ACT.9 ヒガシズム、ソノサキ


  追究するタイミングをレキはみすみす逃してしまった。大爺さんの言うことがこちらの目的の的を射すぎている、おかげでリラックス しまくっていた残りの連中も本来の使命を思い出したようだ。顔を見合わせて食べかけのフルーツを置いた。
「何か発見はあったんですか?」
まだ引き延ばす。ミーハー学者なら話すだけ時間の無駄である。それを少なからず確かめる必要があった。
「……“今分かっていること”が分かっただけじゃよ。私が引退してからは新事実が判ったという話も聞かない。ブレイマーの血液に ついてはどうか知らんが、生体としての研究は廃れてしまったんじゃろう」
  レキはシオに目で合図を送る。この老人は“今分かっていること”を発見した、逆に言うと一番最初のブレイマー生態学を確立した いわば先駆者だ。よくよく考えてみれば世代的にもブレイマー研究が始まった当初の人である、後々その理論に基づいて追随した生半可 な学者とは質が違うようだった。
「大爺さん、俺たち、人捜しをしてるんだけど……」
「おおっ。そう言っておられたの、私が分かることなら良いのじゃが……」
ハルのお膳立てはここまでだ。ひとつの確信を胸に、今度はレキが言う。
「ブレイマーの子どもを生んだ女が……この島にいるよな。会わせて欲しい、聞きたいことが、ある」
眉毛に潰されかかった老人の小さな目が、一瞬見開いたかと思うと顔を強ばらせた。今度は彼がレキたちに探りを入れる番だ。
しかしハルのように無粋な真似はしない。それぞれの目をじっくりと見ることで大爺さんは何かを悟り、嘆息した。
「大陸から来たと言ったな。会って……どうする?何を聞くつもりじゃ?」
明らかに不審と警戒心に満ちた目でこちらを見据えている。必然的に言葉が出てこなくなり、沈黙が訪れた。
  不意に紙の擦れる音がする。沈黙と言えばこの人の出番だ、重い空気をわざわざ言葉で破る必要はない。シオは紙を丁寧に大爺さん 側に向けて差し出した。
《ルビィについて、ブレイマーについて私たちが知らない何かを聞くつもりです。私たちは彼女を傷つけるつもりはありません。 私たちはブレイマーを救いたいだけです。協力して下さい、お願いします》
淡々とした文章だ、振り仮名が無いから確実に全てを読めているのはこの老人とハルと、そしてシオ本人だけだ。真っ直ぐな目でシオ は大爺さんの瞳を見つめる。
「……彼女の言うとおりです。お願いします」
ハルが後押しするも、大爺さんの警戒心は解けない。ただ冷やかしでないことは理解してくれたらしい、シオのメモを綺麗に四つ下り にすると片膝に掌を乗せておもむろに立ち上がった。皆の視線だけが追う。
「よろしい、会わせよう。……私について来なさい」
未だ表情は固いものの、大爺さんは庭に出るとハイビスカスの植え込みを抜けてどんどん茂みの方へ歩いていく。レキたちも慌ててその 後に続いた。背の高い南国植物を両脇に生やした、蛇のように曲がりくねった小道を歩いていく。舗装はさっぱりされていない。小道 というのも人一人がやっと通り抜けられるくらいの幅しかない。大爺さんの足取りはやはりしっかりしていて、レキたちを振り切らん ばかりの猛スピードで進んでいく。
  やがて小道が終わる。同時に両脇の草も途切れる。
「うわ~おっ。……絶景ぇ」
視界に広がる青い空と海、水平線までしっかり見渡せる。目の前に道、いや地面はない。家どころか、あるのは老人が立っているこの 眺めのいい岬だけだ。ジェイが発したのは無論皮肉である。自殺スポットに案内しろと言ったわけでも、逢い引きスポットに案内しろ と言ったわけでもない。辿り着いた先に家なり村なりがないとおかしい。
  しかし事態は予想外の展開を既に見せていたのである。大爺さんは連中をからかったわけでも騙したわけでもなかった。
  レキがすかさず罵詈雑言を浴びせようとした矢先に、大爺さんは岬を指差した。先端に中背の木があり、その下に木陰にもたれる ように小さな石造りの碑がある。レキは小道の終着地点から動けずにいた。そのせいで後続の連中の道を塞いでいることにも気付かない でいた。ただ、呆然と突っ立っている。
「……運がなかったな、死んじまってたか。じーさん、あんたがここに葬ったのか?」
レキを押しのけてエースがその墓石を目にする。そう、誰がどう見てもそれは墓石に他ならない。日付と、もはや消えかかった名前が 彫られたその下に年齢が刻まれてある。享年47歳、まだ若い。
「今から2年前じゃ。肺を患ってあっさり逝ってしまった。……その女性があんた方の探し人じゃよ。確かにブレイマーの子どもを生んだ と言っておった」
「……知ってるのか……?」
大爺さんはレキの質問には答えず踵を返してまた歩き出す。
「知っていることは話そう。以前にも彼女を訪ねて大陸から心ない連中が私を頼ってきたが、皆そういう輩は追い返してきた。お前さん たちは……事情が違うようじゃ。信じよう」
大爺さんの過度の警戒はどうやらこれまでの経験がそうさせていたらしい。考えてみれば“ブレイマーの子どもを生んだ女”などワイド ショーの格好の餌食だ。来る者来る者それ目当てであればレキたちがそう思われても仕方のないことである。
  レキは墓石をよくよく見もしないで無言のまま大爺さんの家へ引き返した。少なくともこの墓石に刻まれてある僅かな情報よりは 大爺さんの知っていることの方が多いはずだ、気づけばレキは躍起になっていた。墓石を見向きもしなかったのは、そこにある僅か 過ぎる情報がレキにとってとてつもない意味を持つことを本人が知っていたからである。
  波の音は岬にも、そして戻ってきた大爺さんの家にも変わらず響いていた。柱の一本に寄り掛かって、レキはまたぼんやり村や海の 方を眺めている。実際にはぼんやりではなかったのだが、他者の目にはそう映っていた。再び出された椰子の実ジュースのストローを くわえたまま、ジュースを吸いもしないのだから無理もない。
「……良いかな。彼女がこの島に来たのは15年くらい前のことじゃ」
「よく覚えてんな、そんな前のこと」
間髪入れずエースがくだらないことに感心して水をさす。そのエースをさらに間髪入れずラヴェンダーがどつく。なかなか迅速かつ 的確な突っ込みだ、のけぞる他者をものともせずラヴェンダーは素知らぬ顔で座りなおした。
「覚えているとも。忘れるはずがない……彼女は全身傷だらけじゃった。人為的なものじゃ。村の者が私のところへ連れて来たんじゃよ、 助けてやってくれとな。名前はアイラと言った。傷を除けば端正な顔立ちじゃったな」
一つ一つ確かめるように呟く。
「事情は決して話そうとせんかった。私もそれで良いと言った。この村には罪を咎める者はおらんし皆お人よしじゃ。放っておいても 野垂れ死にはしないだろうが空いている部屋を貸し、暫く生活を助けることにした」
「美女とひとつ屋根の下か……」
今度はハル、ジェイ、そしてラヴェンダーの三人がかりの平手がテンガロンハットの上からくだされる。エースも悪気がないから余計に 迷惑だ。大爺さんは反応せず話を続けた。
「一年ばかり経った頃だっか……彼女も村の生活に溶け込んだようで、村の者たちも彼女と親しくなっていた。元より美人で島にはない タイプじゃったから男たちの憧れでもあったかもしれん。……よく、あの岬で海を見ておったよ。どうしたんだと聞いてもいつもは首を 振るばかりじゃったが―」