ACT.6 ダブルエネミー


  アスカが視線だけで奥のドアを示す。 何の変哲もないこざっぱりした片開き扉だ、というより財団内部のドアはどれも同じ造りでそれこそアスカの合図なしには素通りしそうな程特徴がない。
流石に皆声を出さずとも中にシオがいるだろうことは見当を付けていた。
「私が中の連中をおびき寄せるからその間にシオを……。裏にバイクを2台停めてある、運転は?」
アスカ行動はどれひとつとっても卒がない。ろくに計画も立てず行き当たりばったりしか能のないレキたちとは大違いだ。
レキが胸中でちょっとしたレベルの格差を感じていると、視線が集中する。そう言えば肝心のアスカの質問を忘れるところだった。
「運転は?」
「プロ級!」
返答が軽すぎたのだろうかいまいち信じていない風のアスカ、しかしハルを見てもジェイを見ても頷いているのを確認すると彼女も何度か首を縦に振った。
「私が役に立てるのはこれで最後よ。後はあなたたち次第、頼んだわよ」
  アスカは扉に手を掛けて単独で中へと踏み入った。内部にいる人のざわめきが聞こえたかと思うと扉は閉まって再びレキたちとの間を遮断する。
アスカの視界にはもう赤い髪やヘルメットはない。代わりに映りはじめたのはスーツの男数名と白衣の男数名、そしてブリッジ財団の総代表とシオだ。
ブリッジは目を見開いたかと思いきや、特に動じた様子も見せずアスカの方に向き直った。かなり立腹しているようだ、言葉はない。
「お姉ちゃん……!」
驚愕を表に出したのはシオの方だった。思わず声を出してしまう程に。
「喋る気になったか。いい加減待ちくたびれていたところだ」
「ブリッジさん」
「見て分からんか、今取り込み中だ。何の用で来たか知らんが後にしろ」
シオの頬には数発殴られた跡がはっきり残っている。
憤りというよりはアスカはそれに一種の呆れを覚えていた。嫌悪は今更抱く気にもなれない。
「シオと行動を共にしていた者たちが侵入してきています。その内の一人がルビィを。確認済みです」
シオの顔色が変わる。アスカはそれを感慨無く眺めていた。
ブリッジの顔色も変わる。シオとは180度反対の喜々とした表情になりあっさり出口へ向かった。シオの困惑と恨みの目で彼は確信を持ったようだった。
「よくやったアスカ、流石にお前は賢いな。後で欲しい物を与えよう、考えておけ」
「……私の自室に」
ブリッジと白衣の男たち、そしてスーツの男たちのほとんどが部屋を跡にした。
残ったのはアスカとシオ、そしてシオを監視するために白衣の男が1人、スーツの男が1人である。
アスカはスーツの方に的を絞った。おそらく何らかの武器を所持していて応援を呼ぶとしたら彼だ。シオの無言の威圧を背に受けながらアスカは男に歩み寄る。
「……暇なら部屋に行かない?仕事、ないんでしょ」
「ブリッジ会長と侵入者がいるだろう……?」
「あなたの部屋よ」
シオには聞こえない声量でアスカと男はもう2、3会話を交わすと連れだって部屋を出た。
シオが、アスカの根回しなど知る必要はない。彼女は始めからそう考えていた。
   ドアの開く音に外で待機していたレキたちが過剰に反応する。
少し前にぞろぞろと人だかりが逆方向へ流れていった際突入しようか迷っていたが、今度は確実だ。アスカの目配せが合図となってレキは静かに扉の方へ移動する。
「シオ一人かな」
「ってことはないだろうな。俺とエースで見張りは何とかするからハルはシオの方頼むな」
手早く確認を取っていざ突入!という時にジェイがドアノブを握り出鼻をくじく。
レキが最大級のしかめ面で振り向くとジェイが指示を仰いでいた。タイミングというのを考えない男だ、レキの青筋が元気よく飛び出す。
「お前はここで見張りっ、何かあったら呼べ」
「え”ーなんかそれ地味っ。俺にもヒーローくさいのやらせろよ、“シオっ助けに来たよ!”みたいな」
ゴブッ-何度やっても痛いのはこっちだ、ジェイの頭を渾身の力で殴ったものの当たり前のようにヘルメットに完全防御される。 しびれる右手を堪えながら次からは鳩尾を狙うことをレキは心に誓った。
「そんな台詞必要ねぇからな、ハルも。手早くやるぞ、用意いいか?」
ハルが軽く頷いて、レキは一気にドアを押しあけた。
予想としては5、6人の厳ついお兄さんたちがサングラスを光らせて発砲してくるはずだったのだが、 実際は白衣の細い男が狼狽えているだけでレキとエースの出番はほぼないに等しかった。それでも一応、かなり嫌そうに男の口を片手で塞ぐ。
男の怯え具合はさしずめマフィアに銃口を突きつけられたサラリーマンだ、あながち間違いでもないがレキはマフィアの一員になった覚えはないし今のところ銃も抜いていない。
横目でハルの方を確認すると、流石に仕事が早いシオの両手の拘束具はすでに外されていた。
「ひでぇことするな財団も……っ、顔を殴んなよな、顔を……!」
シオは黙っている。ハルが足枷を懸命に外そうとしているのを困惑の表情で見ていた。
「殴られたのか?誰に?」
ハルの独り言を聞きつけてレキがさっさとそちらに赴く。
この際ようやく酸素供給を許されたのは白衣の男だったがバトンタッチしたエースにあえなく再度口を塞がれた。 しかも隙間からわずかに吸っていた空気も今度は煙草の伏流煙だ。
「腹立つよなぁ、腫れたら責任とってくれんのかって話」
「しょうがねぇ、倍返しだな」
レキの目が据わりきるや否やシオが高速でかぶりを振る。しばらく塞ぎ込んで胸の内を伝える方法を探したが、やはり声を出すのが一番手っ取り早い気がした。
「ルビィが、レキが狙われてるの。早く逃げなきゃ……!」
ハルの必死の作業でシオの両足もようやく自由になる。一人で焦るシオにハルが手を差しのべて立ち上がる手助けをした。ハルの合図でエースも男を自由にする。 と言っても酸欠で本人は床に力無く倒れ込んだ。機敏な行動のようにも見えるがどこか達観しているようにも見える、シオは完全に当惑しきっていた。
「大丈夫だって。ルビィもレキもここでこうして無事だし、追っ手も暫くは来ない」
「礼はアスカに言えよ、今度会った時な」
「え……?」
先刻までのアスカの行動を改めて思い返す。至極あっさりレキたちの存在をブリッジに告げたアスカ、 しかしレキの名前や特徴は何一つ口にしなかったしアスカの部屋にいるはずのレキたちはものの数秒でこの部屋に来た。矛盾の答は少し考えれば出る。
シオは自分がアスカに向けた冷徹な視線を後悔した。そして胸中で幾度と無く謝罪した。目頭が熱くなるのをぐっと堪える。
「おーい、まだかよー。のんびりしすぎだぜー?」
タイミングというものを考えない男のはずだが、逆に言えば間の悪さは計算し尽くしたように完璧である。入り口から半端に顔を覗かせて、ジェイがシオに手を振った。
「じゃあ俺のバイクにはシオな。ジェイ!後ろにハル乗せられるな?後エースもそっちに任せるから二人で責任持って連れて来いよ」
「ちょっと待てよっ何だその無茶苦茶な割り振りは!レキの方に3人乗せろよ、お前の方がうまいんだかっ-」
思わず部屋内に身を乗り出したジェイを黙らせたのはエース。いつのまにか外へ出て廊下の奥の方を見つめている。
レキも気付いて苦虫をつぶした。誰に、と言えばさっぱり役に立たなかったうるさいだけの見張り役に、だ。
「文句は運転しながらだ。その割り振りが正しいっつーことは後ろからハルが説明するだろ。とりあえず今は……逃げんのが先だ」