ACT.7 インベーダーゲーム


   その悲鳴がどういう意味を持つかはとりあえず後回しだ、今が絶好のチャンスだということの方がレキとシオには重要なことだった。
慌ててシオの手をたぐり寄せて、懐に突っ込んでいた手からは銃を抜いた。無論差し出すためではない。
レキの変化にイーグルも気付いて向き直ったが、その時にはレキに向けていた銃は手元にはなかった。代わりに僅かな痛みとレキの銃からの硝煙が残る。
「シオ、走るぞ!!」
シオは為す術もなく半ば振り回されるように手を引かれる。胸中ではイーグルの手元を性格に撃ったレキの所行に感嘆を漏らしていたが、 当の本人は対照的に安堵の溜息を飲み込んでいた。
あの状況下で計算して発砲などできるはずもない。言うなれば単なるまぐれ、というやつだったがうまくいけば何でも良かった。
「大佐!追跡しますっ!」
「……待て……!」
転げ落ちた銃を拾いもせず、イーグルは神妙な面もちで一点を凝視している。おかしなことにその矛先はレキたちではない。
反射的に口をつぐむ隊員たちの耳に再び微かに悲鳴が響いた。
追ってくる素振りを見せないユニオンに、レキたちも訝しげな顔で立ち止まってしまった。
   雑音ひとつも聞こえない空間、まるで時が止まったかのような不気味な光景だった。
「何か……聞こえないか?」
恐ろしく綺麗さっぱり、先刻の悲鳴のことを忘れていたことに気付く。嫌な予感と嫌な汗がまとわりついてくる。
レキの鼓膜を揺らしているのは何かを引きずるような粘着質な音だ。
聞き覚えがある。
レキもシオも、そして微動だにしないユニオン勢もおそらく本能的に察していたのだろう、でなければこのような硬直状態はあり得ないのだから。
   キャーーー!!-今度はもう誤魔化しようのない程近くで、はっきりと響く。
それはこの場の全員を我に返すと同時に事の始まりの合図でもあった。
「ブレイマーだあ!!大群が街中に侵入してる!」
「ユニオンは何をしてたんだ、くそったれ!!」
ここは住宅区だ、市民の声はもろに聞こえる。
説明するまでもなくユニオンはここでこうしてノーネームのチームリーダーを追いかけ回していた。イーグルが舌打ちしてようやく銃を拾う。
「作戦変更だ、工場区に向かった奴等を呼び寄せろ。E班は本部に戻り情報を収集、後は全員で街中のブレイマーの殲滅に向かう!」
「はっ、しかしノーネームの方は……!」
「死にたければ勝手に追え。聞こえなかったのか、ちょっとした団体ツアーだとな」
イーグルにしては珍しく皮肉を吐いて、みすみす野放しにすることになるターゲットの二人を横目に見やる。
レキも何となくイーグルを見ていた。
「レキ……っ」
シオが思わず声を出してレキを呼ぶ。今の今までどんなにきつかろうが危なかろうが愚痴ひとつ発せられなかった口から不安色の濃い声が漏れたことは、 レキに状況のまずさを教えていた。
「俺たちも作戦変更だ……っ、ハルたちと合流しよう。ユニオンもブレイマーも、はっきり言ってノーサンキューなんだよ……!」
汗だくの手のひらを律儀に拭っている暇はない。
今や悲鳴はあちこちでランダムにあがっている。その順番がここへ回ってくるまでそう長い時間はかからなかった。
「イーグル大佐!!出ました、ブ、ブレイマーです。こ、……こんなに……」
家族どころではない、ご近所総出でユナイテッドシティに遊びに来たようだ、3、4メートルの常サイズのものから ロストシティでレキたちが退治した超特大級のものまで、遠目に見ても数の多さくらいは分かる。
立ち止まりたくはないのに数秒目を奪われた。
専門のはずのパニッシャー連中までが驚愕の意を顕わにしているのだからレキやシオが息を呑むのは当然だった。見事に足がすくむ。
「マジかよ……いくらなんでも……」
呆然ーレキとシオから約100メートル先にブレイマーの大群、中間にイーグルたちが隊列を組んで銃を構えていた。
シオが、おそらく無意識にレキの手を強く握りしめた瞬間、まるでそれが合図だったかのようにパニッシャーたちの銃から火花が散った。 レキたちを捕らえるためのハンドガンから対大型ブレイマーのライフルに持ち替えて一斉に引き金を引く。
「ヴォォオォォ!!」
地鳴りのように腹まで響く凄まじい咆哮にレキもシオも、咄嗟に手を離して自分の耳を塞いだ。
空気が振動しているのを肌で感じる。視界の隅でのたうち回るブレイマーたちが、数のせいかいつもの数倍気味悪く見えた。
しかしパニッシャーの攻撃は、この大群の前では無力に等しかった。
弾がそれたもの、もしくはまともに当たって先刻まで雄叫びをあげていたものも、次の瞬間には一段を凄まじい咆哮をあげて直進してくる。 効果が無かったというよりは、奴等の神経を逆撫でする結果に終わったという方が相応しい。
「大佐……、隊列を組んでの攻撃は皆無かと……」
「貴様に指図されんでも見れば分かる。……小隊に別れてブレイマー一体一体の駆除を心掛けろ。最優先事項は住民の非難と救助!……散れ!!」
イーグルの合図は半ば放心状態だったレキにも意識を取り戻させる。散在していくユニオン連中を確認して、レキも再びシオの手をとった。
「俺たちも行くぞ!ぼやぼやしてたら喰われるか捕まるかどっちかだ!」
シオの力強い頷き具合を見て、レキは工場区を目指すため走り出した。
  ユニオン、パニッシャーたちの会話が聞こえていたわけではない、しかし散り散りになった内の一人は確実にそこに向かうであろうことを レキは予感していた。それも確信に近い予感だ。
街並みと勘を頼りに、レキはシオの手を引いて全力疾走し続けた。

   同時刻、工場区。絶えず何かしらの機械が作動していてその音が延々と鼓膜に響いてくる。
更に言えば一定間隔で振動も体に響いて、極めつけはすぐ横の排水ポンプ。 少し体をずらせば一気に全身汚水まみれだ。汚水と言うよりは泥酔者が路肩に吐くアレを連想させる、その臭いも形状も十分に酷似していた。
  止めればいいのにそれを見つめ続けるハル、この最悪な環境に頭痛を催したらしい青い顔で座り込んでいた。
彼が背を預けているのもおそらく排水タンクか何かだろう、同じく止めればいいのに体全体に揺さぶりをかけられている。
対して、横で挙動不審極まりないジェイ。彼はハルほど不快を感じている風ではないが不安はハルの約二倍だ。 タンクに身を隠しながら忙しなく様子を窺っている。
「あ”ーもう、ちょっと落ち着けよ、鬱陶しいな……っ」
ハルのめずらしい悪態にもジェイはこれっぽっちも動じず、それでも一応腰を落ち着けた。
「なんかユニオンの奴等急に慌ただしくなってきたぜ、なんかあったのかなぁ」
「さあな、レキたちかエースがとっ捕まっちゃったとかじゃないの?」
ハルの応答の節々にはーもういいから、黙って大人しくしとけーの意が込められている。
無論そんなことに気づける程ジェイは気が利く方ではない。
  環境と偶然選んでしまったパートナーにほとほと愛想が尽きかけたときに、ハルの重い腰をあげさせるきっかけがやってきた。 裏を返せば、ユニオンが諦めて撤退するまで大人しく身を隠すつもりだった彼の目算をぶち壊しにする出来事が起こってしまったということだ。
「……誰かこっちに近づいてきてないか……?」
微かな気配を察知して、ハルが警戒心を研ぎ澄ませる。
「やべっ、工場の奴かな。見つかったらユニオンに売られちまう」
「……じゃないだろ、汚水処理場だぞ……!?」
ハルもジェイも焦り始めたのがどうにも遅かった。
人間、覚悟だとか心の準備だとかが万全にできていないと咄嗟の事態には上手く対応できず墓穴を掘るものだ。
二人とも、その展開に着いていけるほど切り替えの早いタイプではなかった。
「で……で……」
そして人間、芸がないとは分かっていながらもこういうときどもってみたりする。
汚水処理場の奥からポンプを突き破って豪快に現れたそれに、ハルもジェイも一瞬言葉を失った。