ACT.2 サイレントレディ


  フレイム一の早起きは誰が何と言おうと料理担当のチャーリーだ。早朝5時にはあのピンクのモヒカンが大鍋の前で揺れる。 蛇柄のシャツで短刀を握られるとすっかり指名手配犯だが、幸い彼が短刀で切るのは生き物ではなくじゃがいもの皮だ。
一昨日スラムの外れを通った商人からかっぱらった新鮮なじゃがいもに、チャーリーは満足そうに微笑みかけている。丁寧に新芽をくり抜いては鍋の中に放った。
「おはよーさん。いつも悪いな」
「……いや」
だいたい次にあくび混じりにハルが起床、着替えた後で毎朝チャーリーと同じ会話をする。
会話と呼べるかどうかは疑わしいが、本人たちには恒例の朝の挨拶となっていた。
  うすら寒い明け方にチャーリーの焚いた火は暖まるには打ってつけである。臭いにつられたのかオージローが猛スピードで駆けてくる。
赤い首輪が目に入ったかと思うと、次の瞬間にはハルの懐に突っ込んでいた。
椅子代わりにしていた段ボールから転げ落ちながらもハルはオージローをなだめた。 散歩の時刻を過ぎてもダイが起きてこないせいでハルに媚びを売っているのだろう、押し倒された挙げ句全身なめ回されてハルは悲鳴を上げた。
「よせって!やめろ、オージローっ!うわあぁぁ!」
チャーリーはあらかたじゃがいもをむき終えて我関せずと鍋をかきまぜている。
  顔中よだれだらけになったところで、ハルがオージローの首輪の変化に気付く。正確に言えば、首輪と毛との間に挟まっている紙切れに、だ。
上半身だけ起こしてそれを抜き取った。
四つ折りのメモ用紙のようだ。
「……中はなんて?」
「いや……レキに渡した方が良さそうだ、差出人も書いてないし」
ハル自身は割と真面目な顔つきを作っているが、視界の外のオージローが全てをぶちこわしてくれる。 ハルの革パンを猛烈にひっかきまくって散歩を催促、気が付かないフリをしている方も神経が磨り減る。
  ハルがオージローにつけ回されながらもテレビ部屋のシャッターを半分開けてレキを揺さぶった。
その間に隙間からオージローが突入、隅で座ったまま寝ているダイの下へ走って新妻よろしく顔中にディープキスの嵐をお見舞いしていた。
もはやダイとオージローの方は放っておいていいだろう、ハルが渦巻く嫌気を制しながらレキのふくらはぎのあたりを左右に揺する。
「……何だよ、飯?」
「……はもうちょっと。オージローの首輪に挟まってたんだ。レキが読んだ方がいいと思って」
「律儀な奴だな……何だって?」
二人とも小声な理由は一人が単なる寝起きで声がかすれているだけで、もう一人はレキの言うとおり周囲にやたら気を遣う律儀者だというだけである。
  険しい目つきでメモを開くとレキの目も、意識も一気に覚める。読んだかと思うとすぐに枕代わりにしていたジャケットを急いで着た。
「出るのか?誰?」
「……さあな。デッドスカルならわざわざ最後に名乗ったりしねえよ。どっかの誰かがなんか企んでんだろ」
シャッターを屈んでくぐるとレキは外へ出る。ハルが肩を竦めて後を追った。
「書いてたのか?デッド・スカルより☆って?」
一人ウケして笑いを噛み締めるハルを尻目に、レキは着々と身支度を整えていく。
ダブルアクションリボルバーの装弾数を確認すると素早く弾を補充してシリンダーを収めた。ジャケットの裏のサイドアームにも無言で弾を詰めていく。
「ちょっと待てよ……!スカルじゃないんだろ?何だよその最強装備はっ。何しでかすつもりだよ」
「……書いた奴に心当たりがある。今からちょっと出てくっから。一応エースには場所伝えといて」
くしゃくしゃに丸まったメモを取りだしてハルに手渡す。
ハルは受け取るや否や大きく溜息をついて何度か頷いた。
レキがブーツの紐をきつく締め直す。心なしか苛つき加減が大きい、感じ取ってハルは特に何も言わずにおいた。
チャーリーも目で追うだけで声は掛けない。というよりチャーリーはそっちの方が普通だった。
  レキは苛ついているわけではなかった。腹が立っているわけでも、あきれ果てているわけでもない。ただ妙な胸騒ぎを覚えていた。 虫の知らせとでも言うのか、愛車のギンにまたがるとより一層そんなふうに思えた。
エンジンが唸る。おそらくこの音で何人かは目を覚ますだろう、ぼんやりそんなことを考えながらレキはグリップをめいっぱい回した。
-東スラムはずれの8番倉庫に来い。 DEAD SKULL-
メモには赤インクで、そう書かれてあった。
  はずれの倉庫街にはほとんど人通りがない。フレイムのアジトからもブラッディのアジトからも離れているし、逢い引きスポットにしては汚すぎる。 廃墟になる前は大きな工場か何かが製品を溜め込んでいたのだろう、フレイムのくそ狭い倉庫の10倍は裕にあった。
その馬鹿でかい倉庫の裏手にギンを停めて、レキは倉庫番号を確認する。
はがれかけた塗料でも“8”と書かれていることくらいは分かる。メモの場所と現在地を確認すると入り口の前まで足を進めた。
無論シャッターなどはない。代わりにレキを出迎えたのは重々しい鉄の引き扉で、蝶番は情けなくぶら下がっているだけでその役割を果たしてはいなかった。
錆び付いているのかと思いきや、扉はすんなりレキを中へ通してくれた。
ギィィィィ- -倉庫の中の方が暗い。扉を開けた先から光が一直線に伸びる。
「おーい!来てやったんだから顔出せ!何か用あんだろー?」
こだまする自分の声にやる気が萎える。
「……シカトかよ。デッドスカルの?誰さん?いいかげん出て来ねぇと帰るぞ、マジで!」
空しく響くレキの一人芝居、地団駄を踏もうと片足を上げた矢先に背後から微かに物音がした。
積み上げられて壁のように高く厚い段ボールの空き箱をレキが睨み付けた刹那-。
ダァン!!- 響くのは当然人の声だけではなかった。微かな足音や息づかい、そしてとりわけ銃声なんかは普段に増して反響する。
視線の先の段ボールの陰から硝煙がゆらゆら上がった。レキの横の壁には見慣れない弾がめりこんでいる。レキにはかすりもしなかった。
「どういうつもりだ……って、聞くまでもねぇか。お前だと思ってたよ、……エイジ」
エイジが慣れた手つきで空のカートリッジを排出して床に落とす。当たらなかったとは言え、レキの憮然とした態度には舌打ちを漏らさずにはいられないようだ。
ジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、レキは微動だにしない。
「そうかよ、分かっててノコノコ来たって?馬鹿にしやがって……!腕だけじゃなく頭にも穴開けてやんぜ……っ」
「シバにスカルに入れてやるとでも言われたか?まんまと利用されやがって……!」
「うるせぇ!!でかい顔してられるのも今のうちだけだ。利用されてるだって……?すぐに俺がデッド・スカルを利用してやるよ。レキさえ撃てばいいんだからな!」
どんなに手慣れた雰囲気を装っていてもレキにしてみればエイジの構えはとんだ子ども騙しだった。利き腕でさも軽そうにオートハンドガンを構えている。
レキは思わず堪えていた笑いを吹き出した。エイジが逆上してぶっ放してくるのを分かった上で。
ダン!!ダン!!- 連続して銃声が響いた。エイジが二連射したわけではない。 エイジが憤りのままに引き金を引いた直後、レキはジャケットの中からダブルアクションを取りだしてすぐさま撃ち放ったのである。
撃った衝撃で後方によろけるエイジの腹部を、レキの弾がかすめ取る。
驚愕したのはエイジの方だった。
「本気で……!本気で当てるつもりだったのかよ……っ」
「寝言言ってんなよ、何でお前に対して手加減なんかしなくちゃなんねぇんだよ。甘えんな」
エイジはそのまま尻もちをついた。発砲の反動で、ではない。予想だにしていなかったレキの反応に胸中で何かが渦巻いているせいだ。
  どんなにあしらってもレキは決してエイジを見捨てることは無かった。今までは、一度も。
エイジが今思うのは自分が犯したことへの後悔よりこの先にある恐怖。レキがエイジに対して同情さえ持っていないというこの状況に対するとてつもない不安であった。