ACT.8 ターゲット ロック オン


 その手が温かかったのかそれとも冷たかったのか分からない。しかし無造作に空から落ちてくる雪と自らが吐く雪より白い息で、レキは 冷たかったのだろうと勝手にそう考えた。当時はまだ冬になれば一応雪が降った。冬だとか夏だとかの季節の境目がレキが幼い頃には 存在していた。が、雪が降ったのはレキの記憶の中ではこれが最後だった。
  頼りなく、少々の風に流されては消えていく、幼い自分の手を引く女の背中を見ながらレキはただ歩調を合わせて雪の中を歩いていた。 綺麗だとは思わなかった。ほとんどが水分でぼたぼたと音をたてる雪はレキにしてみれば雨とそう大差ない。跡形もなく、肩に落ちては 湿った水となるそれを、レキは鬱陶しそうに見ていた。
「レキ……」
女が不意に立ち止まる。強く握っていた手を更に握りしめて、女は泣いているようだった。肩が震えていた。
「……ごめんね」
女は振り返ってレキと視線を合わせるべくしゃがむ。しっかり見つめ合っているはずなのに女の顔はぼやけていてはっきりしない。 母親の顔など、レキの記憶にはもはや虚ろにしかなかった。かろうじて覚えているのは髪型くらいで栗色の肩先までの髪をくるくると 巻いている。たぶん分厚いコートを着ていた。どんなコートだったかはやはり覚えていない。
  女はコートのポケットから白い封筒を取りだした。封がされたままのそれをレキの両手に半ば無理矢理握らせる。
「許してね、お母さんを、許して……っ」
レキの肩をしっかりと掴んで、瞳に溢れんばかりの涙を溜めて、流す。
「レキ……、これからお母さんが言うことをよく聞いて」
雪が勢いを増す。それとも風が強くなったのか、頬を刺す冷たい空気が痛い。
「……あなたは絶対に誰かを愛してはだめよ。約束してちょうだい、レキ。愛してはだめ。……そして愛されるのもだめ。いい?分かった? ……大きくなって、もし誰かを愛してしまったらこれを読んで」
連呼されるその単語は、レキにはひどく安っぽく感じた。コレ-渡された手紙を見て、レキは黙っている。いろいろな意味で状況を解する のが難しかったのかもしれない、ただ、黙っていた。女が立ち上がる。
「開けなくてもいいの、その方がいい。知らない方が幸せなこともあるから。……あなたが大事に想う人を傷つけないように、その時が来 たらそれを読みなさい」
レキの真っ赤な髪、それを軽く撫でて女は背を向けた。もうレキの手を引いてはいない。
  水のような雪はいつしか本当の雨となって舞うことなく地面に降り注いだ。

  -里について摂った仮眠は二時間、里で唯一の宿(と言ってもただの空き屋だが)に案内されると一行は死んだように眠りについた。 木造りの低いベッドが両隅に二つあったが、枕や布団だけを引きずり下ろすと各々地べたで雑魚寝に突入、案の定周りを見渡してみると まだ全員寝息をたてている。
  レキはベッドと柱との間に挟まって隠れるようにして寝ていたのだが、やはり早々に目が覚めてしまった。夢の内容を虚ろに思い出して 頭を掻くと、枕代わりにしていたレザージャケットを羽織った。内ポケットに右手を突っ込んで、中にある紙切れのようなものの感触を確 かめる。
転がっている面々を踏まないように注意して小屋の出口へ向かう。扉はない。床に敷かれた枯れ草を編んだ絨毯と同じ様な作りの ものが扉代わりに入口にかけられている。それをめくって外に出た。
  里に到着した時より周りが明るく感じるのは、バカでかい松明の炎とぽつぽつと灯った家々の明かりのおかげであろう、レキは吸い寄せ られるように火の側へ歩いた。
「なんだよレキ、寝てていいのに。まだみんな寝てんだろ?」
近づいてくるレキに気付いて、ハルが薪をくべる手を止める。隣にはシオ、彼女も顔を出してこちらに注目した。
「もう十分、つーかジェイのいびきがうるさくてどうせ寝らんねーし。悪いな、邪魔してー」
薪を一本適当にたぐり寄せて椅子代わりにするとハルの隣(シオがいる側ではない方)に腰を下ろす。
レキの下らない冷やかしもあまり気にすることなく、ハルは黙って猛る火を見ていた。ジェイのいびきが口実なことは知れている、レキの 眠りが浅いことはハルも昔から気付いていることだ。
「ここならユニオンにも財団にもそうそう見つからないだろうし、あいつらも疲れてるだろうし、暫くゆっくりしていくか?シオも久しぶり に帰ってきたんだしのんびりしたいだろ?」
シオはハルの予想に反して曖昧な笑みを浮かべた。
  炎は三人の影を揺らし、横顔を染める。これでもかというほど火の側に寄っている割にはさほど熱くもない、どこか優しい温かさをレキは 覚えていた。沈黙が下手に定着してしまう前に、レキは口火を切る。
「ごめんなルビィのこと……。謝ったって今更しょうがねえんだけど……ごめん」
シオが激しくかぶりを振る。
  里に着いてすぐ、出迎えてくれたシオにレキはあらかたの事情は説明しておいた。ケイは無事救出できたこと、そのためにルビィを差し出 したこと、自分たちの敵対チームが財団と裏で噛んでいること、などである。シオが何かハルに目で合図すると二人の間に挟まって居心地悪 そうにしていたハルが通訳係となる。
「……その方が良かったのかも、ってさ。無意味に持ってたって俺らがブレイマー引き寄せちまうだけだし、実際ユナイテッドシティの襲撃は ルビィのせいかもしれないんだろ?……ルビィがクレーターやブレイマーとどういう関係があるのか分からない内は財団に渡ってても仕方ないって」
レキが訝しげにハルを凝視している。レキの反応の理解に苦しんでハルがシオに助けを求めるも、シオは作り笑いで首を傾げるだけだ。
「……以心伝心……?」
「違うよっ。さっきそういう話をしてたの!……よく知ってたな、以心伝心なんて」
互いがくだらないいじりあいで場を和ませる。この炎の下は何の不安も恐怖もない聖域のようで、照らされる自分たちまでひどく神聖なものに 思えた。しかし勘違いを継続するほどレキは馬鹿ではない、現実に戻るのは早かった。
「ルビィは取り返す、絶対な。チャンスが来るまではシオのしたいようにしようぜ、俺はそれに従う」
レキが決定権を委託するのはごく稀なことだった。驚愕しているハル、がすぐに自分たちにはあまり影響がないことを悟る。レキが従う、という のがフレイムの決定事項なのだ、シオが答えを書いている間にハルは一人肩を竦めていた。
《ルビィについてきちんと調べたい。寄り道になるけどいいかな?》
「ああ、それがいいな。って俺が言えた義理じゃねぇけど。……あの石になんか秘密があるなら俺たちで暴こうぜ。一番乗りでさっ」
今度は曖昧さはない、元気に頷くシオに満足したのかレキも満面の笑みで返して立ち上がった。
「朝までもう一眠りするわ。もう邪魔しねえから、まあ後は好きにやれよ」
「レキっ!」
無邪気に笑ってレキは小走りに宿へと戻っていった。ハルは火照った頬もそのままに薪をやたらにくべた。十本目をくべ終えたところで ふと我に返り、十一本目を握ったまま火を見つめた。うねりながら火の粉や灰を吐き出し続けている。
 呆然とするハル-そうでなくても異様な行動が多い-を不審がってシオが顔の前で手を振った。
どうかした?-最近簡単な会話ならシオは口パクでハルに話す。唇がそう動いたのを確認してハルが微笑した。
「いや?俺たちも戻ろうぜ、明日は騒がしくなりそうだしさっ」
くべないつもりだった十一本目を火の中へ投げ入れて、二人はその場を跡にした。