はまるでおもちゃのようにただブレイマーの柔らかな体にめりこんだだけで、腕をもぎ取るどころか傷一つ負わせられない。
「離せよ!レキ……!レキぃ、助けてくれよ!!俺が悪かった、謝るから……っ離せぇ!!」
完全に取り乱したエイジは足をばたつかせて死にものぐるいでもがく。 ブレイマーの体は唾液のような粘着質の液体が覆っていてどんなにもがこうともこちらが空回りするばかりだ。
レキがおぼつかない左手で連射するが、やはり同じように吸収されていく。
「エイジ、もう少し辛抱しろ!すぐ助けてやるから!」
青ざめた顔のエイジ、全身から冷や汗が流れていく。顔に手に、体中にまとわりつく得体の知れない液体を目にしてエイジは気が気ではない。
喃語のような意味不明な喘ぎ声を上げて必死にレキに助けを求めた。
「どうなってんだよ……!!」
「嫌だぁ!レキぃ、早くしてくれよ!熱い、体中から変な煙出て……!」
「落ち着け!!刺激すんな!」
ままならない手つきでシリンダーを振り出すと、せわしく弾を込める。
ブレイマーはエイジを抱えたままゆっくりとこちらに近づいてくる。
「早く……早くぅ!レキぃ熱いよぉ!!体が……熱いぃ!」
泣き叫ぶエイジの体からは妙な色の煙が放出されている。
鼻をつく異臭と肉の焦げるような熱にレキはむせ返った。